たとえば、サイゴンの夕暮れ。
帰宅をいそぐバイク。シクロの列。外出禁止の時刻が迫っている。
私は、ベン・バク・ダン(河岸)のホテル・マジェスティックの裏側、レ・ロイ通りのカフェで、通りすがりの若い娘たちを眺めたものだった。彼女たちのアオザイ(長衣)は、かろやかなブロケ、下着はブラジャーと純白のクーツ(ズボン)だけで、ほっそりしたからだにぴっちり張りついている。
サイゴンの美少女たち。しなやかなからだの線が、薄いアオザイを透して、はっきり感じられる南ヴエトナムの乾季。ほかにどんなすばらしい眺めがあろうと、メコンの岸辺に、涼をもとめてゆっくり歩いてゆく若い娘たちほど、美しい眺めはなかった。
サイゴンの娘たちは美しかった、などといおうものなら、友人たちはみんなにやにやしたが、東京にいて、ヴエトナムのやすらぎにみちた風景はほんとうに想像もつかない。
私自身が、戦乱のサイゴンの絶望的な様相といったものを予期して行っただけに、戦争に明け暮れるヴエトナムの姿などどこにも見あたらなくてとまどったくらいだった。こういうチグハグな印象はどう説明してもうまくつたわらないので、私はいつも黙っていた。
ヴエトナムからの帰り、香港で知りあった女性がいる。
私がしばらくサイゴンにいたと知って、興味をもったらしかった。私は、彼女の案内で、ニュー・テリトリーや、シャーティン(沙田)で遊んだり、いろいろなナイトスポットに行った。ただ、このときはじめて香港ポップスの美しさに気がついた。シャーリー・ウォンが生まれたばかりの頃のこと。まだ、テレサ・テンも登場していない。私は当時の歌姫たちのテープを買い込んだ。
いよいよ、香港から離れるという日に、彼女が
「どうだった?」
と訊いた。
私が、にやにやしたことはいうまでもない。
帰国後、彼女をモデルにして長編を書いた。旅行はたしかに私の想像を刺激したが、私にできたのは外から眺めただけで、香港の内側に入り込み、自分もその一部になるようには書けなかった。