527

戦後すぐの昂揚した気分のなかで、いちばん盛んになったのは草野球だった。

ある日、「近代文学」の人びとが、ほかのグループと親睦を深めるため、(みんなで八方手をつくして集めた酒、ビールの「飲み会」が目的で)野球をすることになった。しかし、メンバーが足りない。安部 公房から連絡があって、きみも参加するように、といわれた。
相手は「中国文学」の人たちが中心で、ほかに画家たちも加わった強豪チームという。
当時、私は肺浸潤でスポーツどころではなかったが、それでも、安部 公房の頼みでは断れない。大宮から上井草まで出かけて行った。
球場は見るかげもなく荒れ果てていた。
すぐに試合がはじまった。私は補欠だった。
このときの「近代文学」のメンバーは、埴谷 雄高、平田 次三郎、佐々木 基一、安部 公房、関根 弘にまじって、寺田 透、栗林 種一など。三十代ばかり。
相手の「中国文学」の人たちは知らない人が多かったが、武田 泰淳、千田 九一など。ピッチャーがなんと岡本 太郎だった。
日頃、バットをもったこともない選手ばかりなので、試合は大荒れ。好プレイ珍プレイの続出に爆笑、哄笑。最後まで笑いが絶えなかった。しかし、岡本 太郎のピッチングで「近代文学」側はきりきり舞いをさせられた。
安部 公房がホームランを打った。拍手喝采。それでも、「近代文学」は負けた。

私はピンチヒッターで出してもらったが、最初のバッターボックスは三振。そのまま二塁をまもったが、つぎに打順がまわってきたときヒットを打って塁に出た。しかし、せっかく塁に出たのに、岡本 太郎の牽制に刺されて、あえなくアウト。

試合のあとは、ビール(当時アルコール飲料は貴重品だった)で乾杯。私は、いちばん年少だったし、大宮に住んでいたので早く帰った。疲れが出た。

その晩、私は発熱して寝込んでしまった。母が私を叱りつけた。

1947年。みんな若かった。私は20歳。

私にとっては、「よごれた古着を洗濯するみたいな昔の文壇の楽屋ばなし」ではない。若き日の貴重な思い出なのだ。