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やつがれ「ご幼少」の頃、銭湯ってよかも湯屋(ゆうや)のほうが通じましたナ。
番台にすわってるのは、たいていひからびたシジイで。たまに近所でも評判の美人の娘がすわったりするてェと、さあ、たいへん、あっという間にひろまって、若い衆がワンサと湯屋に押しかける。子どももつれて行ってもらったり。帰りのラムネ、サイダ-がおめあてで、湯屋(ゆうや)に行くのがうれしかったですナ。

湯気でくもったガラス戸を開けると、もうもうと湯気が立ちこめて、カランの前にくりからもんもんの爺さんがからだを洗っていたり。三助がねじり鉢巻きで客の肩をもんでいる。なかなか威勢がよござんした。しばらく揉むってぇと、両手をそろえて肩を打つ。上がり口、ザクロ口、洗い場から高い天井にポ-ンと音が響く。その音がいいもので。
どうかすると、番台に三宝(さんぼう)が置かれて、お祝儀袋が積んであったり。
どうも物日か何かで、その日は菖蒲湯だったんでしょうなあ。まだ、どこか江戸の名残りがただよっていた。

近頃、まるっきり、銭湯に縁がなくなっちまったが、浮世絵の美人入浴図などを見ると、やはりなつかしいもんでさぁ。
絵に描かれてる女のからだつき、体型は変わったが、そこに描かれているのは、どう見ても江戸の女の姿だからでしょう。
あたしも、湯屋の番台にすわるくらいやってみたいもんで。エヘヘ。