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アンケ-トにほとんど答えたことがない。
XXについて。簡単でいいからお答えください。XXの好きな作品をX本選べ。好きな女優をあげて、その理由をのべよ。
私がどうしてこんな質問にこたえなければならないのだろう。もっとほかに適当な回答者がいるだろうに。そう思う。
それに、自分がつよい関心を寄せているテ-マだったりすると、つい、回答する場合がある。いちいち気にするほどのこともないじゃないか。そう思う反面、そのテ-マをアンケ-ト形式で答えてしまえば、それでもう考えたことになってしまうかも知れない。それでいいのか、などとこだわったりする。
たとえば、フランス映画で好きな女優を3人あげてください、などと聞かれたら、どう答えたらいいのだろう。
フランソワ-ズ・ロゼ-、アルレッテイ、マドレ-ヌ・ルノ-、ジャンヌ・モロ-をあげてもいい。しかし、いまの人々の誰が彼女たちをみているだろうか。それに、ほんとうに好きといえるだろうか。むしろ、ミレイユ・バラン、ダニエル・ダリユ-、ミシュリ-ヌ・プレ-ル、ロミ-・シュナイダ-のほうがいい。しかし、彼女たちをあげれば、どうしても私の女性の好みが出てしまう。
イザベル・アジャ-ニ、デルフィ-ヌ・セリ-グ、エマニュエル・ベア-ルをあげようか。いや、アナベラや、フランソワ-ズ・アルヌ-ルを落とすわけにはいかない。
いっそのこと、無声映画のジョゼット・アンドリオやファルコネッテイをあげて、みんなをケムに巻いてやろうか。
こうして、私は追憶、ノスタルジ-、さまざまな逡巡、懊悩、こうした質問に答えようとしている自分への憐憫、はては質問者にたいする呪詛といった思考の迷路にみちびかれる。
だから、私はアンケ-トがきらいなのである。