200

最近、私の書くものに過去のことが多くなったとしても、それは仕方がない。すでに老いぼれた作家に未来があるはずもないからである。記憶はまだ少しはしっかりしているが、記憶していることときたら、当然、過去のことばかりである。
とすれば、私が過去のことを多く語るようになっても、それは自然なことと見ていい。老人の特徴としては、判断力の衰えと、自分ではそれに気がつかないか、気がついてもそれを認めないことにある。
日頃の生活も、だいたいきまりきったことのくり返しになる。考えが硬直してくるのも当然だろう。
知性も、少しづつ、または急激に失われて行く。私は、たいしたもの書きではないが、なけなしの自分の知性がこれからどうなるのか興味がある。(そもそも私に知性などというものがあったっけ?)

変わりばえのしない一日にまたつぎの一日を重ね、一年に一年を重ねて、やがて、確実に完了する。「中田 耕治のコージートーク」は、そういう私の「現在」の小さな報告にすぎない。
それでいいのだ。

199

親しい中国人の女性から、林 月の版画を贈られた。林 月は現代中国の芸術家だが、有数の風景画家という。これを倦かず眺めていて、ふと、ある詩句を思いだした。

みどりの雲と結ひし髪、その白さ雪を凝らす肌。眼には秋の水の波のただよい、眉は春の山の黛(うすずみ)を挿(さ)す。紅(くれない)の頬は桃の花の淡き粧(よそお)い。朱(あけ)の唇はかろやかな桜桃のふくらみ。鞋(くつ)はほっそりと可愛い足をつつみ、指(おゆび)はしなやかな春の筍の姿さながら。

古い中国小説のなかにあった。いまの私は、こんなアーカイックなクリシェがなつかしい。唐、宋の頃の春風駘蕩たる気分がなぜか私を惹きつける。
いつか、こんな常套的なクリシェばかり使った短編の一つも書いてみたい。

198

イザベル・ディノワ-ルというフランスの女性が、顔面移植手術で、まったく別人の顔になった。(06.2.7)人間は自分の顔を他人の顔と変えるかどうかをみずからに問いかけるために生きなければならなくなる。(笑)。
戦後すぐに、ニュロティックな映画がぞくぞくと登場したなかにハンフリ-・ボガ-ト主演の「潜入者」というフィルムがあった。まだ、性転換も心臓移植も考えられなかった頃の映画だが、ギャングが顔を手術、別人になりすましてつぎつぎに犯行を重ねてゆく。原作は、二流のミステリ作家、デヴィッド・グッディス。はるか後年の「フェイス・オフ」を並べると、自分の顔を他人の顔と入れ換えたいという希望は「変身願望」のヴァリエ-ションと見ていい。
映画史的に見れば、ルイ・ジュヴェの出た「ふたつの顔」(ジャン・ドレヴィル監督)から、ロベルト・ベニ-ニの「ジョニ-の事情」などの「とりかえばや」喜劇、Copy-conformeテ-マにつながってくる。
もう一つ。凍結して保存した男性の精子を使って、その男性の死後に体外受精で出産した女性がいる。そうして生まれた子どもを、生前の男性の子として認知を求めた訴訟事件は、東京高裁が棄却した。女性側は、これを不服として、最高裁にもち込んだ。(06.2.16)
こういうスト-リ-は、いずれ映画やドラマのテ-マになりそうだなあ。
できれば昔のパラマウントかRKOあたりのかるいコメディ-で。間違っても、「マイノリティ-・リポ-ト」や「宇宙戦争」のスティ-ヴン・スピルバ-グには作らせないでほしいな。(笑)。

197

イザベル・ディノワ-ルというフランスの女性が、顔をイヌに咬まれて重傷を負った。この女性は、15時間におよぶ顔面移植手術で、まったく別人の顔になった。執刀医は、J・M・デュヴェルナ-ル。(06.2.7)
イザベルさんは、まだ唇の機能が回復していないようだが、それでも生きる希望をとり戻したようだった。
ジャ-ナリズムの一部は、被手術者の身辺を洗って、日頃、薬物におぼれていたとか、もともと自殺願望があった、などと報道した。そんな女だからイヌに咬まれたのも当然、そんな女に顔を移植してやる必要はなかった、というような冷嘲をあびせている。
どこの国にも、陰湿な手口で、大衆の低俗な好奇心をあおる連中がいる。
このニュ-スを見て、私がまず考えたのは・・・拒絶反応や、免疫抑制といった問題はどうなのか。半年か一年たてば顔面の機能が完全に戻っているのか。リンパ系の異常や、骨の壊死などが起きないのか。素人の私でもそのくらいは考える。
顔に重度の傷をうけた女性が、あたらしい顔を得て、あたらしい人生を歩んでゆくのだから祝福すべきことだという立場もあっていい。
アイデンティティ-の移植ではないからである。心臓移植となんら変わらない。
この手術は生命倫理に反したものではないのか。
個人の倫理よりも医学の進歩を先行させた。科学万能の思想がますますはびこる。
そう考える人もいるだろう。
私は新しい顔になったこの女性が幸福になることを希望する。それは素直によろこんでいい。ただ、ことは心臓移植と少し違った次元の問題になるような気がする。じつはむずかしい「設問」が待ちかまえているような気がする。
それは生命操作がはたして人間を幸福にするかどうか、人間を幸福にするとしてはたしてどこまで幸福にするかという問題になる。

私たちには、いずれすべてのことが可能になるだろう。
ヴァレリ-ふうにいえば・・・人間は自分の顔を他人の顔と変えるかどうかをみずからに問いかけるために生きなければならなくなる。(笑)。

196

偶然だが、BS11で「シンシナティ・キッド」(ノ-マン・ジュイソン監督)を見た。スティーヴ・マックィーン、エドワード・G・ロビンソン、アン・マーグレット、チューズデイ・ウェルド。なつかしい顔ぶればかり。
映画は、ニュ-オ-リ-ンズにポ-カ-の名人で「ザ・マン」と呼ばれる老賭博師が乗り込む。それを迎え撃つ若いスタッズ・ポ-カ-の対決。
ニュ-オ-リ-ンズは、超巨大台風「カトリ-ナ」に直撃されて、かつての姿を失っている。そんなこともあって、この映画に何かノスタルジックな思いを重ねて見たのか。
エドワード・G・ロビンソンは、小柄で、お世事にも美男とはいえない独特な風貌。爬虫類のような薄眼が、不意に冷酷な光を帯びる。アクのつよい演技で、悪役スターとして知られていた。こういうタイプの俳優はどうにもカテゴライズしにくいので、戦前は「性格俳優」と呼ばれていた。
1893年、ルーマニアのブカレスト生まれ。ユダヤ系移民として、1903年、アメリカに移住。父は弁護士として成功した。
1911~13年、アメリカ演劇アカデミーで演技の勉強をした。つまりは、アメリカの「新劇運動」のまっただなかで育ったと見ていい。「戦後」、俳優としていささか知られてからハリウッドに移った。トーキーの登場で、セリフのしっかりした映画俳優として成功したのも当然だろう。30年代、「暗黒街の顔役」のギャングスター、戦後は「スカ-レット・ストリ-ト」、「キ-ラ-ゴ」の犯罪者といった役で、圧倒的な存在感を見せていた。しかし、「シンシナティ・キッド」を見ると、エドワード・G・ロビンソンは、「性格俳優」などという概念化ではおさまらない俳優だったことかわかる。
ハリウッドきっての教養人で、ピカソ、マティスから現代美術まで、有数の美術コレクターだった。

出演作が多いので、代表作をあげるのはむずかしい。私があげるとすれば、「運命の饗宴」(ジュリアン・デュヴィヴィェ監督)の、落魄した悪徳弁護士。最晩年の「シンシナティ・キッド」の老練なギャンブラー。1973年1月26日に亡くなっている。
彼の33回忌に「シンシナティ・キッド」を見たことになる。あくまで偶然だが。

195

ある日、高学年の生徒たちは学校の講堂に集められた。この日は特別授業とかでえらい人のお話があるのだった。
私は四年生だったし、いちばんチビの一人だったので、最前列に並んでいた。
どういう人がくるのか知らなかった。やがて演壇に和服で小柄なおじいさんが姿を見せた。りっぱなひげが眼についた。
校長先生が、ひどくへりくだった態度で、私たちにそのおじいさんを紹介した。「荒城の月」を書いた人という。
先生たちは、それぞれのクラスの横に立って拝聴していたが、私たちは、講堂のゆかにすわることを許されてお話を聞いた。おじいさんは子どもにもよくわかるように話してくれたようだったが、そのときの話はもうおぼえていない。綺麗に忘れてしまった、というより、何を話してくれたのか、そのときもわからなかったのだろう。ただ、人間の心のことを話してくれたような気がする。
「荒城の月」を書いたと聞いて、小学生の私は「春 高楼の花の宴」のメロディ-を思いうかべた。ふ~ん、ぼくたちはこんなおじいさんが書いた曲を歌っているのか。

当時、土井 晩翠は二高教授を退官した頃だったのだろう。
はるか後年、私は彼の訳で「イ-リアス」や「オヂュッセイア」を読んだ。
今の小学校でも詩人を招いて子どもむきのお話をしてもらうことがあるのだろうか。聞いた内容はおぼえていなくても、詩人の姿をおぼえている子どもはいるだろうと思う。

194

ゴルフ。「ビュイック・インタナショナル」のラスト(06.1.30.)。タイガ-・ウッズを見た。プレイ・オフ。この16できまらないと、つきの17(422ヤ-ド)に持ち越す。相手はジョゼ・マリ-ア・オラサバル。39歳。最初にバンカ-。
タイガ-・ウッズはクラブを握りながら下唇に舌を走らせる。癖なのか。緊張しているのか。クラブをふりおろす。青空に白球がまっすぐ飛び去ってゆく。
はじめにバンカ-に落としたオラサバルの第二打は、みごとにピンに寄せた。ふつうでは考えられないようなプレイ。ギャレリ-がどよめく。Masterpiece! そんな声が飛ぶ。これでオラサバルの勝利を確信したのか、ギャレリ-の多数が、早くも17コ-スに移動しはじめている。タイガ-は表情を変えない。
だが、つぎのオラサバルの第三打はピンのへりをかすめて外れた!
驚きと失望。タイガ-への称賛が大気をゆるがす。
タイガ-・ウッズが白い歯を見せた。このゴルファ-は、顔つきがずいぶん変わった。堂々たる体躯は中年のオジサンだが、無数に修羅場を切り抜けてきた芸術家の顔といっていい。
タイガ-・ウッズ(30歳)、今年の開幕に優勝。4回目。通算47勝。
ゴルフにまるで関心のない私も見ていてドキドキした。勝負の世界には、こういう緊張したシ-ンが見られるからすばらしい。2位はオラサバルとネ-サン・グリ-ン。日本の丸山 茂樹は-3、28位。