ある日、高学年の生徒たちは学校の講堂に集められた。この日は特別授業とかでえらい人のお話があるのだった。
私は四年生だったし、いちばんチビの一人だったので、最前列に並んでいた。
どういう人がくるのか知らなかった。やがて演壇に和服で小柄なおじいさんが姿を見せた。りっぱなひげが眼についた。
校長先生が、ひどくへりくだった態度で、私たちにそのおじいさんを紹介した。「荒城の月」を書いた人という。
先生たちは、それぞれのクラスの横に立って拝聴していたが、私たちは、講堂のゆかにすわることを許されてお話を聞いた。おじいさんは子どもにもよくわかるように話してくれたようだったが、そのときの話はもうおぼえていない。綺麗に忘れてしまった、というより、何を話してくれたのか、そのときもわからなかったのだろう。ただ、人間の心のことを話してくれたような気がする。
「荒城の月」を書いたと聞いて、小学生の私は「春 高楼の花の宴」のメロディ-を思いうかべた。ふ~ん、ぼくたちはこんなおじいさんが書いた曲を歌っているのか。
当時、土井 晩翠は二高教授を退官した頃だったのだろう。
はるか後年、私は彼の訳で「イ-リアス」や「オヂュッセイア」を読んだ。
今の小学校でも詩人を招いて子どもむきのお話をしてもらうことがあるのだろうか。聞いた内容はおぼえていなくても、詩人の姿をおぼえている子どもはいるだろうと思う。