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  小林 正治君のこと Date: 2007-06-15 (Fri) 

 
 
 友人の画家、小林 正治君が亡くなった。(07/6/4)享年、70。


 おもえば長いつきあいになった。
 小林 正治には、私の著書『ルクレツィア・ボルジァ』(集英社)、『マリリン・モンロー・ドキュメント』(三一書房)の装丁を描いてもらった。ほかにも、『ブランヴィリエ侯爵夫人』(自家版)の表紙。私の企画した「マリリン・モンロー展」に出品してもらった。その意味で、彼にはずいぶんお世話になったのだった。

 女性の裸身の魅力を描きつづけた。彼の描くヌードは、いつも優美で、典雅で、ほんとうにエロティックだった。その背景は、すみきった深い青い空。ときには、ヨーロッパの古城の城壁。ときには、海のひろがり。
 女たちは手をひろげたり、指先をひらめかせたり、片膝を立ててすわったり。ときには大きく股をひろげている。

 はじめて小林 正治の絵を見たのは、京橋の小さな画廊の個展でだった。美しいヌードが並べられていた。女の裸身、とくに白皙といってよい肌の美しさ。のびやかな肢体。
 私がとくに心を惹かれた一枚があった。しかし、すでに売約済だったので、それに似たポーズの一枚を買った。
 たまたま、あるホテルで仕事をしていたので、翌日、画家自身がわざわざその絵を届けてくれた。私は、自分が買えなかった一枚のすばらしさと、私が入手した一枚の、微妙な違い、優劣、さらに画家自身の、その絵を描いた制作上の姿勢の違いを、いちいち指摘した。
 私としては、いちばんいい絵が買えなかった、次善の作品を手に入れた、という思いもあって、ことさらそんなことを指摘したようだった。
 その指摘を、小林君は素直に聞いてくれた。彼の誠実な人柄に、私は心を打たれた。
 これが小林 正治との出会いになった。

 しかし、いやらしさはまったくなかった。むろん、どのヌードにも、エロスは匂いたっているが、女体が芸術作品そのものだった。
 このことは、小林 正治の対象が、ほとんどの場合、破瓜期の少女、ティーンの少女が多く、成熟した女性の裸身はあまり描くことがなかったからだと思われる。
 もう一つ、大きな特徴としては、彼の描いたヌードに顔がなかったこと。おそらく美貌に違いないのだが、容貌がまったく描かれないので、見ている私たちの想像にゆだねられている。
 どういう絵画でも、私たちの美的な体験は、それを見ることで、いわば完結する。ボッティスチェッリ、ラファエッロの美女の裸身に、ひたすら賛嘆のまなざしを向けても、その鑑賞のつぎに、東郷 青児、石本 正の美少女に心をうばわれれば、それで満足する。
 しかし、内面には、ボッティスチェッリ、ラファエッロの美女によってかきたてられたエロスへの欲求は、まるで埋み火や、灰の底にかくれた澳火のように、燃えつづけるだろう。
 小林 正治のヌードは、そういうエロスを秘めていた。彼の描くヌードを見る人は、その美しさに驚く。それを見た瞬間から、この画家はなぜ顔をえがかないのか、という疑問にとらえられる。それは、人面獣身のスフィンクスがなげかける問いのように、私たちの心のなかでひろがってゆく。

 小林 正治の絵には(その場でただ一度見ただけの印象ではわからないもの)、こちらがゆっくり時間をかけるうちに、ゆっくりと熟成してゆくワインのような味があるのだ。 その酔いのなかで、小林 正治という画家がどうしてこのヌードを描くようになったのかという画家の想像の秘密をさぐりはじめる自分に気がつくだろう。
 たとえば、彼の絵には、男性がまったく登場しない。はじめから、この世に存在しないかのように。

 たとえば、スズキ シン一も、生涯、女性のヌードを描きつづけた。しかし、彼の描くヌードは無数の<マリリン・モンロー>だった。そのマリリンたちが、どんなに可愛らしかったか。ときには、男の腕のなかで、苦しそうにあえぎながら、いつも信頼しきったまなざしをもっていた。
 小林 正治も、スズキ シン一も<男>を描かなかった。だから、このふたりの絵を見る私たちは、偶然にすれちがった、ゆきずりの美しい女たちと、すばらしい、しかし、明日のない、一夜をすごすような気がするだろう。
 静かな非現実の世界から、ミスティックな<風景>にあらわれたヌードの女たちは、現実を超えた美しさを失うことなく、ひっそりと小林 正治の孤独に戻ってゆく。
 画家は美しい女性のヌードを描くことで、ひたすらおのれの孤独に向かって行く。いってみれば、彼の絵はあくまでおのれの孤独からやってくるのだ。
 だから、彼の孤独は顔をもたない。

 小林 正治は、昨年、川越で大きな個展を開いた。このとき、『ルクレツィア・ボルジァ』、『マリリン・モンロー・ドキュメント』の原画や、「マリリン・モンロー展」に出品した作品も展示されたという。
 小林 正治の代表作は、山梨県立美術館にある。

 おそらく晩年の作品と思われるが、小林 正治の作風はかなりの変化を見せていた。その一枚は、青をバックに、横顔を見せた若い女のヌードだった。まるで逆光線のヌードといってもいいもので、全身ブラックで描かれている。
 小林 正治はその絵を私に贈ってくれたが、これを見た私は画家の孤独をまざまざと見るような気がしたのだった。
 今の私は新しい仕事に手をつけているのだが、この本の装丁は彼に依頼する心づもりだった。だが、それももはやかなわぬことになってしまった。

 小林 正治の訃報は、令息が電話でつたえてくれたのだが、その電話のあと、いろいろな思い出が堰をきったようによみがえってきて、私はしばらく茫然とした。
 まだ気もちの整理もつかないまま、こんなかたちで哀悼の文章を書いている。一週間後、一月後、一年後、古い友人として、私がひかえめながら、どんなに小林 正治の死を深く悲しむかわからない。

 芸術家はいつも自分自身の死に向かって歩みつづける。芸術家の仕事は、いつもそうしたものなのだ。そのことを彼によって教えられたような気がする。合掌。

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