■ 久生 十蘭 | Date: 2007-09-27 (Thu) |
久生 十蘭(ひさお・じゅうらん)は、現在からふり返ってみて、絶えず新しい主題を追いもとめ、自分自身の、そして時代の想像力を新鮮にした作家だった。しかも、これほど物語作家としての才能を思うさま駆使した作家はめずらしい。
初期の作品は、軽妙な内容と、あかるいエスプリにみちていた。それが、後期になっての変貌ぶりはどうだろう。私は、アントーシャ・チェホンテからチェホフへの変身にさえ比較したくなる。
個人的な関心をあげれば、久生 十蘭が、ほんらい演劇人として出発したことに注目する。
パリでシャルル・デュランの薫陶をうけたこと、帰国して岸田 国士の下で、演劇の実際活動をつづけたことが、この作家の作品世界になんらかの影響をあたえてはいないか。
その処女作とおぼしい短編を読んだときの衝撃は忘れられない。
イタリアのテアトロ・グロテスコのひとり、ルイジ・キャレッリの世界に酷似したものだった。翻案と見ていいほどのものだったが、それがみごとに久生 十蘭の世界に変形している。
その頃、私が不快に思った作家がいる。ここに名前はあげないが、青春時代を回想しながら、戦時中にグレアム・グリーンの小説を熱心に読んでいたと書いていた。
当時、グレアム・グリーンを読んでいたのは、植草 甚一、飯島 正、双葉 十三郎ぐらいなもので、それも「スペクテーター」の映画批評からグレアム・グリーンを知ったと思われる。この作家の回想している時代、グリーン自身は、イギリスでは通俗作家としか見られていなかった。誠実な顔をしながら、こういうウソを書くような作家なのか。私は、このときからその作家を軽蔑した。
久生 十蘭はまったく違う。
戦前の日本で、イタリアのテアトロ・グロテスコに関心をもった人がいるはずもない。まして、ルイジ・キャレッリの芝居まで読みこなしていたのは久生 十蘭ぐらいなものだろう。私はほとんど茫然としたのだった。
ほんとうの意味で換骨奪胎という名人芸を見たような気がした。
後年の彼が『ハムレット』で、ルイジ・ピランデッロの『エンリコ四世』の世界をみごとに移植し得たことも、おそらく偶然ではない。
久生 十蘭にとっては、小説の読者も劇場の観客とおなじで、幕が下りるまで席を立たせない。
彼の世界に認められる劇場性(シアトリカリティー)というべきものを、私はもっとも高く評価する。彼の短編は、どれもみごとに自己完結的で、緩急自在、劇的なデヌーマンにむかってひた走る。
いつもスピードのある運びをもちながら、その世界の意味と目的を忘れず、見ている私たちにビンビン響いてくるような動き、そんな劇的な特質をもっているような気がする。
久生 十蘭は、現代小説の困難をみごとにのり越えた存在としていまも私の前にある。
ペンネームがいい。釋 迢空(折口 信夫)が、釋(しゃく)というものを超える空無、あるいは釈迦の弟子であることを越えるものという意味で、おのれを釋(しゃく)というものを食うと見たとすれば、久生 十蘭は、あっさり、メシを食うとらんとうそぶいている。
私は、こういう作家にこそ敬意をもつ。
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