遠藤 尚子

「死刑制度についてのきみの文章、よかった」

人の話し声でざわざわする居酒屋か喫茶店で、中田先生からそう言われた。

そのあとも会うたびに、何回かそう言われた。褒められたのだからうれしいはずなのだが、まわりの微妙な反応やら、褒められているのが、「死刑制度」についての文章ということやらで、なんとなくきまりが悪かった。

でも、中田先生がお亡くなりになって、追悼文をと言われたときに、ふと思いだしたのは、そのことだった。

なぜ先生は、あんなに何度も褒めてくれたのだろうか。まるで励ますみたいに。いや、じっさい励ましていたんじゃないかな。それが正しいかどうかではなく、孤立するかもしれない主張をした向こう見ずに、一人ぐらい寄りそってやろうとして。

中田先生は、がんばっても注目を浴びられなかった人や、世に認められなかった人、誤解されたままの人、ようするにうまく生きられなかった人にたいして、いつもやさしかった。

それから、市井の人間というか、庶民の目線というのをつねに大事にしていたように思う。

中田先生が主催していたNEXUS(ネクサス)という集まりで、不定期に発行していた同人誌『NEXUS』に、私が「本から死刑制度を考える」というエッセーを書いたのは、2002年4月の第34号でのことだ。

私は、「死」について、あるいは「幸福」について、のように、抽象的なことについてあれこれ考えずにはいられず、若いころはそんな本をよく読んでいた。というか、若いころはだれでも、「死ぬのが怖い! 死ぬってどういうこと?」とか「幸せになりたいけど、どうやったら幸せになれるの? お金? 恋愛?」みたいなことで悩むのではないだろうか。そういう意味で、私はごくまっとうな若者だった。でも、いまでもそうかもしれないが、そのころもそんなことを考えて、それを実際に口に出して言っている人はまわりに誰もいなかったので、一人で本を読んでもんもんと考えているしかなかった。

今ならわかる。私は、「考える」ことが好きだったというよりは、「考える」ことで自由になれる、その解放感が好きだったのだ。自分の狭い価値観やものの見方をひっくり返されると、そこには思ってもいなかったような、思考の広い平原が広がっている。そこでようやく息ができるようになる。そんな感覚だった。

「死刑制度」について考え始めたのは、いつのことだったか。
でも、いつもそこに違和感があった。

世界的な潮流は死刑制度廃止の方向である。それは、私があのエッセーを書く前からそうだった。ヨーロッパはほとんどすべての国が死刑制度を廃止している。先進国で死刑制度があるのは、日本、アメリカ、韓国ぐらいで、韓国は長らく死刑を執行していない。日本でも「国家であっても人を殺すことは許されない」「人を殺すことは刑罰であっても人道に反し,野蛮である」と死刑廃止を訴える声はあがっている。

ところが、内閣府の世論調査では、2020年でも、「死刑は廃止すべきである」と回答した者が9.0%(前回調査9.7%)、「死刑もやむを得ない」と回答した者が80.8%(前回調査80.3%)なのである。もちろん、「死刑もやむを得ない」と回答した者のうち、「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」と回答している者は39.9%にも上っているなど、質問から総合的に判断すると、将来の死刑存廃に対する国民の態度は拮抗しているともいえる。(*注1・2)

「拮抗しているともいえる」、ということは、少なくとも圧倒的に死刑廃止ではないということだ。

そして私の考えも揺れていた。あのエッセーを書く前から揺れていたし、その揺れている気持ちをそのまま書いてみようと思ってできたのが、あのエッセーだった。でも、いろいろ葛藤はあったけど、いまは賛成派です、という宣言だと受け取った人もいたのだろう。というか、たしかにそういうふうにも読める。

本当は、そういうふうに「賛成か反対か」「黒か白か」みたいに立場をはっきりさせたがる風潮に、ちょっとおかしくないですか、と小声で言ってみたかったのだ。

人の考えってそんなに強固に変わらないものなんですか?  一回、死刑制度に賛成って言ったら、死ぬまでその考えを貫かなきゃいけないんですか?  むしろ「死刑制度」みたいな重い題材だからこそ、長い時間をかけて、いろんな人の意見を聞いたり、文献を読んだり、映像を見たりして、そのたびに考えを更新していけばいいんじゃないの?  フラフラと揺れているほうが、よっぽど誠実だと思うけどな。。

私のつたない文章では、読む人にそこまでわかってもらうことはむずかしかったかもしれないが、中田先生はそこをわかって、そのうえで褒めてくれたのか。

それとも、野暮が野暮なことを言いだした、しょうがねえなぁ、この野暮天は、と、一肌脱いでくれたのか。

今では確かめるすべもない。

*注1:内閣府世論調査 「令和元年度  基本的法制度に関する世論調査2 調査結果の概要 2.死刑制度に対する意識」より

*注2:日本弁護士連合会 「死刑制度に関する政府世論調査結果についての会長談話」2020年(令和2年)1月23日より

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