立石 光子

 中田耕治先生、

 うちの庭に、白木蓮の木が一本あります。
 春先になるとつぼみがふくらみ、ほの白い清楚な花をぽつりぽつりと咲かせてくれます。

 去年の夏、『中田耕治のコージートーク』で、先生の幼いころの思い出をつづられたエッセイが始まりました。
 先生が戦後最年少のもの書きとして文壇にデビューされて以降のことは、これまでお書きになったものや文学講座を通していくらか存じておりましたが、それまでの生い立ちやどんな少年時代を送られたかについては何も知らないことに思い当たり、連載のつづきが待ち遠しくなりました。

 小学校の低学年。同級生の美少女と、学芸会で共演したのがきっかけで一緒に登下校されるなんて、先生は小さいころからおモテになったんですね。かわいらしいカップルがちょっと緊張しながら並んで歩いている姿を、ほほえましく想像いたします。
 ご近所のきれいなお嬢さんからお誕生会にご招待を受けた甘酸っぱい思い出は、そのお嬢さんがのちに心中されるという衝撃の結末が、井上靖の『しろばんば』みたいだと思いました。
 土井晩翠の講話を聞けば詩人に、久保田万太郎の講演に行けば劇作家になりたいと志す、耕治少年の素直でまっすぐな、自分に対する矜恃をまぶしく感じます。
 外資系の会社にお勤めで、洋書に親しまれ、絵も描かれていたお父さま。先生が後年、アメリカのペーパーバックを片っ端から読まれ、それが翻訳家としての偉大な足跡につながったこと、本の装丁も任されるほどのすばらしい画才……先生の多面的な才能は、お父さま、ひいては三越でデザインのお仕事をされていたおじいさま譲りだったのですね。ハイカラでダンディーなお父さまと、目もとのすずやかな、きりっとした美貌で、努力家でいらしたお母さまのDNAが、先生のなかに脈々と受け継がれているのでしょう。
 大好きだったおばあさまと過ごされた塩釜でのひと夏の思い出も、胸に残りました。「おばあちゃん子」は優しいと聞きますが、先生はほんとうにお優しかった。こちらが弱っているときは敏感に察して、いつも絶妙な励ましの言葉をかけてくださいました。先生に愚痴を聞いていただくだけで、もう悩みの大部分は解消されたも同然でした。
 そして圧巻だったのが、木蓮をめぐる一編です。
 小学生のころにご覧になった白木蓮の老木、樹木の精、そしていま現在の先生、それらが最後の一文で渾然一体となって、読んでいて思わず「あっ」と声が出ました。中田耕治先生だからこそお書きになれる、むだのない、それでいてしみじみとした叙情の感じられる見事な掌編でした。

 先生が旅立たれてはや半年。
 最後のお誕生会では弟子のひとりひとりにお心のこもった助言をくださり、最後にご自分のありようを振り返られ、風のように会場をあとにされました。あのさっそうとした後ろ姿、いまも目に焼きついています。
 いつの日か、満開の白木蓮の下でお目にかかれますように。笑顔で再会できますように。
 これからも先生の教えを胸にきざみ、わたしなりに精進いたします。
 ありがとうございました。

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