野木 京子

 中田耕治先生。深く感謝しています。そして、さまざまなことが間に合わなくなったという淋しさにも直面しています。新しい詩集に辿り着いたときには、また先生にお渡ししたかった。わたしが書き続けているかどうか、先生はたびたび気にかけてくださいました。これからも、心のなかで、先生に詩集をお渡しし続けたいと思います。

 バベル翻訳学院にわたしが通ったのは二十代の一、二年間で、わたしは翻訳の劣等生でしたが、文学と言葉に対する先生の姿勢の厳しさに直に接したことが、その後、わたしが書き続ける根幹になりました。先生があれほど厳しかったのは、文学への深い愛情と、人間への信頼があったからだと思うのです。先生の姿を思い返し、自らの姿勢を正し続けたいと願います。

 わたしが幸運にも、詩の世界のH氏賞を受賞したとき、先生は電話で「わがことのようにうれしい」と言ってくださいました。あのときのお声が、いまもわたしの耳の奥で生きています。厳しくて怖いとばかりずっと思ってきた先生の温かさに触れ、驚き、大変うれしかったです。

 その後も、先生のご厚意にわたしは甘えさせていただきました。

 二○一六年には、わたしの願いを聞いてくださり、作家の原民喜をテーマとした、宮岡秀行さんの映画『微塵光』に、先生はご出演くださいました。お若かったころに会われた原民喜の思い出について、心に残るお話を語ってくださいました。撮影が終わったあと、先生が翻訳され、再刊行されたハヤカワ文庫SF『宇宙の眼』(フィリップ・K・ディック)の先生のサイン入りの本を、宮岡さんとわたしにプレゼントしてくださいました。複雑なパラレルワールドの世界を先生が見事に訳されたこの本も、わたしの宝物になりました。

 映画『微塵光』での先生のお話に、広島市在住の原民喜研究者の竹原陽子さんが深く感動し、竹原さんが上京したときに、一緒に、先生のご自宅近くまでお訪ねしたこともありました。先生は再びこころよくお会いくださいました。戦後、原民喜は一時期、「三田文学」の編集室があった神保町の能楽書林に住んでいましたが、当時の古い写真や能楽書林のかつての間取り図などを竹原さんがお見せすると、先生は「懐かしい」とおっしゃって、目を輝かせてご覧になり、当時のさまざまなことをいきいきと教えてくださいました。わたしと竹原さんにとって、宝物の時間でした。

 先生の最後のお誕生会となった昨年の十一月、わたしは家族の都合でどうしても伺うことができなかったのです。これまでのさまざまなことのお礼を、先生に改めて申しあげたかったのに、もうできなくなりました。このことは悔やまれてなりません。

 文学は、人の魂にとって王国のような場所であり、その王国は、天上世界にあるらしい、永遠の場所に繋がっているように思えます。先生はその永遠の場所に行かれてしまいましたが、いまもそこにある〝天上の王国〟でエネルギッシュに書き続け、読み続けていらっしゃるように感じます。わたしのほうは、これからも、先生が訳されたたくさんの小説、お書きになったルネッサンスのさまざまな物語、ルイ・ジュヴェの評伝等を読み続けたいと思います。

 ほんとうにどうもありがとうございました。

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