中野 るり子

 なけなしのお金をはたいて授業料を支払ったのでなければ、私はきっとあの教室から さっさと逃げ出していたと思います。先生に教わる初めての授業。まわりはみな それぞれに親し気な様子、体を固くしていると あたりには なにか、高尚な 洗練された アカデミックな空気が サラサラと 静かに流れていて、あぁ やっぱりやめればよかった、こんなこと私にはまったくの分不相応だったと、消え入りたくなるような心細さを 30年近く経ったいまも ほろ苦く思い出します。

 先生の講義で発言するときは 緊張と歯がゆさと自己嫌悪の連続、どんなに準備しても誰か別の人の言葉力に打ちのめされて、でもだからといって 悔しというのでなく もうそれは 驚きと感激 わくわくするような 言葉の宝石を毎回 大切に持ち帰る、そんな苦しくて楽しい期間でした。時折、ごくまれに、ほんの、ほんのわずか 「悪くない」ニュアンスを含んだ感想を先生から戴いたときの舞い上がりよう、あのころは 先生に 褒めてもらいたい一心でした。

 先生が遠く私の自宅近くまで会いに来てくださったのは、 勉強も ネクサスの集まりへの参加も途絶えた時期でしたね。 心が思うように動かなくなり なにもできず ただ毎日息をひそめ、下を向いていじけている、そんな私に先生は言いました。

「いつでも きみの 味方になってあげよう」

 先生。私は今年51歳になります。息子は大学生になりました。小さな字は顔を寄せないと見えないし 白髪染めの手間もわずらわしい。でも先生がくれた言葉は あれから30年ずっと 絶え間なく 私を生かしてくれています。なんという幸福なことだったでしょう。 あのときの私にはちゃんとわかっていなかった、この世の中に いつでも味方でいてくれるひとの 存在していることの奇跡を。今はわかります。失ってしまったから。 先生はもういなくて だけど先生はどこかで私の味方でいてくれるのでしょうか。

 迷うとき。弱くてずるい自分に負けてしまうとき。卑怯な行いを正当化して逃げるとき。きっとそれでも先生が味方でいてくれる。ひとつのただし書きもなく、ただ味方でいてくれる先生を 絶対に失望させたくないと思う気持ちはたぶん 30年前、張りつめた教室の片隅で、先生の言葉を一つも逃すまいと必死だった あの頃と 同じなのだと思うのです。

 先生。次お会いするときに 先生に褒めてもらえるように 人生の後半 もう少し頑張ります。見ていてもらいたいです。先生が私にしてくださったように。 強く優しくいられるように。

  2022.06.06 

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