初夏。勤労動員で農家で働いた。最初の仕事は、水田に苗を植え付ける作業だった。なれない作業で中腰になるので、田植えはつらかった。
ふと足元を見ると血が流れている。くるぶしの上から出血している。あわてて田んぼからあがった。
数匹のヒルが脛(すね)に張りついている。あわてて払い落とした。しぶといヒルはそれでも離れない。払い落としたやつはくねくね動いている。見るもおぞましい姿で。
田の畔(くろ)に生えていた草の葉にヒルをのせて、そのまま農家に戻った。台所の棚から塩をつかんでヒルにふりかけた。ナメクジとおなじだろうと思ったから。
よりによっておれの血を吸うとは、不届き千万。このヒルだけは許さない決心をした。ほんとうは、農作業をサボりたかったのだが。
いつまでも観察していた。やがておびただしい血を吐いてヒルはくたばった。
中年過ぎてから登山に夢中になった。
あるとき、安東 つとむ、吉沢 正英、ほかに数人の女の子たちといっしょに、登山道を歩いていた。このグル-プにKという女の子がいた。
深い木立を抜けてやっと中腹にさしかかったとき、ひとりの靴に見なれないものがべったりついていた。ヒルだった。私たちは完全装備だったから、ヒルが靴下に張りついても、すぐに皮膚まで食い破る危険はない。私はヒルから眼を離さずにザックの片手を外して、ポケットの食塩を出しながら歩きつづけた。女の子は気がつかない。
ヤマビルは、自分の10倍も血を吸う。南アルプスには、ヒルがたくさんいる山があって、こういう山を登るときはとくに注意しなければかならずやられる。
Kという女の子は、とてもまじめな、おとなしい性格で、登山の初心者だった。
彼女には、ほかの誰にもまねできない特技があった。どんなに浅くて幅の狭いクリ-クでも、かならず足をすべらせる。私は水流をわたるときはいつも彼女をサポ-トしたが、それでもかならず水に落ちて、靴を濡らしたり、片足を流れに落としてしまう。むろん、たいした事故ではない。ほんの2、30センチ、チョロチョロ流れる谷川のせせらぎをわたっても水に落ちる。
「あ、また落ちた!」
みんなが笑いだす。その笑いには少しも悪意はなく、彼女の「水難」がかえってみんなの笑いを誘う。それが、いつもみんなの結束をつよめた。
しばらく歩いてから、私は声をかけた。
「Kくん、きみのクツを見てごらん」
はじめてヒルに気がついた彼女は悲鳴をあげた。みんなが足をとめた。どこかに、小さな水たまりでもあったのか。みんながけげんな顔をした。私はそのヒルをKの靴下の上からもぎとって塩をふりかけた。ヒルは死の舞踏をはじめた。
「ここで休憩しよう」
私はみんなにヒルを観察させることにした。誰もヒルを見たことがなかったから。
塩をかけたのになかなか死なない。登山靴で踏みにじった。
彼女は、やがて私のパ-ティ-でもベテランになっていったが、ほかの誰にもない特技はなかなかなおらなかった。
私はヒルにはげしい敵意をもっているらしい。