ひとはどうして芸術をこころざすのか。
菊池 寛は、「小説家たらんとする青年に与う」という文章の中で、
小説を書くのに、一番大切なのは、生活をしたということである。実際、古語にも「可愛い子には旅をさせろ」というが、それと同じく、小説を書くには、若い時代の苦労が第一なのだ。金のあるひとなどは、真に生活の苦労を知ることはできないかも知れないが、とにかく、若い人は、つぶさに人生の辛酸を嘗めることが大切である。
という。いかにも菊池 寛らしい実際的な見解である。
画家の東山 魁夷は、東京美術学校の在学中に「帝展」に入選したほどの才能を持ちながら、ドイツに留学のあと、惨憺たる道を歩んだ。父の商売が破綻して、貧困の中で母、弟の病気、父の死、応召と、立て続けに不幸に見舞われている。「私の履歴書」というエッセイに、魁夷は書いている。
若いときの苦労は薬だとよく言われるが、それは結果的に見て薬であって、本当は薬というよりも毒であると私は思う。
という。
私は、このお二人とは比較にもならないしがないもの書きだが、自分なりに意見を述べることは許されると思う
若いときに人生の辛酸を嘗めることは、芸術家にとってけっして必要条件だとは思わない。できれば苦労などしないほうがいい。ほとんどの人は、苦労すればするほど人生に押しひしがれてしまうのだ。私にしても、あたら才能を持ちながら、人生に敗れて自殺したり、消えていった人々をいくらでも見てきた。それこそ死屍累々といってよい。
だから、菊池 寛のように「小説を書くには、若い時代の苦労が第一」などとは、けっして思わない。
問題は、もっと別のところにある。
私は、もっとも親しい身辺の人々を、妻以外には全部失ってしまったときから、芸術に徹する生活が始まったのかもしれない。
東山 魁夷はいう。さりげない言葉だが、芸術家が芸術家であろうとする覚悟はこういうものだろうと考える。
かつて文壇の大御所といわれた菊池 寛の作品は、もう誰も読まない。東山 魁夷の作品は、これからもたくさんの人に何事かを伝え続けるだろう。
もとより、文学と絵画といったジャンルの違いに問題があるのではない。