1862

2020年4月7日(火)晴。

この1~2週間前に公開されていた映画を記録しておく。「パラサイト 半地下の家族」(12週目)、「犬鳴村」(8週目)、「スマホを落としただけなのに」(6週目)、「ミッドサマー」(6週目)、「仮面病棟」(4週目)、このほか4週目に入ったばかりの「一度死んでみた」、「ハーレクィンの華麗なる家族」、「弥生、3月」、「サイコパス 2」など。このほか、スーダン映画「ようこそ、革命シネマへ」、「白い暴動」(イギリス映画)、「囚われた国家」(ロバート・ワイヤット監督/アメリカ映画)など。

私は、この映画を1本も見ていない。せっかく公開されながら、こうした映画の大多数は、誰にも見られないままオクライリになってしまう。これらの映画が再上映されるかどうか。おそらく、その可能性は低いだろう。コロナ・ウィルスが収束しても、そのときはもう誰の記憶にも残っていないだろう。

これらの映画の製作に当たった監督、制作スタッフ、出演者たちの無念は察するにあまりがある。
今回の中国コロナ・ウィルスのおそろしさは、「サーズ」と違って私たちの文化に回復できないほどの傷を与えることにある。

他人にとっては、とるに足りない些細なことでも、本人にとっては忘れられない光景があるだろう。私のように平凡なもの書きでも、幼年期から少年期にかけて、今でも忘れられない情景がある。

私は、戦前の大不況をいくらかおぼえている。1930年代初期、私が5歳のころ、外資系の会社に勤めていた父の昌夫は、突然失職した。母、宇免は2O代になったばかりだった。昌夫は三日間、あたらしい就職先をさがして、やっと別の外資系の会社に就職がきまった。ただし、あたらしい就職先は東京ではなく、仙台だった。
私は、このとき、大不況ということばを知った。経済用語としてではない。幼い自分をふくめて、家族3人が何かおそろしい運命に翻弄されているという、漠然とした不安が「大不況」だった。その不安は、はっきりしたかたちをとってはいなかったが、幼いながら、自分たちの行く手に何かおそろしいものが待ちうけているような気がしたのだった。

はじめて、仙台に着いたときの印象は、はるか後年、「おお、季節よ、城よ」のなかに書きとめてある。貸家をさがしまわって、広瀬川にのぞむ高台の小さな公園に立って、沈む太陽を眺めていたとき、幼い私はふるえていた。

中国ウイルスの感染が拡大して、ついに「緊急事態宣言」が出たとき、かつての幼い私とおなじような不安を感じた幼児がいるかも知れない、と思った。

1861

私には文芸としての川柳のおもしろさがわからない。
それでも、気に入った川柳はいくつもある。

深川で買って行かうと 汐干狩り

真 垣

赤旗を前垂れにする 下の関

めで度    (文政時代)

大江戸の月は 須磨より 明石より

水 魚    ( 〃 )

見るでなし見せるでもなし 緋縮緬

老 莱    ( 〃 )

二の腕を反故染(ほごぞめ)して二十七

綾 丸  ( 〃 )

いずれも文政期の川柳。せいぜいこの程度の川柳しかわからない。それでもこんな川柳を見つけて、ニヤニヤしたり、ニンマリしたり。

もっとむずかしいのは、「武玉川選」。のちに前句づけの狂句に移行する句集だけに、五七五に七七の句をつけても、私にはわからないものばかり。
いろいろと考えて、やっと、落ちや、うがちにニヤニヤする。

去られてもの 去られてもまだ 美しき

うつくし過ぎて 入れにくい傘

朝顔の 一夜指さす 天の河

ともし火も吹き消しやうで恋になり

軽井沢 ほどほどに出る 物着星

なんとかわかる句にぶつかると、それがうれしくてニンマリする。コロナ・ウィルス感染の時期に、大昔の川柳を読むなんざ、いい気分だね。

1860

 

香織さん、茂里さん。

きみたちの手紙で、私なりにコロナ・ウイルスの日々や、自分の生きてきた時代を考えてみようと思いはじめた。

ごく大ざっぱにいって――私の世代は、大不況、日中戦争、太平洋戦争、「戦後」、バブル、平成という不毛の「失われた20年」を生きて、ここにきてコロナ・ウイルスの災厄を見なければならなくなった不幸な世代なのかも知れない。

そういえば――きみたちは平成不況からようやく立ち直りかけながら、ここにきてコロナ・ウイルスの後遺症に苦しむ最初の世代ということになる。どちらが、より不幸なのか。

ところで、コロナ・ウイルスの日々、私にとって、おおきな楽しみのひとつは――
きみのあたらしい仕事を読みつづけることだった。

スーザン・イーリア・マクニールの「スコットランドの危険なスパイ」(圷 香織訳)。「マギー・ホープ」シリーズの最終巻。これだけで、442ページの大作。

「スコットランドの危険なスパイ」のヒロイン、「マギー・ホープ」は第2次世界大戦中、イギリス首相、ウインストン・チャーチルの秘書だった。(第1巻)こういう設定の意外性から、まず原作者の驚くべき力量が想像できる。
やがて、「マギー」は、王女、「エリザベス」の家庭教師になる。いうまでもなく、「戦後」のイギリスに君臨する女王、エリザベス二世である。(第2巻)
「マギー」は国王陛下直属のスパイとして訓練を受ける。(第3巻/第4巻)
「マギー」は、戦時中の上流階級のレディとして、ナチス・ドイツの情報機関を相手に死闘を続ける。さらにバッキンガム宮殿の内部に潜入している二重スパイを追求したり、ブンス本土でナチに抵抗するレジスタンスを応援したり。(第5巻/第6巻)

ところが、特別作戦に参加しなかったため、イギリス情報部の秘密を「知り過ぎた」スパイとして、スコットランドの西海岸、それこそ絶海の孤島の奇怪な古城に軟禁される。ほかにも、「マギー」とおなじように有能で、スパイとして活動してきた9名の工作員がこの古城に「隔離」されている。
この孤島から逃亡できる可能性はない。

そして、あらたに一人の工作員が島に送り込まれる。その日から、先住の工作員がつぎつぎに異様な死を遂げる。工作員同志が互いに連続殺人事件の犯人ではないかと疑い、次に血祭りにあげられるのは自分ではないかという恐怖のなかで、「マギー」は、見えない敵に反撃を開始する。だが、誰を目標にすればいいのか。誰が、何のためにつぎつぎと「敵」を葬りさってゆくのか。

私は、スパイ小説が好きで、オップンハイム、ル・キューから、サマセット・モーム、グレアム・グリーン、エリック・アンブラー、さらにはフレミング、ル・カレと読みつづけてきた。

スーザン・イーリア・マクニールの「スコットランドの危険なスパイ」を圷 香織訳で読んだおかげで、コロナ・ウイルスで鬱屈した気分が晴れた。
私としてはパリ潜入のあたりの「マギー・ホープ」にいちばん魅力を感じているのだが。

書評を書くわけではないので、コロナ・ウイルスの日々、毎日、本を読む楽しみをあたえてくれたきみの仕事がありがたかった。

また、いつかきみに会う機会があれは、私なりの感想をつたえたいと思っている。

1859

コロナ・ウイルスの日々。

知人、友人たちに手紙も書かなくなっている。

翻訳家の圷 香織から手紙。私が沈黙しているので、心配してくれたらしい。

「先生を囲んで最後に集まってから、半年ほどが過ぎましたが、あれから世の中がすっかり変わってしまったことに、あらためて目の覚める様な思いがします。」

「あれから世の中がすっかり変わってしまった」という思いは、私もおなじ。もう、これからは、コロナ・ウイルス以前の世界に戻ることはないだろう。

しかし疫病というのは恐ろしいものですね。なんだか怪奇小説の中に入り込んでしまったかのようです。とはいえ、無症状の保菌者がまき散らすことで世界を危機に陥れるウイルスだなんて、フィクションの世界でもちょっと思いつかないというか、リアルではないということで却下されて仕舞うような気がします。やはり、現実は小説より奇なり、ということでしょうか。(中略)
戦争をはじめ、これまでさまざまなご経験をなされてきた先生には、このコロナ騒動がどのように見えているのでしょうか。いろいろお考えがおありかと存じますので、ブログなどでご紹介頂けるのを、いまから楽しみにしております。

ずっとあとで、作家の森 茂里が暑中見舞いをくれた。

この半年余り、SFの世界に迷い込んだような気分です。

 という。そうなのだ。
7月23日、中国の火星探査機が打ち上げられ、予定軌道に乗った。これは、火星軟着陸を目指している。まさに、SFの世界で、その2日前には、UAE(アラブ首長国連邦)が、日本のH2Aロケットで探査機を打ち上げている。
いまや宇宙戦争の蓋然性、可能性が、私たちにつきつけられている。

「ウィズ・コロナ」どころではない。私たちは「なんだか怪奇小説の中に入り込んでしまったかのようで」、まさに「SFの世界に迷い込んだような気分なのだ。

考えただけでワクワクしてくる。

ありがとう、香織さん、茂里さん。

1858

コロナ・ウイルスの日々。「世に飽きし無聊のため」ではなく、暇にあかせて、読み散らした詩の一節。

   獨往 路難盡   どくおう みち 尽きがたく
窮陰 人易傷   きゅういん 人は いたみやすし

唐の詩人、崔 署(さいしょ)詩の一節。この人については、何も知らない。しかし、この思いはいまや切実なものとして、私たちに迫ってくる。

無謀を承知で訳してみた。

     さすらいの 一人旅
冬の終わりは ひたにしみる凍て

やっぱり、私には訳せない。

さて、暇つぶしならポップスの歌詞でも訳してみようか。キャサリン・マクフィーの歌をききながら、そんなことを考えた。キャサリンのために、コール・ポーターや、サミー・カーンぐらいなら訳せるかも知れない。

1857

コロナ・ウイルスの5月にふさわしくない詩を。

LA NUIT DE MAI

LA MUSE

Poète, prends ton luth et me donne un baiser ;
La fleur de l’églantier sent ses bourgeons éclore,
Le printemps naît ce soir ; les vents vont s’embraser ;
Et la bergeronnette, en attendant l’aurore,
Aux premiers buissons verts commence à se poser.
Poète, prends ton luth, et me donne un baiser.

アルフレッド・ド・ミュッセ。
「五月の夜」の LA MUSE(ラ・ミューズ)。冒頭の一節。

声に出して読むと、五月、おぼろながら、どこかねっとりした風がさわやかに吹いてくる。この詩は、詩人と女神(ミューズ)の対話。リュートは、竪琴(たてごと)。

上田 敏の名訳がある。

うたびとよ、こといだけ、くちふれよ。
はつざきの はなそうび さきいでて
このゆうべ かぜぬるし、はるはきぬ。
あけぼのを まつや かのにはただき
あさみどり、わかえだに うつりなく
うたびとよ、こといだけ、くちふれよ。

さすがにいい訳になっている。

ただし、今の私には、どこか違和感がある。ミュッセの詩は、こんなものだったのか。上田 敏訳はたしかに名訳といっていいのだが、なにか肝心のところを抑えていないような気がする。

明治時代の訳だからことさら古びて見えるのか。

うたびとよ、こといだけ、くちふれよ。

詩人にむかって竪琴(たてごと)を奏でつつ、唇を寄せるがいい、という呼びかけの、いわば肉感性が出せなかったのか。prendsが命令形なのだから、竪琴(たてごと)を手にして恋人の唇を奪えといい切る強さが出せなかったのか。

たとえば――「巷に雨の降るごとく 我の心に雨が降る」というヴェルレーヌの有名な詩を、

都に雨の降るさまに、
涙、雨降る わがこころ、
わが胸にかく泌(しみ)てゆく、
この倦怠(けだるさ)は何ならむ。

と訳した若者がいる。はるか後年、英文学の泰斗として知られた矢野 峰人。これもいい訳だが、最後の部分、私としてはどこか納得できない。

別の訳例をあげようか。(矢野 峰人の訳ではない。)

泉が自分の霊から湧いて出んでは
心身を爽やかにすることができない

明治時代の、「ファウスト」訳。これがゲーテの訳なのか。失望した。

永井 荷風ならどう訳したろうか。

たまたま、荷風が「戦後」(1946年)に発表した「問はずがたり」の冒頭に、ミュッセの詩、1行が掲げてある。

修らぬ行(おこない)は世に飽きし無聊のため、
歎き悲しむ心は生れながら。

これはすごい。私はひたすら感嘆した。「問はずがたり」は、「戦後」の荷風、再出発を告げる作品だったが、石川 淳などの貶降(へんこう)を受けた。今の私は、あらためて、「戦後」の荷風に敬意をもっているが、このミュッセ1行に託した荷風の鞜晦(とうかい)に驚嘆する。

そして、 荷風は詩を訳しても一流の翻訳家だったと思う。

1856

私はなぜ詩を訳さなかったのか。答えは簡単なものだ。

私には語学的に詩を訳す能力がなかった。そもそも詩魂がなかった。

それでも、詩を読まなかったわけではない。当然、好きな詩人はいたが、翻訳しようなどと思ったことはない。好きな詩人といえば、イエーツ、ディッキンソン、シルヴィア・プラス。ただし、たまに手にとってふと口にのせてみる程度。

イエーツの戯曲も好きだが、たとえば、松村 みね子訳を読んでしまうと、イエーツを訳そうなどという不遜な気は起きなかった。また、訳しても出せるはずがなかった。何しろ貧乏だったから、ミステリーの翻訳をつづけるのにせいいっぱいで、詩を翻訳する余裕もなかった。

詩の訳は戯曲の訳よりもむずかしい。これが、私の信念になった。

1855

コロナ・ウイルスの日々。無聊にすごした。野木 京子が送ってくれた詩、詩の雑誌で現代詩を読む。私のような<もの書き>には、めったにない経験で、現代詩を知らないだけに、けっこうおもしろかった。

そういえば、私は詩を訳したことがない。むろん詩を訳したいと思ったことはある。

若い頃、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズを訳した程度。ディラン・トマスを訳したいと思ったが、訳しかけて途中で放棄した。どこにも発表する機会がなかったから。
詩を訳したことがないにしても、詩人に対する敬意は忘れたことがない。もう時効だから、恥をしのんで告白するのだが、詩劇を書いてみたいという、大それたことを思い立って――ワーズワースの詩をもとにして、「ハイランドの乙女」という詩劇めいたものを放送(NHK)したことがある。けっこう本気だったらしく、アーチバルド・マクリーシュの詩劇の模倣を放送したこともある。誰が出演したのか忘れてしまったが、「文学座」の文野 智子や、「ぶどうの会」の若い役者たちが出たことはおぼえている。
まだ、テープの録音などできなかった時代で、エボナイトのディスクに音を刻み込む時代だった。これが、私が芝居にかかわるきっかけになった。

はるか後年、オスカー・ワイルドの詩劇、「パデュア大公妃」を訳したときは、はじめから散文の悲劇として訳した。あとは、拙著「ルイ・ジュヴェ」の中で、ジュヴェが朗読したA・ウィレットの詩ぐらい。
そういえば、マリリン・モンローの詩を訳して「ユリイカ」に発表したっけ。

自分でも気に入っているのは、断片ながら、アルフレッド・ベスターの「虎よ虎よ」の冒頭、ブレイクの詩の一節。
詩ではなく、ポップスの歌詞を訳したことはある。たとえば、ジャニス・ジョプリン。「コズミック・ブルース」。

1854

野木さんは、昨年の五月から、今月中旬まで、一年間、「現代詩手帖」の新人投稿欄の選者をやっていたという。今月の五月号で、選者として最後の役目になる、現代詩手帖賞を決定したのだった。毎年選者二人の対談で受賞者が決定するのだが、今年はコロナのせいで、メ-ル対談となった。

「現代詩手帖」と、もう1冊、野木さんが出している同人誌、「八景」5号。
こちらには、「庭の片隅で」と「乾いた広い土地」の2編と、エッセイが掲載されている。

人の秘密は
空洞があって
空洞を取り囲んでいるものがあって
ときどき 内側から崩れてしまう

私は、「乾いた広い土地」の一節を読んで、すぐに、ああ、そうだなあ、と思った。
この「ああ、そうだなあ」という思いを説明するのは少しむずかしい。私の勝手な連想なのだから。
私は、映画女優、キム・ノヴァクが描いた一枚の油絵、「落ちた王さま」を思いだしていた。

これは父を描いたもの。バックは「化石の森」から着想したの。全身の感覚が麻痺して化石みたいになった男。感覚も情熱も何もかもがなくなった。だから死んじゃったの。

「化石の森」の荒涼たる砂漠と、遠くに燃えさかる赤い炎のような空、放心したように佇む男のまなざしには、希望のかけらもない。私はこの絵をキム・ノヴァクのどんな映画よりも傑作だと思っているのだが、「人の秘密は/空洞があって/空洞を取り囲んでいるものがあって/ときどき内側から崩れてしまう」という野木 京子の詩を読んで、「ああ、そうだなあ」と思ったのだった。

むろん、キム・ノヴァクと、野木 京子にはまったく関係はない。ただ私は、キムの絵を見た感動を、野木 京子のことばを借りて、勝手に言い換えただけなのだ。

私も全身の感覚が麻痺して化石みたいになった男なのだ。そして、私にも、秘密がある。その秘密にはやはり空洞があって、その空洞を取り囲んでいるものがある。
それはもはや、内側から崩れている。

野木 京子は書いている。

この一年、パワフルな若い人たちの、バリバリの現代詩の投稿作を山ほど読み続
けているうちに、自分の詩が書けなくなってしまいました。少しづつ調子を取り戻していきたいと思います。

私も、きみのおかげで、少しづつ調子を取り戻してゆく。

1853

 

コロナ・ウイルスの日々。4月から5月いっぱい、ただもう無聊にすごした。

なんとなく、キ-ツの一節を思い出しながら。

そして小さな街よ きみの街並みは 永遠に
沈黙をつづけて……

 毎日、無数の人が感染して、その感染がひろがりつづける。(7月23日、世界の感染者数は、ついに1500万人に達した。 後記)
この感染者数の何%かの人が、ただの無意味な数字になって計上される。こういう死者たちは、自分の人生をできるだけ早く終わらせたいという思いから、数字の1つにむかって必死に走りつづけたのか。

2020年5月15日(金)晴。友人、野木 京子が、「現代詩手帖」5月号と、同人誌、「八景」を送ってくれた。
野木 京子は、「現代詩手帖」で1年間、投稿の選者をつとめて、この5月号で、「現代詩手帖賞」の選考をおえたという。

昨年の五月から、今月中旬まで、一年間、「現代詩手帖」の新人投稿欄の選者の仕事をしていました。
若い人たちの運命を左右する役目でもあり、私には荷が重くて、緊張していた一年間でした。同封させていただいた、今月の五月号で、最後の役目になる、現代詩手帖賞を、ぶじに決定することができ、役目を終える事が出来て、私はとてもほっとしております。先生はあまりご興味ないかと思うのですが、一年間私ががんばった記念(?)のつもりでお送りしました。

野木 京子が、私のブログ再開をよろこんでくれている。
ありがとう、京子さん。

私は、現代詩をほとんど知らない。しかし、野木 京子さんのおかげで、「詩について」とりとめもなく考えはじめた。

1852 (2020年4~5月の記録)

20年4月22日(水)。毎日、同じような時間が流れてゆく。
川柳を読みつづける。

外出自粛を続けている。わが家の近辺ばかりでなく、通りに通行人の姿はない。車も通らない。まるで、戒厳令が布かれたような状態。
このまま5月の連休明けまで家の中で過ごすのだから、退屈な日々が続く。仕方がない。川柳はむずかしいので、短歌を読むことにした。

尾上 柴舟編の「敍景詩」。
この旧派の和歌は、どういうものだったか。つまり、子規と対立していた歌人たち、現在ではもはやその存在も忘れられた歌人たちのもの、その敍景詩を読む。

朝の鳥に聞け、朝の雲に希望を歌ひ、夕の花に運命をささやくにあらずや、谷の流に見よ、みなぎる瀬には、喜の色をあらはし、湛(たた)ふる淵には、夏の影をやどすにあらずや。

金子 薫園、尾上 柴舟編の「敍景詩」の序文の書き出し。明治35年の美文。

なにごとか御堂の壁にかきつけて 若きたび僧はなふみていにし

河田 白露

読経やみて昼 静かなる山寺の 阿伽井の水に花ちりうかぶ

朽木 鬼仏

誰(た)が墓にそなへむとてか花もちてをさな子入りぬ ふる寺の門

平井 暁村

一すじの砂利道ゆけば右ひだり 菜のはなばたけ 風のどかなり

須藤 鮭川

かりそめに結(ゆ)ひし妹があげまきの髪のほつれに春のかぜ吹く

みすずのや

行き行きてつきぬ山路のつくるところ 白藤さきて日は斜(ななめ)なり

川田 露渓

 こういう短歌から、明治中期の風景を想像する。もはや失なわれた風景を。
なぜか、なつかしい風景に見える。
ただし、なつかしい、おだやかな敍景だが、コロナ・ウイルスの感染にさらされている現在の若い世代にはまったく想像もつかない風景だろう。

しかし、こうした和歌の伝統は、正岡 子規によって断ち切られた。
あらためて、日本人に特有な叙情性について考える。

「アララギ」によって駆逐されたはずの金子 薫園、尾上 柴舟などの影響は、新聞の短歌欄など、遙か後年の現在にも残っているような気がする。

 

 

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1851 (2020年4~5月の記録)

20年4月21日(火)午後、晴。
連日、中国ウイルスの感染拡大のニューズ。ただでさえ、気もちが萎えそうな時期に、日本海溝・千島海溝で起きる巨大地震の想定が公表された。それによると、北海道沖から岩手県沖で起きる大地震の規模は、マグニチュード9クラス。この巨大地震のエネルギーは、東日本大震災(2011年)の1・4倍、千島海溝で起きる巨大地震では、2・8倍。これはすごいね。日本沈没だよ。
ツナミがくる。宮古市(岩手県)では最大29.7メートル、北海道の襟裳町で27.9メートル。八戸(青森)で26.1、南相馬(19.0、気仙沼(宮城)で15.3。当然、関東地方の海岸にも、ツナミの余波はくるはずで、茨城、千葉で、10メートルぐらいのツナミに襲われることになる。

こうなったら、今のコロナ・ウイルスどころのさわぎじゃないね。
その頃、私はとっくに野末の石の下だが、花輪の墓だって流されてしまうかも。恐ろしくて身がすくむ。考えるだけで不吉なまがまがしさにおののく。だけど、もうとっくに世をはかなんでしまったわけだから、いまさら幽霊になるわけにもいかねェだろう。ま、あきらめるっキャねぇか。(笑)

1850 (2020年4~5月の記録)

「外出自粛」の日々。
20年4月7日、安倍首相が緊急事態宣言の表明。対象は、東京都、神奈川、埼玉、千葉、大阪府、兵庫、福岡の都府県。期間は5月6日までの1カ月程度。

東京では、6日、大学、映画館、ナイトクラプなども休業している。
わが家の前の道路も、今朝から1人も通行人がいない。車も通らない。日本人の気質、とくに従順さ、規律正しさが、よくあらわれている。

この頃、イギリス、ジョンソン首相は、コロナ・ウイルスの感染で入院していたが、病状が悪化したため、6日、集中治療室に入った。首相代理は、ラーブ外相。イギリス政府では、ハンコック保健・社会福祉相も感染、他にもウイルス感染で自主隔離に入った閣僚もあり、首相の婚約者(妊娠中)も感染が疑われている。イギリスの感染者数、5万2000人、死者、5300人を越え、1週間で感染者は2倍、死者は3倍に急増していた。
アメリカは、感染者数、36万6614人、死者、1万783人。N,Y.市長は、希望的観測としながらも、感染拡大のペースが抑えられ始めた可能性がある、としている。

 

緊急事態宣言、3日目。20年4月8日(水)快晴。
中国ウイルス。6日の時点で、世界の死者数は7万人を越えた。2日に5万人、5日に6万を越えていたから、バンデミックの進行はとまらない。N.Y.は、5日の時点で、死者数は4159人。4日は、504人で4日の630人を下まわったので、いくらか安心したのだが。
何も読むものがないので「中国帝王志」の1920年代の部分を読む。

 

20年4月9日(木)快晴。外出自粛を続けている。わが家の近辺ばかりでなく、通りに通行人の姿はない。車も通らない。まるで、戒厳令が布かれたような状態。
このまま5月の連休明けまで家の中で過ごすのだから、退屈な日々が続く。仕方がない。

私は、DVDばかり見ていた。なにしろ時間をもてあましているのだから。思いがけない「再発見」もある。「あいり」の2作目。前に見たときは、これが2作目とは気がつかなかった。こんなことに気がつくのも、室生 犀星ふうにいえば――「今日も一日生きられるという素晴らしい光栄は、老いぼれでなければ捉えられない金ぴかの一日」なのだから。

中国ウイルスの感染拡大で、大きな被害を受けているイタリア・ミラーノ。まったく観客のいない大聖堂の広場で、ボッチェッリがアカペッラで「アヴェ・マリア」ほか5曲を独唱した。久しぶりにボッチェッリを見たが、容貌はすっかり老人で、別人のようだった。歌よりも、そんなことに胸を衝かれた。
南米コロンビアで、男女の外出禁止。これも中国ウイルスの感染拡大を防ぐため。ボゴタ市内のショット。公園の広場、男たちが2、3人、ベンチでぼんやりしている。N.Y.は、感染者10万3208人、死者、6898人。日本人女性で、ミュージカル、「ミーン・ガールズ」の舞台にたっていたリザ・タカハシの証言。ブロードウェイは、「アラジン」、「プロム」などを公演していた劇場すべてが中止。2月には、まだオーディションが2,3あったが、3月から皆無になった、という。こういう状況で、いちばん先に生活に困るのは、多数の舞台関係者、芸術家たちなのだ。

読みたい本があるのだが、本屋も休業。なにしろ暇なので、まだ手元に残してある本を読み返す。昨日は、明和の川柳を読みつづけた。ほとんどの句は、わからない。当時の世態風俗を知らないし、典拠も見当がつかない。それでも、一句々々、ゆっくり読んで行く。

一生けんめい 日本と書いて見せ

 こんな句にぶつかると、18世紀、明和の頃に、すでに日本という国家観念が庶民に理解されていたのだろう。「あふぎ屋へ行くので唐詩選習ひ」という句があるところを見れば、庶民が中国を意識していたことはまちがいない。そういえば、「紅楼夢」はいつ頃から日本で読まれたのか。そんなことまで考える。これまたまったくの暇つぶしだが。

日本へ構ひなさるなと 貴妃はいひ     

三韓の耳に 日本の草が生え     松 山    (文化時代)

日本の蛇の目 唐までにらみつけ   梁 主    (文化時代)

日本では太夫へ給ふ 松の號     板 人    (文政時代)

東海道は日本の大廊下        木 賀    (文政時代)

 江戸の、化政時代の文化も、私の想像を越えているのだが、川柳のなかにも、役者の名が出てくる。海老蔵、歌右衛門、三津五郎、路考、菊五郎、宗十郎、彦三郎、田之助、半四郎、小団次などがぞくぞくと梨園に登場してくる。
こうした名優たちの名跡の大半は、今に受け継がれている。

はじめこそ猥雑なものだったに違いないが、やがて、芸風も洗練されて、すぐれた劇作家もぞくぞくとあらわれる。
私は、歌舞伎をあまり見なくなったが、それでも、今の海老蔵の団十郎襲名にあたっては、見たこともない五代目(後の白猿)や、水野越前の改革で、江戸を追放された七代目の故事を重ねて、しばし感動したものだった。

もはや誰も知らない名優たちをしのびながら、あらぬ思いにふけるというのも、中国ウイルスの感染拡大で、ブロードウェイの劇場が軒並み休場している現在、多数のミュージカルのアンサンブルが失業していることに、心が痛む。

錦着て 畳の上の乞食かな  市川 団十郎(五代目)

1849 (2020年4~5月の記録)

私たちは、武漢コロナ・ウイルスの発生時に、(WHO)の香港出身のマーガレット・チャン(香港出身の前・事務局長)の発表を見た。このとき、マーガレット・チャンは、ヒト=ヒトの感染は「ない」と表明した。
翌日、WHO(エチオピア出身の事務局長)のテドロスは、おなじ趣旨の発言をしたが、 後日、(20年4月15日)、アメリカのトランプ大統領は、WHOに対して、「中国寄り」を非難し、資金拠出を停止すると発言した。中国ウイルスの初期に、中国側の隠蔽がパンデミックをもたらした。
テドロスは、初期のウイルス感染いらい、終始、中国側の意向を重視して判断を誤った。テドロス罷免を訴えている人が、100万人をこえている。私は、テドロスの責任よりも、マーガレット・チャンの責任の方が大きいと考えている。

わずか2週間のちに、アメリカ大統領、トランプは――「われわれを守る任務がある組織が失敗したため、アメリカは恐ろしい多数の死と経済的な惨状に見舞われている」という。
この日、アメリカの感染者数、60万9516人、死者、2万6057人。N.Y.は、4月14日昼までに、死者は6000人を越えて、擬陽性を含めると、死者は1万を越える可能性があるという。
これでは、トランプがWHOを非難するのも無理はない。むろん、トランプ大統領としては、11月の選挙に向けて、彼自身がウイルスへの対応に遅れたという批判をかわすためと見られる。

1848(2020年4~5月の記録)

(つづき)

*   *   *   *

 ……世界全体も大きく転換していきそうですが、これからの時代をどう予想されますか。

令和の時代、まずオリンピックは成功する。だが、私たちが想像もしなかった激甚な変化が起きるだろう。一時的な経済的な見せかけの繁栄の背後に、さまざまな衰退、おそろしい影が迫ってくる。(1)

 (1)に関して。

2020年2月の時点で――私は武漢コロナ・ウイルスの発生など、まったく予想もしていなかった。(ずっとあとになって、占星術の本に、21世紀初頭に「奇病が世界を襲う」という記述を見つけた。むろん、そんな記述を信じたわけではない。)

「令和の時代、まずオリンピックは成功する。」と私は見た。これも私の不明。
オリンピックはエピデミックが収束し、かつ、日本がいくら努力しても、残念ながら成功しない。なぜなら日本で収束しても、他国のエピデミックが収束しないかぎり、オリンピックは失敗とまでは行かなくとも、成功したとはいえない程度のレベルで終わるだろう。残念ながら。

「私たちが想像もしなかった激甚な変化が起きるだろう。」これは当たったが、私が予想したのは、経済的な破局であって、大不況の到来を考えていたのだった。私は、2019年夏期の段階で、アメリカの株価、ダウ平均の動きを見ていた。いうまでもなく、アメリカvs中国の経済闘争が背後にあった。この時期の株式の乱高下に異常な緊張を見ていた。いずれ、これは破局的なものになるかも知れない。
トランプ以前に、どれほどの人が、現在の政治・経済体制を想像したろうか。
私は、お互いに一歩もゆずらない姿勢に「恐怖」を感じた。
その帰結はかならずやってくる。

私は、少年の頃、日中戦争の拡大と、ヨーロッパの戦争の展開を見てきた。それぞれが世界戦争のかたちをとっていなかったが、二つの戦争が、それぞれ1929年の大不況の影響の結果として、満州事変と、ナチスの台頭をもたらしたと見ていい。

習 近平の「一路一帯」構想が、典型的な帝国主義経済の発展であって、いわば中国による各国の植民地化、中国の勢力範囲が世界のあらゆる所にひろがって行くだろう。それは、アメリカ・ファーストと衝突して、世界の従来の均衡を破壊する。
そう見れば、大不況は必至と見たのだった。

私が――「一時的な経済的な見せかけの繁栄の背後に、さまざまな衰退、おそろしい影が迫ってくる」と考えたのは、今となっては、誤りと見たほうがいい。「緊急事態宣言」解除のあと、「一時的な経済的な見せかけの繁栄」などない。むしろ、国民の多数が、いっきに貧困や差別に苦しむことになる。

さまざまな衰退ではない。すべてが衰退する。

たとえば、コロナ・ウィルスの検査にあたっている医療関係者に多数の感染者が出ていること、また感染経路の不明者(とくに若い女性に多いという)が出ている事を考えた場合、そこに、私はウイルスのように見えない「貧困」や、社会的な、さらには性的な「差別」を見る。

私たちは、コロナ・ウイルスの出現で、さまざまな欠陥を知った。医療現場で、人工呼吸器、防護服、マスクなどの基本的な必需品の不足や、検査薬も不足しているという欠陥を突きつけられた。北イタリアで、次々に搬送されてくる患者が病院の廊下に寝かされて、診察も受けられないまま死んでゆく光景をテレビで見たとき思わず慄然としたが、日本でも、重症患者が搬入先の診療所から拒否されて、救急車が受入れ先をさがしまわるといった例も多発した。

コロナ・ウイルスのもたらしたものは、もはやエピデミックなどではなくパンデモニックな「格差」と「貧困」の姿だった。

1847(2020年4~5月の記録)

2020年5月3日(日)、コロナ・ウィルスによる新型肺炎の感染拡大がとまらない。日本国内の死者数が500人を越えた。

つい先月だったが、中旬からは、週に100人を越えるペースだったが、4月28日に400人を越えて、わずか4日後には、500人を越えた。

ここにきて、「緊急事態宣言」は、さらに延長されることになった。

私は、平凡な作家だが、この中国コロナ・ウイルスの猖獗(しょうけつ)をみながら、きたるべき「コロナ後の世界」について、私なりに考えてきた。私などが考えたところで、何の意味もないと承知している。しかし、これは、誰の意見でもない。あくまで平凡な作家のつぶやきにすぎない。

1年前、(2019年5月)、私は「ADIEUの前に」というエッセイを書いた。
平成の時代が終わって、まさに令和改元の時期、田栗 美奈子のインタヴューにこたえたものだった。

*   *   *   *

……世界全体も大きく転換していきそうですが、これからの時代をどう予想されますか。

令和の時代、まずオリンピックは成功する。だが、私たちが想像もしなかった激甚な変化が起きるだろう。一時的な経済的な見せかけの繁栄の背後に、さまざまな衰退、おそろしい影が迫ってくる。
オリンピック以後の日本は、インターネットTVなど、国民のネット化ともいうべきシステムの進行がひろがる。周波数のオークションなど放送の規制がゆるみ、テレビは外国資本が圧倒的に進出して公益性を失ない、ひいては日本固有の文化はますます衰退する。   (1)

まず。2030年代初期~40年代後期に、国難ともいうべき重大な危機が日本を襲うだろう、と考える。(断っておくが。私は東日本大震災を国難とは見なかった。)国難の規模の大きさは、南海トラフ地震を超えるほどのものになる可能性がある。        (2)

日本は、7年後に、国力が落ちて、現在(2019年)のEUにおけるスペイン、イタリア以下)二流国以下に落ち込むおそれがある。
そういう時期の国民のモラルは、なんとしてでも盛り返さなければならないが、日本人にそれだけの気力が残されているかどうか。    (3)

私は、今後の日本の将来についてはかなり悲観的なのだ。(4)

*   *   *   *

私のインタヴューは、「NEXUS」25周年記念号(2019年6月)に発表されたが、私が予想だにしなかった事態が、1年後に現実のものになっている。

私は、おのれの不明を恥じながら、この発言を訂正したいと思う。

(つづく)

1846 (2020年4~5月の記録)

5月12日、ひとりの俳優が亡くなった。

ミッシェル・ピッコリ。94歳。

少し調べれば経歴、出演作などもわかるだろうが、今の私は、外出自粛でそんなこともできなくなっている。それに、フランス語関係の本は処分してしまったからである。

私の蔵書に、ミッシェル・ピッコリの「回想」があった。内容ももうおぼえていないのだが、「戦後」の俳優の書いたものとしては、なかなかおもしろいものだった。
日本ではミッシェル・ピッコリはそれほど知られてはいなかったし、翻訳する機会もなかった。昭和から平成にかけての不況では出せる見込みもなかった。

ミッシェルは舞台俳優だが、映画スターとして知られた。

ブリジット・バルドーと共演したゴダールの「軽蔑」、あるいは、ブニュエルの「昼顔」で、カトリーヌ・ドヌーヴと共演したミッシェル・ピッコリといえば、思い出す人がいるかも知れない。

初老から白頭翁の俳優として、たくさんの映画に出ている。エマニュエル・ベアールが美しい裸身を見せた「美しき諍い女」のミッシェル・ピッコリをおぼえている人もいるかも知れない。

まるで違うタイプだが、イギリスの俳優、デヴィッド・ニーヴンとミッシェル・ピッコリの出た映画はかならず見ることにしていた。

すっきりした長身に、シックな柄の毛糸のジャケットが良く似合った。二枚目ではない。むろん、三枚目ではない。演技も重厚な演技というわけではない。ときには残忍な悪役もやったが、彼がセリフをいうときの息づかいになんともいえぬ粋な魅力があった。彼以後の役者としては、アングラード、などが登場してくるが、ミッシェル・ピッコリがいっしょに出ていると、いつも見劣りがした。

ミッシェルはジュリエット・グレコと結婚している。(のちに、離婚したが。)

ジュリエットは、「戦後」のある時期までセーヌ左岸の、サルトル、シモーヌ・ド・ボーウォワールと並んで 実存主義(エグジィステンシャリズム)の女王だった。
そのジュリエットは、晩年、東京で二度リサイタルをやって引退した。最後の公演のジュリエットは、ほとんど声も出なくなっていた。ミッシェルと離婚したあとのジュリエットの境遇を思って暗然としたことを思い出す。

ミッシェル・ピッコリの死は、5月20日になってから知った。フランスにひろがっているコロナ・エビデミックのせいで遅れたのかも知れない。

1845 (2020年4~5月の記録)

ベッドに寝ころがって、フランス映画、「アガサ・クリスティーの奥様は名探偵」(パスカル・トマ監督/06年)を見た。アガサ・クリスティーの「トミー&タペンス」ものの映画化だが、ミステリーとしてはつまらない。
ただし、主役の「ブリュダンス」をやっているカトリーヌ・フロはいい女優だった。もうひとり、好きな女優ではないが、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルドがすっかり老女になっている。

たとえば――「人生模様」のマリリン・モンロー。しがない街娼の役で、セリフはわずか二つか三つ。マリリンはまだ無名だったが、相手は名優、チャールズ・ロートン。そのチャールズでさえ、ある瞬間、マリリンに圧倒されてしまう。
カトリーヌ・フロは、外見は中老のおばさんだが、名探偵、タペンスになる一瞬に、舞台できたえた素質のよさがキラリと輝く。

ジッドの、あまりできのよくない小説、「未完の告白」の最後の1行、

その後、二度とふたたび、母の姿を見ることはありませんでした。

つまらない小説が一瞬にして、みごとな幕切れになっている。映画をみて、思いがけない感動をおぼえるのも、そういう感動があるからだ。

つまらない映画を見るときは、女優さんの演技を見るにかぎる。主役でなくとも、どこかに女優の輝く瞬間があるかも知れない。わずかなカットでも、その女優さんの「役」のみごとさがきらめく瞬間がある。ときには、演技としてのきらめきだけにとどまらず、その女優の、舞台、スクリーンの「女」としての輝きとして印象に残るのだ。

1844 (2020年4~5月の記録)

南米コロンビアで、男女の外出禁止。これも中国ウイルスの感染拡大を防ぐため。ボゴタ市内のショット。公園の広場、男たちが2、3人、ベンチでぼんやりしている。
N.Y.は、感染者10万3208人、死者、6898人。日本人女性で、ミュージカル、「ミーン・ガールズ」の舞台にたっていたリザ・タカハシの証言。

ブロードウェイは、「アラジン」、「ブロム」などを公演していた劇場すべてが中止。2月には、まだオーディシヨンが2,3あったが、3月から皆無になった、という。こういう状況で、いちばん先に生活に困るのは、多数の舞台関係者、芸術家たちなのだ。
さて私だが、今日もDVDで、しばらく前の映画を見るつもり。なにしろ、読みたい本があっても、外出自粛で買いに行けない。

2時、雨あがり。ごくたまに道路を車が走っている。

1843 (2020年4~5月の記録)

安倍首相が緊急事態宣言の表明。対象は、東京都、神奈川、埼玉、千葉、大阪府、兵庫、福岡の都府県。期間は5月6日までの1カ月程度。

東京では、6日、大学、映画館、ナイトクラプなども休業した。

いまや日本も重大な事態に向かっている。さいわい、まだ医療崩壊は起きていないが、パンデミックの最悪のフェーズは――金融の崩壊、社会秩序の破壊、貧困、大不況など、私たちの想定外の事態につながる。

こうなると、ただのパンデミックではすまない。むしろバンデモニックというべき状況になっている。

外出自粛のせいで、わが家の前の道路もほとんど通行人の姿を見ない。車も通らない。これだけでも日本人の気質というか従順さ、規律正しさがよくあらわれている。「国民は、黙って事態に対処している」というべきだろう。

このまま5月の連休明けまで家の中で過ごすのだから、退屈な日々が続く。仕方がないので、手あたり次第にDVDを探している。できれば、何も考えずに笑える喜劇を見たいのだが、あいにく、そんな映画はほとんど処分してしまった。

外出自粛だから映画を1本も見ていない。もっとも、せっかく公開された映画の大多数は、誰にも見られないままオクラ入りになってしまうだろう。しかも、今後も再上映されるかどうか。おそらくその可能性は低い。
コロナ・ウィルスが収束しても、そのときはもう誰の記憶にも残っていないだろう。

どんなにいい映画であっても、たちまち忘れられるだろう。
その映画に出ていた俳優、女優たちも、恐らく話題になることはない。だからこそ、私はせめてタイトルだけでも記録しておきたいと思う。
これらの映画の製作に当たった監督、制作スタッフ、出演者たちの無念は察するにあまりがある。

今回の中国コロナ・ウィルスのおそろしさは、「サーズ」と違って私たちの文化に回復できないほどの傷を与えることにある。