影勝団子(かげかつだんご)。
こんなものを見たことのある人は、もういないだろう。かんたんにいえば、街角でお餅をついて売るお団子屋さん。それもキビダンゴ。
半纏姿の若い衆が三、四人で、屋台(やたい)車に大きな臼と竈(へっつい)を乗せて、威勢のいいかけ声をかけながら走ってくる。街角のちょいとした広場に車をとめる。舵棒に、支えの台をあてがって、荷台を平らにする。
荷台に飛び移った若い衆が、サビのきいた声で、ご近所に口上を述べる。
その口上を聞きつけて、母親からもらった銅貨をにぎりしめ、大八車にとんで行く。
私は桃太郎サンのお団子と信じていた。
若い衆がいっせいに声をそろえて、大きな蒸籠(せいろう)から蒸しあがったキビをいっきに臼に移す。所作も動きもきびきびしている。スピードもある。若い衆たちが、小ぶりの杵で、これまた威勢のいい掛け声をかけあって、臼のまわりを踊りながら、たちまちお餅をつきあげる。
つきたての餅を小さくちぎって、竹串に突きさして、キナ粉をまぶして、わたしてくれる。一銭で、二、三本。量の少なさからいえば、けっこう高値だった。
つきたては熱いので、口でフウフウ吹きながら頬張るのだが、甘味がほんのりひろがってくる。
このお団子は、享保(1716=1736)のころからあったという。その後、いったん廃れたが、安永(1771=1791)あたりにまた復活したらしい。
この若い衆の踊りが「影勝踊り」として、歌舞伎に残った。もとのフシは富本だったが、あまりウケないので常磐津でやったとか。残念ながら、私は歌舞伎の影勝踊りを見たことがない。昔の三津五郎、半四郎(五代目)がやったらしい。
今の半四郎は(昔、私と同窓だったが)もう影勝踊りをやれるはずもない。
幼い私は桃太郎サンの「お腰につけたキビダンコ」が食べたかったので、母にねだって買ってもらったのだが、その後、影勝団子を見たことがない。ごくふつうのキビ団子は食べたけれど。
昭和初期、私が四歳か五歳の頃のこと。若い衆の踊り、いでたちは眼に残っている。
私のもっとも古い記憶の一つ。