「早川書房」にいた宮田 昇が、ある日、私のところにやってきて、
「何かおもしろい小説を読んでいたら、教えてくれないか」
といった。
私は、たまたまミッキー・スピレーンを読んでいた。
「これなんか、出したらきっと売れるよ」
私は、ミッキー・スピレーンの小説を説明してやった。宮田 昇は、黙って聞いていた。彼が関心をもったことは、私にもわかった。
宮田 昇はその日のうちに、「タトル」に行って、翻訳権の取得に動いた。当時、ミッキー・スピレーンは、5冊出ていたが、宮田 昇は2冊しか翻訳権をとらなかった。とれなかったというべきだろう。スピレーンの処女作と、最新作のペイパーバックだったが、この2作を選んだのも「早川書房」に資金的な余裕がなかったためという。
その一冊(最新作)の翻訳を、恩師の清水 俊二さんにお願いして、もう一冊を私のところにもってきた。
「きみがいい出したのだから、きみが訳してよ」
宮田 昇はいった。
その後、紆余曲折があって、これが「ハヤカワ・ミステリ」の出発になった。
「ハヤカワ・ミステリ」は、ポケットサイズにするときめられて、とりあえず清水訳をNo.1、私の「裁くのは俺だ」をNo.5にすることになった。
2冊はきまったが、No.2、3、4、がなかった。
ここでも、いろいろと紆余曲折があって、もう1冊を、植草 甚一さんにお願いすることになった。一方、宮田 昇は、同僚の福島 正美といっしょに「飾り窓の女」を訳すことにして、とりあえず「ハヤカワ・ミステリ」が出発することになる。
「飾り窓の女」は、フリッツ・ラングか映画化したサスペンス・スリラーで、ヒロインの「飾り窓の女」の女」は、グローリア・グレアムだった。
そういえば・・・「ハヤカワ・ミステリ」の新聞広告には、いつも、女の片目が大きくデザインされていた。ある映画女優の眼なのだが、もう誰も知らないだろう。