1306

 
 マリリン・モンローが、「七年目の浮気」で着ていたドレスが、ビヴァリー・ヒルズのオークションで、460万ドルで落札された。
 (AP・CNN/電子版・ニューズ<’11.6.18,>

 ニューヨークの夏。マリリンが、隣人のトム・ユーエルといっしょに映画館の前まで歩いてくる。
 地下鉄のダクトから風が吹き上げてくる。ダクトの上に立ったマリリンのスカートが風をはらんで舞い上がる。マリリンの生足が見える。白いパンティーが見えそうになるので、マリリンがスカートの前を押さえる。

 有名なシーンである。

 ビリー・ワイルダーがこのシーンを撮影したときは夕方で、ニューヨークじゅうの見物人が集まってきた。そのなかに、有名な新聞記者、ウォルター・ウィンチェルがいた。私はマリリン・モンローの評伝めいたものを書いたことがあるのだが、この部分は、ウィンチェルの記事を参考にした。
 マリリンの撮影現場には、新婚の夫、ジョー・ディマジオがいた。彼は、マリリンが、地下鉄のダクトに立って、下から吹き上げてくる風をうけるという「演出」が気に入らなかったらしい。
 ウィンチェルは、目ざとくディマジオの姿を見つけて、この撮影の感想をもとめた。ディマジオは、公衆の見守るなかで、妻のマリリンのスカートがふわりと舞い上がり、マリリンの下半身があらわになる、というシーンに屈辱的な思いをもったらしい。
 ウィンチェルを睨みつけると、語気するどく、「ノー・コメント」ということばを残して現場を去った。ディマジオは嫉妬深い男だったらしい。
 このときから、ディマジオ/マリリンの不仲がはじまったという。

 今の感覚からいえば、ディマジオがヤキモキするほどエロティックなシーンでもない。このときのマリリンの巨大な看板が「ロキシー」の正面をかざって、当時、大評判になったが、私などは、このシーンのおかげで、当時のマリリンの下半身、とくに白いパンティーにおおわれたアブドーメンが拝見できるし、マリリンのおかげで、このシーンは映画史に残るほどのものになったではないか、と思う。

 このシーンを撮影したとき、暗くて、暑苦しいダクトの下に、巨大な扇風機をもち込んだスタッフは3人。わずか数秒のシーンのために、酷暑のニューヨーク、それも夕方から夜9時近くまで、何度も何度もテストをくりかえしていたスタッフたち。
 もし私が、ウィンチェルのように撮影現場にいあわせたら、まっさきにこの連中のコメントをとるだろうな。

 この撮影シーンのことから、やがて私の考えは別の方向に向かった。
 その一つは――嫉妬である。
 私自身、他人に嫉妬したことがないとはいえない。女の嫉妬は、いわば本能的なものだが、男の嫉妬は本質的にいやらしい。自分が恋した女がみるみるうちに離れて行ったようなとき、私はその女を奪い去った「誰か」に嫉妬しなかったか。しかし、苦しみつづけても仕方がない。女なんてものは、バーゲンセールの見切り品のように飛び去ってゆく。
 これは、ヘミングウェイのことば。

 嫉妬は人の心を腐らせる。そう思うことで、私はやっと自分をささえてきたのだった。

 ディマジオの哀れは、私にもよくわかったけれど。

 いつまでも、そんな女やその女の相手を嫉妬するな。どうせバーゲンセールの見切り品だから。そう考えればいい。

 「七年目の浮気」でマリリンが着たドレスが貧乏作家の私に買えるはずもないが、私は、もの書きとしてマリリンからいろいろなテーマをもらったと思っている。

1305

タレントの はいだ しょうこ が、昼のテレビに出ていた。

じつは、このタレントさんについては何も知らない。
小学6年生のとき、童謡の全国コンクールで、グランプリをとったことがあるそうな。むろん、私はこのときの彼女を見ていない。
ひょっとして――宝塚在籍の頃の、はいだ しょうこを見たことがあるはずなのだが、これももう、記憶も薄れている。かりに、おぼえていたにしても、ただ綺麗で、可愛い女の子が舞台で飛んだりはねたりしていたという印象だけで終わったのだろう。

「うたのおねえさん」の、はいだ しょうこは知っていた。

孫たちといっしょにずっと「うたのおねえさん」を見ていた。(例えば――私は、「花とゆめ」、「少年ジャンプ」、ようするに「ガロ」から「ぱふ」まで、ある時期のマンガにくわしかったのも、おなじ理由による。)

はいだ しょうこが「うたのおねえさん」だった当時は、いちばん下の孫がまだ赤んぼうだったので、残念ながら、あまり見なかった。(私の人生には、こういう偶然で知らないまま過ごしてしまうことが多かった。)

私が、はいだ しょうこを知るようになったのはずっと最近で、ミュージカル「若草物語」や「回転木馬」を見た頃からではなかったか。
ただし、はいだ しょうこについては、ごく普通の美少女というだけの、眼のくりくりしたタレントといった程度の認識しかもたなかった。
だから、AKB 48 の女の子のだれかれを見ている程度の関心にすぎない。

その、はいだ しょうこが、昼のテレビに出ていた。
フジテレビ。小堺 一機の司会で、ゲストのタレントがサイコロをころがして、そのメによって「情けない話」とか、「いまだからごめんなさい」などというテーマで話をする。この番組はたいてい毎日見ている。
この日、いっしょに出ていたタレントは、京本 正樹、神田 さやか、(6月20日、1:20p.m.)

はいだ しょうこは、こんな話をしていた。

コンサートで、場内の子どもたちがいろいろと質問する。彼女はそれに答える。
「サンタさんはどこにいるの?」と訊かれて、
「ええ、心配しなくて大丈夫よ。サンタさんは天国にいるのよ」

名古屋で、ファンに訊かれた。
「お好きな食べものは?」
「トリの指先」
手羽先というつもりだったらしい。

スキヤキのお店で、すき焼きを注文した。
焼き方は? と訊かれて、
「ウェルカム」と答えた。
店の人が、うやうやしく、
「こちらこそ、ウェルカムでございます」
とこたえた。うっかり「ウェルカム」といったらしい。

ジョークが大好きな私は、このときから、おっとりしたこの女優さんが好きになった。こういうジョークは、恵まれた家庭環境で、おっとり育った女優さんにしばしば見られる「天然ボケ」なのだ。

 

1304

東日本大震災で、私は、あらためて、日本のジャーナリズム報道の姿勢に、はげしい不信を抱くことになった。

たとえば――

6月27日、菅 直人(首相)は、内閣の閣僚交代の人事を発表した。
かんたんにいえば――震災後の復興を念頭にした内閣改造人事といってよい。
これをトップに出した大新聞の記事を、そのまま引用しておく。

菅首相は、27日、復興相と原発相の親切に伴う閣僚交代人事を決めた。復興相
には松本防災相を正式に任命するとともに、原発相には細野豪志首相補佐官を起
用した。これに伴い、蓮ボウ行政刷新相が退任し、松本氏が兼務していた環境相
は江田法相が兼ねる。自民党の浜田和幸参院議員(58)(鳥取選挙区)総務事
務官に充てることも決めた。だが、浜田氏の起用などを巡って自民党などが強く
反発しており、延長国会の審議に大きな影響が出ることは必至だ。

以上である。
何の変哲もない記事に見える。しかし、これだけの記事に、一つの疎漏、というより、恐らく意図的な隠蔽が見える。

閣僚交代の人事に関しては、当然ながら間違いはない。
問題は――「これに伴い、蓮ボウ行政刷新相が退任し」という一節にある。この記事を読むかぎりでは、「蓮ボウ行政刷新相」が退任しただけとしか読めない。
だが、この「閣僚交代人事」で、「蓮ボウ」は、そのまま退任したのではない。この人物は、ただちに「首相補佐官」に任命されたのである。
この記事は、その事実を無視したのか。そうではあるまい。まったくふれないことで、ことの重要さを私たちの眼からそらせようとしたのか。

おなじ、6月27日、菅 直人のとった行動を、おなじ一面の記事から引用する。

「副総理として入閣をお願いしたい」
27日午後、首相官邸。菅首相は執務室で向き合った国民新党の亀井代表にこう
言って頭を下げたが、亀井代は固辞した。亀井代が求めてきた大幅な内閣改造が
行われないことがわかったためだ。「大幅改造だったら、副総理も受けたが、そ
うじゃなかった」と周囲に不満を漏らした亀井代だが、首相が続いて就任を要請
した「特別首相補佐官」というポストは受諾した。法律的には他の首相補佐官と
同じだが、「特別」と付けた首相の言葉に、延命への執念を感じ取ったからだ。
(以下、略)

この交代人事が、さまざまな思惑に彩られていることを問題にしているのではない。現在の政局で、いくら大幅な内閣改造をしようが、無能内閣の命脈はすでに尽きているのだから。
私が、不快に思うのは――「蓮ボウ」が「首相補佐官」というポストに横すべりしたことを巧妙に隠している大新聞の姿勢である。些細な人事異動にすぎないのか。そもそも、このニュースを黙殺した意図は何なのか。
だれが見たって、「蓮」が「亀」と仲よく、無任所大臣になったわけで、ようするに、菅という狙公(そこう/猿まわし)のヒモの先で踊ってみせようというだけのこと。
いまや「蓮」は妖彗(ようすい)のたぐいだろう、と私は見る。

大震災から4カ月。
現在のようなかたちで着々と進められている菅内閣の「復興政策」に、私は妖気を感じている。

 

1303

 
 東日本大震災が起きた直後、私は、民主党の小沢某、鳩山某が、政権の中枢にいなかったことを、せめてもの「幸運」と見た。
 その鳩山「宇宙人」に、名誉ある「勲章」が授与されたという。じつに、オメデタイ!
 近来の快事(怪事)で、またまた、思わず笑ったね。

 これも、簡単に記録しておく。

 来日中のロシアのナルイシキン大統領府長官は、(11年7月)5日、都内のホテルで記者団に対し、北方領土問題について研究するための歴史学者による日ロ合同委員会の第一回会合が、今年12月に開かれるとの見通しを明らかにした。

 この委員会設置は、同長官が、昨年12月の訪日時に提案していた。

 平和条約交渉の難航について、長官は第二次世界対戦の原因と結果に対する(日ロの)見解の相違によるものだ」と述べ、委員会での議論が交渉の前進につながることに期待感をしめした。
 これより先、同長官は、鳩山 由紀夫前首相と面会し、両国交流に寄与したとして、ロシア大統領令にもとずく「友好勲章」を授与した。

 ロシア人は、勲章が大好きで、公的な会合に出席する場合、胸もとにベタベタと勲章をぶら下げる。
 鳩山某も、今後は、ぜひ、国会にもこの勲章をつけて出席してもらいたい。ダテや酔狂で、いただける勲章じゃないよ。メドベージェフの「友好勲章」なんぞ、鳩山 春夫、鳩山 一郎、鳩山 威一郎だって、もらえなかった。
 よっぽどの「宇宙人」でもなけりゃ、いただけるシロモノじゃない。

 まことに慶賀のいたり。(笑)

1302

 東日本大震災いらい、私は日本のジャーナリズムをほとんど信用していない。

松本防災相を復興相に横すべりさせたとき、蓮ボウ某が行政改革相をやめた。これをほうじた新聞は少なかった、ただし、この蓮ボウ某は、即日、首相の報道官に任命されている。それまで首相の報道官だった某が、原発担当相に昇格したのだから、妖細依然として宰相の帷幄(いあく)にはべるということになる。
しかし、このニュースを大新聞はとりあげなかった。
つい最近もこんなニュースが出た。

菅直人首相は(11年’7月)日の衆院予算委員会で、自身の政治管理団体が、
日本人拉致事件容疑者の長男(26)が所属する政治団体「市民の党」から
派生した政治団体「政権交代をめざす市民の会」に6250万円の政治献金を
していた問題について「事実だ」とみとめた。
「産経/11.7.6(金)」

この記事を出したのは、「産経」一紙だけで、ほかの大新聞はまったくふれていない。これは、どういうことなのか。他紙の報道だから事実かどうか検証している、というのだろうか。あるいは――お得意の隠蔽工作なのか。
しかも、おなじ政治団体に、鳩山前首相も、7250万円を寄付している、という。このニュースも、大新聞各紙は報道していない。アハハハ。こいつはいいや。
毎月、1500万円の「お小遣い」を母親からもらえる「宇宙人」にとっては、7250万円程度の寄付はたいした負担にはならないだろう。
しかし、しばらく前は、お遍路まわりの白装束、金剛杖で、首相(いや、間違い)殊勝なお遍路さんになりすました新発知(しんぼち)にしては、豪気(ごうぎ)なものだねえ。

いっそ、もう一度、白装束、金剛杖で、被災地参りという趣向はどうだろうか。

ついでに、「大新聞」の幹部もひきつれて大ツアーというのも一興だろう。

1301

松本某が復興相を辞任したとたんに、こんどは九州電力、玄界原子力発電所の、2号機、3号機の再稼働をめぐって、またまた、たてつづけにファルスを見せつけられている。

まず、発端は――海江田経済産業相が、玄界原子力発電所の再稼働の承認をもとめて、玄界町(佐賀県)の町長の説得にあたった。(7月5日)
それで玄界町の町長はこれを了承して、いったんは玄界原子力発電所は再稼働が可能になったと思われた。
ところが、こんどは菅首相が、すべての原子力発電所を対象に、ストレス・テスト(耐性検査)を実施することを発表した。そうなると、玄界原子力発電所の再稼働は見送られることになる。玄界町の町長は、アタマにきて、再稼働の承認は見あわせる、といい出す始末。海江田経済産業相も、面子をつぶされたわけで、「いずれ時期がきたら辞任する」と発言した。

この背後に見えてくるのは――松本某が復興相を辞任した直後に、菅首相が、衆院予算委員会で、「経済産業相が判断して、いいときめたのでは国民が納得しない」と発言した。つまり、急遽、松本某の後任に据えた細野原発相にも、美味しい話をわけてよこせ、ということだろう。
閣内不統一などというのは、外側のことではないか。

7日、東京の株式市況で、電力株は急落。
関西電力は、前日比、133円安。1442円。
九州電力は、前日比、110円安。403円。

こうなると、夏場の電力不足の影響を懸念して、自動車関連株ものきなみ下落。

菅首相は、ストレス・テストをめぐる政府内部の混乱を、自分の指示の遅れが原因だったという認識をしめして陳謝した。
キツネ、尾を濡らす。
最近の菅 直人を見ていると、こんなコトワザをおもいだす。

私が、わざわざこんなことを書いておくのは、いつか誰かがこのブログを読んで、ゲラゲラ笑うだろうと思うからである。

ファルスは、これだけにとどまらない。

九州電力は、玄界原子力発電所の再稼働をめぐって、社員たちに「ヤラセメール」を寄せるように指示した。つまり、子会社をふくめて、社員たちに――原子力発電所の再稼働に「賛成」のメールを説明会に送るように仕向けた。
こうなると、これから先、私たちはどんなファルスが見せられるか、この「人災」を見るのがけっこう楽しみになってくる。

1300

私の好きな悪態は――てめえ、何さまのつもりでいやがる、ということば。ただし、私は他人さまに向かって、どなりつけたことはない。しかし、こんどばかりは、思わず、てめえ、何さまのつもりだ、とどなりつけた。

松本防災相という人物が、復興相に横すべりした。
この松本某は、承認してさっそく、被災地に出向いて、知事に面会した。
このときの模様がテレビで報道されたが……その態度のわるさは特筆すべきものがあつた。
ふてぶてしい面構えで、岩手県知事を見据えて、ドスのきいた声で、「知恵を出したところは助けるが、出さねえところは助けてやらん」、とヌカした。
宮城県知事に対しては――県ではコンセンサスをだせ、そうでなければ何もやらんぞ、とホザいた。
被災地に対する、あまりにも傲岸なもののいいように、世間の批判をあびると、「私は、九州の人間で(血液型が)B型ですから、口のききかたを知りません」とさ。よくもヌケヌケ、ぬかしやがる。
九州出身で(血液型が)B型の人間は、みんな、ああいう口の聞き方をするのか。
冗談ではない。そんな理由は、まともな弁解にはならない。
まるで非論理的ないいかたに、この人物の低劣な資質、性格、傍若無人に過ごしてきた過去のいかがわしさが集約されている。

菅首相に呼ばれて、辞表を提出したが、このときのいいぐさに、注目すべき部分が二つあった。
一つは――宮城県知事とのやりとりは――「ナゾかけ」だったという。つめかけた報道陣から、何の「ナゾかけ」か、と質問されて、黙秘した。松本復興相なる人物の言動を読み解く「鍵」がここにある。
この「ナゾかけ」の意味は、わかる人にはピンときたはずである。

さて、もうひとつは――この人物は、ボソリと謝罪の言葉をのべたあとで――「私は、被災された人たちからは離れませんから」とくり返した。
じつに、おそろしいことばである。

松本某は、38歳で福岡県から衆議院議員に当選した。この輝かしい経歴だけを見れば、だれしも非常に優秀なエリートを想像するだろう。だから、日頃、傲岸なものいいを身につけたと思うのは間違いだろう。土建屋あがりのこの人物の背後に何があるのか。

私は他人さまに向かって、てめえ、何さまのつもりだ、などと、悪罵を浴びせたことはない。しかし、こんどばかりは、テレビに向かって、てめえ、何さまのつもりだ、思わず、どなりつけた。

1299

「すばらしい墜落」のなかで、もっとも好きな短編を選ぶというのはむずかしい。
私は、「選択」を、その一つに選ぶだろう。

大学院で修士論文の準備をしている学生、「デイヴ」は、求人広告を見て、大学進学をめざしている少女の家庭教師になる。
彼を迎えたミン家の当主、「アイリーン」は、魅力のある若い未亡人で、小さな出版社を経営している。教える相手の少女、「サミ」は17歳で、思ったよりずっと利発な子だった。

「デイヴ」は、大学院の授業があるので、夜しか教えにこられない。やがて、「デイヴ」は「アイリーン」の手づくりの家庭料理を、母娘といっしょにたべるようになる。

こういう大学生を描いた青春小説は、いくらでもある。しかし、ラヨシュ・ジラヒの「瀕死の春」、セバスチャン・ジャプリゾの「出発」、ジョナサン・コゾルの「罌粟の匂い」のような傑作はすくない。

 

ここまで書いてきたとき、作家の楊 逸(ヤン・イー)の書評が出た。(「朝日」5.22。)

ニューヨークにはフラッシングという町があるという。そこに、まずしい留学
生をはじめ裕福なインテリや会社員、小金持ちの老人やその介護をするおばさ
ん、寺のお坊さんから若い売春婦まで、さまざまな中国系移民が生活している。
忍耐つよくがむしゃらに生きる彼らの姿を覗かせてくれるのがこの短編集だ。

こういう書き出しで、作家らしい見方を展開している。
私は、この書評を読んでうれしかった。
こういう書評がでたのだから、私ごときが、つまらない読後感を書きつづける必要もない。もともと、これほどいい作品集なのに、どこにも書評が出ないことにいささか伎癢(ぎよう)の念をおぼえて、とりあげたのだった。
私は、台湾の「時報文化出版」の原作を送ってもらって、それぞれの原文と日本訳を照合しながら読んだのだった。
立石 光子の訳は、ほんとうにみごとな訳で、その苦心のほどがうかがえるものだった。
そして、 こういう情理をつくした書評が出たことを、訳者のためによろこんでいる。

私のブログは、ここで中断。いずれまた、そう遠くない時期にハ・ジンについて語ることもあるだろう。

1298

 ニューヨークの冬。
この界隈でも評判の美人と結婚している主人公、ダン・フォン(馮丹)は、妻のジーナ(吉娜)がやっている宝石店に寄ってみようと思って、ホテルのロビーにあるバーに行く。このバーでフロントの責任者、ユイ・フーミン(余富明)と親しそうに話をしていた妻を見てしまう。相手は、主人公が結婚する前に妻に言い寄っていたらしい。
主人公は、妻の浮気性に、ぶつくさいいながら、ふたりにみつからないようにその場を離れる。

ジーナはすらりと背が高く、鼻筋が通って、ふたえまぶたに繊細な口もと、肌も絹のようになめらかというのに、生まれてきた子どもは、器量がわるい。ダン・フォン自身も、美男で、ふたりがそろって人前に出ると、注目のまとになる。ところが、昨年、娘のジャスミンが生まれてから、ずっと妻の不貞をうたがっていた。
美男美女の間に、こんな不器量な子どもがうまれるはずがない。ひょっとすると、富明がほんとうの親かも知れない。もし、そうなら、結婚後のジーナは富明と切れていないのではないか。

短編、「美人」は、妻の浮気を疑う夫の話だが、ありきたりの「コキュ」の嘆きを語ったものではない。夫は私立探偵を雇って、妻の素行を調べさせる。妻は、夫に疑われていると知って傷つく。
この私立探偵は、まるでひと昔前の俗流ハードボイルド小説に出てくるような私立探偵で、捜査の途中で、フーミンにノサれてしまう。しかし、妻の履歴に関しては何もわからない。何もわからないことが、かえって不思議だという。

そればかりではなく、主人公も、その界隈のヤクザに襲われてしまう。

この短編のおもしろさは、まさに短編としての起伏があざやかで、アメリカにやってきて、おなじ中国人でも市民権を獲得した階層と、過去を伏せて入国したため、国外追放の処分を受けることを恐れて生活している階層の「格差」がうきぼりになってくる。
実際には、もっと複雑な要因があって、ジーナがどうして「美人」になったかという理由とかかわってくる。

「すばらしい墜落」の作家、ハ・ジンは、現代アメリカの華僑の直面している状況を、しっかり見つめながら、アメリカに住む中国人の生活を描いている。しかし、たんに華僑の人生喜劇(ヒューマン・コメデイ)を描いているわけではない。華僑といった国籍、人種、あるいは性差別を越えて、現在の人間の本質的な悲しみを、いつもどこかコミックにとらえているような気がする。
つまり、私には、ハ・ジンは、チェホフから、ジョイス・キャロル・オーツに到る短編小説の伝統の最良の部分を代表しているように見える。
(つづく)

 

 

1297


「すばらしい墜落」の最初の短編、「インターネットの呪縛」は、アメリカ在住の女性と、その妹で中国の「現在」を生きている女性を描いて、アメリカと中国をたくみに対比させているように見える。

つぎの短編、「作曲家とインコ」は、オペラの作曲を依頼された作曲家が、映画女優の「恋人」からインコをあずかった。彼女と結婚しようと思っているのだが、結婚が女優生命に影響すると考えているらしく、積極的に話にのってこない。
そんな芸術家どうしの、少しマンネリ化した関係のなかで、もとの飼い主の女優にほとんどなつかないインコ、「ポリ」は、作曲家の肩に乗ったり、掌からエサをついばむほどなついてくる。

作曲家は実在した放浪の楽士をモデルにしたオペラの作曲に熱中する。

ある日、作曲家は原作者に会いに行った帰り、ブルックリンのフェリーに乗る。「ポリ」は、作曲家の肩から離れて、波にむかって飛んでゆく。そして、波の上に落ちてしまう。作曲家は、波間に浮き沈みしているインコを救おうとして、フェリーから飛び込む。

ペットを飼っていて、そのペットが可愛くてたまらないという心情は、誰にも共通しているだろう。ハ・ジンの短編では、どのシーンにも、主人公が作曲している音楽が少しづつ聞こえてくるような作品だった。

「インターネットの呪縛」よりも、いくらか長い短編だが、短編のうまさからいって、この「作曲家とインコ」のほうが上だと思う。
そして、つぎの短編、「美人」が、もっとすばらしい。
(つづく)

 

 

1296

ハ・ジンの短編集、「すばらしい墜落」の最初の短編、「インターネットの呪縛」は、四川省に住んでいる妹と、インターネットでやりとりしているニューヨーク在住の姉の話である。
妹は、4年前にアパートを買ったので、姉は頭金の一部に2000ドルを送金した。最近になって、妹は、「自分がどんなにいい暮らしをしているか、別れた夫に見せつけてやりたい」一心で、車を買いたいといいだした。ニューヨーク在住の姉は、車ももっていない。毎週、休みもなしに、スシ・バーでアルバイトしている。
四川省の故郷は車をはしらせる必要もないほどの小さな町だが、車の維持費、ガソリン代、保険、登記、道路の料金と、かなり負担が大きい。
そして、路上試験にパスした妹は、3000元の受験料と、別に試験管に500元の袖の下を渡したとメールでつたえてくる。

 

昨日、姪のミンミンがフォルクスワーゲンの新車に乗って町にやってきました。
ぴかぴかの新車を見たとたん、一万本の矢にむねを射抜かれたような気がしたわ。
みんなにおくれをとっているなんて、いっそ死んでしまったほうがまし!

 

妹は、このメールで姉に借金を申し込む。
彼女は中国の国産車を買うことにひどい劣等感をもっていて――日本やドイツの新車は高すぎるので、せめて韓国のヒュンダイか、アメリカのフォードを買いたいと思いつめる。そのために、姉に送金を依頼する。
姉は断る。すると、妹はとんでもない決心をメールでつたえてくる。

私は、ときどきにやにやしながら読んでいた。

こんな短編ひとつに――毎年、10%の経済成長率という好景気にわき返って、国をあげてのモータリゼーションの波にのみ込まれている中国の姿が浮かびあがってくる。そして、アメリカの華僑たちが中国の同胞に投げかけている、いささか皮肉な視線が感じられる。

「インターネットの呪縛」の原題は、「互聨網之災」である。インターネットという通信手段が、たとえば、ウィキリークスの流している機密文書の「災い」や、どこかの国のハッカーがソニーの膨大な個人情報を盗み出したという「災い」をもたらしていることと、ハ・ジンの短編にあらわれる中国人の姉妹の「災い」は、まったく関係がない。しかし、私は、この姉妹は、まさに私たちとおなじ世界に生きていること、つまり私たちもまた、「互聨網之災」に生きているという思いだった。この短編の中国女性には、まさに今の中国の真面目(しんめんぼく)がある。

作家、ハ・ジンの世界は、アメリカ在住の華僑社会を取り上げているのだが、私たちに無縁の世界ではない。

それらが、わたくしたちの心のなかに喚びさます共感のなかには、どこかアジア的な趣があり、私たちはそれを通して、一つの困難な時代の相を見る。

外国の現代作家の作品を読んで、われとわが身の不幸を考えるなどということは、あまり体験しないのだが、私にとってハ・ジンは、私たちもまたおなじ「災い」を経験しつつあることを教えてくれた作家なのだった。
(つづく)

 

 

1295

この3月、私は、アメリカの作家、ハ・ジンの短編集、「すばらしい墜落」(立石 光子訳/白水社/2011.4.5刊)を読んだ。
全部で、12編の短編を毎日1編づつ読みつづけた。
たまたま訳者、立石 光子から、中国語訳、「落地」(時報出版/台湾)を贈られたので、これを参照しながら読みつづけた。毎日、一編を読むことにしていた。

途中で、想像もしない事態が起きた。東日本大震災である。未曾有の天変地異であった。巨大な地震と、それにともなう大津波、さらには沿岸の原子力発電所が破壊され、数時間後には、その一基が溶融(メルトダウン)した。その当時はわからなかったが、政府、東京電力、原子力保安院、さらにはマスコミが、被害を隠蔽したり、極度に低い評価しか発表しないという人災の最たる大惨事を惹起したのだった。
私は未曾有の大惨事の日々のなかで、テレビにかじりついていたので、ほとんど本を読まなかったが、ハ・ジンの短編だけは、毎日、一編づつ読みつづけていた。

大災害の混乱のさなかに、書評らしい書評が出るはずもない。私はこのすぐれた作品集、そしてそれを訳した立石 光子のすぐれた翻訳が、だれのめにもとまらないまま忘れられてしまうことに義憤のようなものを感じた。
これほどすぐれた仕事が、津波で海岸に打ち上げられた無数のデブリのようにむなしく朽ちて行くは、あってはならない。

私としては、せめてこの短編小説を読んで感動したことを書きとめておこうと思う。
ただし、書評ではないので、ときどき思い出したときに書きつづけよう。

1294

 
 友人の安東 つとむのおかげで――この1年、短いエッセイを書きつづけている。いまではもう誰ひとり思い出すこともないサイレント映画のスターたちのことを。

 グレタ・ガルボは別格だが、リリアン・ギッシュ、アラ・ナジモヴァ、ビーヴ・ダニエルズ、オリーヴ・トーマス、コリーン・ムア、メェ・マレイ、リアトリス・ジョイとかについて。これから書くのは、たぶん、メァリ・ブライアンか、アンナ・Q・ニルツソンあたり。
 どうして、こんなものを書いておくのか。

 すぐれた短編小説を読む。そうした作品は、私たちの関心を惹きつけるが、そこに描かれている人たち、たいていの場合は、一度も会ったことのない種類の人たちに対して、なぜかひどく親しい感情をおぼえるような気がする。

 よほどすぐれた短編でもないかぎり、その作品が作者の死後もなお生きつづけることはない。その短編の思い出は、その時代の人々の記憶とともに消え去ってしまう。「戦後」の名作といわれた作品でさえ、たかだか半世紀も経ってしまうと、ほとんどがどこかに消えてしまう。

 すぐれた短編小説を読んで感動した、私たちの思いは、かつて私たちのあこがれ、ひそかな欲望の対象だったスクリーンの女優たちに、私たちをむすびつけていた思いと同様に、いつしか過ぎ去ってしまう。

 私が、いつも感嘆を惜しまなかった、みごとな短編小説の数々。
 アンソロジーを作ってみようか。
 たとえば、「白い象に似た丘」、「ミリアム」、「ガラスの鐘の下で」……
 私の好きなアナイス・ニン、アーシュラ・ヒージ、ジャマイカ・キンケードたちの短編から選ぶとしても、サテ、どの一編を選んでいいか。

 そして、また、もはや古典というべき――「たそがれの恋」、「チリの地震」、オイゲン・ヴインクラーの「島」など。
 ロシア、フランスとなれば、たちまちあげきれないほどの数の短編小説がうかんでくる。
 そのリストのなかに、私は、ハ・ジンの一編をくわえておきたい。

 サイレント映画の女優たちはけっして不滅の存在ではなかった。おなじように、私が読みつづけてきた短編小説たちも、不滅のものではない。だが、もう誰も思い出すことのないサイレント映画のスターたちのことを考えることも、折りにふれてかつてのすぐれた短編小説を心のなかに喚び起すのも、じつは私たちの精神が死んでいないことの証(あかし)なのである。

 今はもう誰ひとり思い起こす人もいない女たちのことを書いておきたい。

1293

 昨年、私はカナダの女流作家の処女作を訳した。
 オノト・ワタンナという女流作家だが、おそらく誰ひとり、彼女の作品を読んだ人はいないだろう。
 なにしろ、19世紀末に書かれた古色蒼然たるロマンス小説なのだから。
 題名は「お梅さん」という。

 最近の私は、あまり本を読まなくなっている。眼がつかれるせいもあるのだが、短い短編の一つでも読むだけで満足してしまう。大震災このかた、いろいろと考えることができるし、短編を読んでも、若い頃にはわからなかったことにあらためて気づいたりする。

 もともと経験というものは、それを味わった瞬間から、私たちを見捨ててしまう。その経験を自分の内部に刻みつけておくのがどんなにむずかしいことか。
 小説を書くということは、そんな経験をあらためて自分の内部に刻みつけようとすることでもある。

 ただし、どんなにすぐれた小説にしろ、それが書かれてほんの二、三年、よくって十年、二十年もすれば、もう誰も読まなくなってしまう。一世紀もすれば、文学史に一行でも名前が残ったところで、そんな短編を書いた作者のことなど誰もおぼえてもいない。
 まして、アメリカの少女が19世紀末に書いた「ロマンス小説」など、あらためて訳す価値もない。むろん、この作品には、残念ながら小説としてのレーゾン・デートルなど、どこにも見つからない。
 ところが、私にとっては、この小説の翻訳は、長年の心願をはたす仕事だった。
 え、老骨に鞭打って? よせやい。あんた、冗談きついぜ。(笑)

 とにかく、オノト・ワタンナの「お梅さん」が、いよいよ書店に並ぶことになる。

 

 

 

1292

誰でも経験することだが、いろいろな本を読んでいるうちに、まるで自分のために作家が書いてくれたのではないかと思うようなことばを発見することがある。
そういう言葉は――たとえ、その言葉を読んだ本を忘れてしまっても――その言葉をはっきり思い出せなくなっても、そんなことはどうでもいい。

私は、そのことばを知らなかった以前の私に返ることがない。

そういうことばの力は――そのことばを、以前に知らなかった私、つまり中田 耕治のある部分を啓示してくれる。そういうことばが、私は好きなのだ。

私の好きなことばは、やはり私の好きな作家のコトバになる。いつも自分の身にひきつけて考えるので、そうなると、たとえばヘミングウェイをあげることになる。

 

No one ever learned literature from a textbook.

I have never taken a course in writing. I learned to write naturally and on my own.

I did not succeed by accident; I succeed by patient hard work.

Verbal dexterity does not make a good book.

 

教科書から文学をまなぶやつなんて、ひとりもいない。
私は、創作コースといった授業を受けたことはない。ひとりでに書くことを身につ
けて、独力で書いてきた。
偶然に成功したのではない。忍耐づよく、苦しい仕事を続けてきて成功したのだ。
ことばの器用さだけでは、よい本は書けない。

私はいろいろな機会に、若い人たちといっしょに勉強してきたが、自分のクラスで、ヘミングウェイの”若い人たちへの助言”のことばを忘れたことはない。

ヘミングウェイは、いつも自分の仕事にきびしい芸術家だった。彼のことばでいうと、いつも real thing (ほんとうのもの)をつかもうとしたからだった。

きみたちのなかにも、詩を書いたり、小説を書こうとしている人がいるかも知れない。その人は、いつか、このヘミングウェイのことばを真剣に考えるときがくるだろう。

もう一つ、私の好きなことばをあげておく。

Writing must be a labor of love or it is not writing.

 

やさしいことばだから訳す必要はないが、その意味は深い。何でもないことばだが、あれほど人生を愛し、美しい女たちを愛し、仕事を愛した作家の確信にみちたことばなのだ。
そのヘミングウェイでさえ、ときには失敗作を書いたし、何度も愛に傷ついたことを思いあわせれば、この言葉には、やはり、他人にわからない、つらい真実が秘められていることに気がつく。

私が好きなのは、こういう作家なのだ。今では、もう、誰もヘミングウェイのことなど思い出しもしないけれども。

1291

世間には、運のわるいやつ、不運なやつは、いくらでもいる。

 菅 直人もそのひとり。

 もし、この災厄がかつてないほどの規模のものという報告を受けたら、ただちに、首相直属の「対策統合本部」を設置すべきであった。

 東日本大震災が起きて、福島原発の1号機が、メルトダウンの危機にさらされた。そこで、緊急に冷却するため、1号機に海水が注入されたのは、翌日、3月12日午後7時4分だった。
 ところが、東電から、冷却のためそれまでの淡水から海水に切り換えるという報告をうけた菅 直人首相は、午後6時に、原子力安全委員会と、経産省の原子力安全/保安院に対して、海水の注入による再臨界の可能性についてくわしく検討するように指示した。
 その報告をまっている間に、福島原発から半径20キロの住民に対して、避難を指示した。
 つまり、この時点で、メルトダウンがおきていたことを知りながら、菅 直人首相は、そのおそるべき事態をできるだけ軽いものに見せ掛けようとしていたことになる。

 もっと、おそろしいのは、菅 直人首相が、海水に切り換えることに懸念を表明したため、東電は、海水注入の開始から約20分後に、注入を中止したという。その後、実は中断していなかった(所長判断で継続していたという)ことが判明。いったい何の騒ぎだったやら……という展開になってしまった。
 これは、当時首相に適切なアドヴァイスができなかった諮問機関の責任が大きい。菅 直人ばかりを責めるわけにもいかないが、これまたファルス、またまたファルスの一例である。

 菅 直人が首相として有能だったとはまったく考えていないのだが。
 もっとおそろしいことは、この3月12日、放射性物質の拡散を予測する報告が、いち早く首相官邸に、ファックスで届いていた。ところが、この報告は担当の部内でとどまって、首相、官房長官には報告されていなかった、という。
 私は、これを知って、ムカついた。
 菅 直人は、この部局の担当の下僚ども、および、その上司を、即刻、罷免すべきだった。そんなこともできないヤツに、首相がつとまるはずもない。

 菅首相の名はまちがいなく歴史に残るだろう。歴代宰相のなかでも、きわめて無能だった例として、菅 直人の名は輝いている。幸か不幸が、私たちは菅 直人を21世紀の日本の宰相としてえらんでいる。

 大震災のあと、かれは震災対策、被災地救援、原発事故対策と、政府部内に、26の委員会をつぎつぎに設置した。だから、首相としての責務を放棄してきたとはいえない。
 だが、菅 直人がどれほど無能だったか。どれほど、ドアホだったか。
 大震災発生の2日後、3月13日、蓮ボウ某という行政刷新担当相に、節電啓発担当相を兼務させる人事を発表している。
 「事業仕分け」で、一躍名をあげた牝鶏(ひんけい)である。

 菅 直人はその3日後(3月15日)になって――政府と東京電力が一体となって原発事故対策にあたる「対策統合本部」なるものを立ち上げている。
 その後、牝鶏(ひんけい)は何をしたか。

 そもそも、菅 直人は大震災発生の報告をいつうけたのか。

 3月15日の時点で、蓮ボウだかレンポコだか、行政刷新担当相とかいうアホウはただちに罷免すべきだったと考える。お役御免だね。地震が行政を刷新してくれたのだから。

 しかも、この時点で、福島の原発のメルトダウンの事実を知っていなかったはずはない。これほど大きな「危機」に際して、蓮ボウのような人物に「節電啓発」をさせるという神経には、おそれいってことばもでない。
 では、蓮ボウは、どんな「節電啓発」を行ったのか。

 いや、そもそも、彼が作った26の委員会は、具体的に、いつ、どこで、何の仕事をしたのか。それが、現実に菅 直人首相の政治にどういうふうに反映したのか。

 戦前のフランス政治に大きな存在だったクレマンソー(大統領)が、政治家について語ったことがある。
 俗物はおそろしい。俗物は、人類のなかでもっともふまじめなものだから、と。

 先日、民主党の小沢某と、その子分で、暫く前まで首相をつとめていた鳩山某が、首相の引きずり落としを画策したが、これはうまく行かなかった。
 すると、こんどは参院議長をつとめている西岡某が――震災・原発の対応をめぐって、菅首相の対応の遅れ、拙劣さを批判して、一刻も早く退陣するよううながした。
 参院議長が、こうした批判を公表するのは異例のこととされる。(’11.5.19)

 東日本大震災という未曾有の事態が起きたとき、日本にとってただ一つ、ほんとうにラッキーだったのは、小沢某が政権の中枢にいなかったこと、当時の宰相が鳩山某でなかったこと。私はこのことを、神に感謝したくらいである。
 西岡某という参院議長が、菅 直人の退陣を要求したことなどは――どうでもいい。そんなものは、しょせん、茶番にすぎない。

 小沢某ほど、狡猾きわまる政治家は少ない。
 もし、小沢某、鳩山某が、権力の中枢にとぐろを巻いていたら、まさしく亡国の道を転げ落ちていたにちがいない。小沢某は震災発生直後ただちに、議員の大デレゲーションを躬率(きゅうそつ)して、満面笑みを浮かべて、したり顔で日本沈没をご注進に及んでいたであろう。そんな小沢某の顔つきを想像するだけで、私は慄然とする。小沢某、鳩山某、このふたりほど低劣な俗物はいないのだから。

 社民党の国会議員のひとりが語っていた。
 小沢某のような人物が、四半世紀ものあいだ、いつも政局の中心で動いていたというのは、スキャンダルだ、と。
 天災にともなう「ふまじめな」俗物たちの人災を、政治の世界の巨大なデブリとして残してはならないと考える。

 私は、この震災を天罰、天譴とは見ない。まして国難などとは見ていない。
 私は、毎日、つぶやいている。

   自然はおまえさんに相談なんかしやしない。あんたの希望なんかにかまっちゃい
   ないし、自然の法則が、あんたのオ気に召すかどうかなんて、どうでもいいのさ。
あんたは、自然をそのままに受けいれるっきゃない。だから、その結果ってや
   つも、いっさいがっさい、手前で引き受けなきゃ。つまり、壁は壁ってこと。

 誰のことばだと思う?

 「みぞれまじりの雪降る晩に」、ペテルスブルグの地下室で毛布をひっかぶっていた奴のひとりごと。これで、私のいいたいことが、いくらかわかってもらえるだろうか。

1290

この6月5日(日)昼の12時、親しい仲間たちに集まってもらった。
駅前(東口)から、バスに乗って、終点でおりて、放射線の降りそそぐ緑地でお弁当をつかって、さて、北にむかって、しばらく歩く。いずれは冥土につづく死出の旅。もっとも、せいぜい30分ばかり。

この付近、古代の古墳群のわきの自然歩道をたどっても、せいぜい2時間のコースにすぎないので、ピクニックともいえないただのお散歩コース。

このあたり、かすかに戦前の面影を残しているが、まさかホトトギスがいるはずもないが、せめて古句の風流を思いうかべれば、

 

ホトトギス 何もなき野の 家構え

西ひがし 泣くべき夜あり ホトトギス

われ汝(なれ)を 待つこと久し ホトトギス

されば青葉・若葉の詩趣や、如何(いかん)。

一いきれ 蝶もうろつく 若葉かな

桐の葉の 悠々然と 若葉かな

若葉して 中ぶらりんの 曇りかな

 
その程度の詩趣、盃いっぱい程度はあるかも知れない。アハハ。
この「遠足」の趣旨は、ある石碑を皆さんに見ていただくことが目的だった。

 

たまゆらの いのちのきわみ ゆめのごと
季節(とき)のながれと 花のうつろい

こんなものは笑いものになるのがせいぜい、と知ってのうえの艶のすさび。
 
 
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☆近刊のご案内

『お梅さん』 オノト・ワタンナ  著  中田耕治 訳

柏艪舎(はくろしゃ)より、2011年6月下旬発売予定

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つい先日、五月になったという文章を書いた。
大地震、津波、福島の原発事故、そして被災したひとびとのことを考えると、くだらない閑文字を並べるなど申し訳ない気がする。

そして、いつの間にか六月になっちまったなあ。

ありとも知られぬからたちの花白くあらく、小雨そぼ降る朝の井戸に、水汲む女
の傘ささぬが目につきと、はね釣瓶はね釣瓶と暫しは繰返したれど、口には出で
ず遂に止みたり。後、谷中を過ぎて、
むらさきの豆の花咲く垣根哉

明治31年、斉藤 緑雨の句。

いいなあ。しばし、この句を口にして、初夏の季節を楽しんだ。

斉藤 緑雨については「文学講座」で講じたが、まともに「斉藤 緑雨論」を書く機会はなかった。
私は、五木 寛之の推輓で、鈴鹿の「斉藤緑雨文学賞」の審査にあたった時期があって、いつか「斉藤 緑雨論」めいたものを書く機会をと念願しているのだが、いまだそれは果たしていない。
しかし、斉藤 緑雨は、いつしか私にとっては身近な存在となってきて、その作品に親しむことが多くなっている。

批評家、緑雨は毒舌をもって知られるが、余技たるべき俳句もみごとなものが多い。

 

五月雨や お手紙まさに拝見す

夏の月 誰れ彼れいはず美しき

木枯(こがらし)や 夕日突き抜く 塔の先

菊枯れて 黒き手筥の ほこり哉

菊枯れて 庭に炭ひく あるじ哉

月痩せて 露の白菊 枯れにけり

枯れ菊の 沓脱ぎ石に置かれけり

おぼろおぼろ 花降りかかる三の糸

枝折戸(しおりど)の闇を さくらのそっと散る

散るさくら 散らずばおれが 散らそうか

 

 

ゆうに子規に比肩し、虚子にすぐれること、数等。

1288

もう六月になっている。
依然して、大震災とその被害のニューズに、心の晴れない日々がつづいている。

福島/原発事故にたいする政府の対応の遅さ、さらには放射性物質の飛散・拡大をできるだけ過小評価しよう、もしくは、隠蔽しようとする姿勢に、憤りをおぼえる毎日であった。
私のようなしがないもの書きでさえ、毎日、切歯扼腕していたといってもよい。

されども、桜花(おうか)すでに梢を謝して、緑林(りょくりん)影(かげ)濃(こまや)かならんとす。しばし、震災の憂鬱を忘れんとして、放射性物質のおよばざるところ、願わくば神韻を山林にたずねたり。渓流の岩にむせぶところ、涼味湧くがごとく、杜鵑(とけん/ほととぎす)月をかすむるほとり、まさに、

 目に青葉 山ほととぎす 初鰹

初夏の景物(けいぶつ)、これにしかず。
もとより放射性物質のベクレル量おそるべきにせよ、一日(いちじつ)紅塵を去って、緑陰の神韻を訪(おとの)うべきなり。(笑)

けっきょく、6月に入って、菅 直人首相の早期退陣をもとめて、内閣の不信任決議案が提出されたが、これは否決された。
すると、こんどは、首相が早期退陣を否定したため、鳩山某が、
「不信任決議案が(議会に)出る直前には、<辞める>といっていながら、(議案が)否決されたら<辞めない>という。これでは首相ともあろうものが、まるでペテン師ではないか。ウソをついてはいけない。ウソをつくのは人間としての基本にもとる行為である」
と、コキおろした。(’11,6.3)

「宇宙人」が、人間をコキおろすのだからおもしろい。(笑)

菅首相は、鳩山宇宙人と会談した際、早期退陣を約束したといわれるが、国会で不信任決議が否決されると、たちまち、「早期に退陣を約束したおぼえはない」といいだした。
君子は豹変する。
これに対して、閣内からも異論が相次ぎ、野党は、不信任決議が否決されてショボンとしたが、こんどは、首相に対する問責決議案を提出するとか。(’11,6.4)

まあ、例によって、霞が関の一場のファルス。(笑)

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 私は、金言、格言、ときにはアフォリズムなどが好きで、けっこういろいろな人の寸言隻句に興味をもっている。反対に、流行語にあまり関心がない。
テレビの芸人が、そんな流行語の一つ二つを考え出す。それがウケて、人気が出る。私は、別に不快には思わない。そんな流行語はほんのいっとき人の口の端にのっても、すぐに忘れられてしまう。そんなものは芸でも何でもない。だから私は自分では口にしない。

 アフォリズム、警句、格言だって、自分につごうのいい場合に使うのが気になって、私はあまり使わない。

「少年よ、大志を抱け」という言葉は、誰でも知っている。
だが、このことばには、もう一つ、別の言葉がついている。直訳すれば、

 

学生諸君、野心的であれ、善きキリスト教徒であるために。

 

ということになる。私たちは後半の部分をまるっきり無視して、「少年よ、大志を抱け」という部分だけを心に刻みつけたらしい。

「紳士は金髪がお好き」。これは格言ではないけれど、このことばは私たちも知っている。だが、原作者のアニタ・ルーズは、もう少し別のニュアンスをこめて使っている。

 

紳士は金髪がお好き。だけど、ブリュネットと結婚するのよ。

 

 もう一度くり返すけれど――私はアフォリズムが好きだし、いろいろな人の寸言隻句に興味をもっている。

 私の好きなことばは――それを語った本人の人柄、本人の立場などが、すぐに理解できるような言葉。
誰もが使う言葉で語りながら、その人でなければいえないことを語っていることば。

 

有名スターになったとき女優に注ぎこまれる毒ってものがあるのよ。

 

キム・ノヴァクのことば。
ただし、その毒が何なのか、どういうふうに毒が効いて、致死量がどの程度なのか、キムは語らなかったけれど。