遠い過去のサイレント映画のスターたちの伝記や、スキャンダルをテーマにした映画。けっこう、たくさん見てきたと思う。
すぐ思い出すだけでも――ピーター・ボクダノヴィッチの作品や、「チャップリン」、「ヴァレンチノ」、(映画女優ではないが)「マリア・カラス」、いろいろな芸術家の伝記映画があった。
上映中の「アーティスト」や「マリリン 七日間の恋」(マリリンはサイレント映画のスターではないが)がある。
「ヒューゴ」も、そういう流れの中で考えてもいい。
「ヒューゴ」を見ながら――ちょっと前に見た、12世紀のイギリスの「騎士」(ジャン・レノ)が、現代のシカゴにタイム・スリップしてしまう「マイ・ラブリー・フィアンセ」や、現代から、1930年代のハリウッドに戻ってしまう「13F」などを思い出した。
「ヒューゴ」のなかに、ハロルド・ロイドが高層建築の大時計の針にぶらさがる有名なシーン(「ロイドの用心棒」)が引用されている。
マーティン・スコセッシのことだから、ただのサイレント・クラシック回顧のために、ハロルド・ロイドのシーンを使っているわけではない。これも重要な伏線のひとつ。
「ヒューゴ」のような映画は、アィディアがおもしろいし、ただ見ているだけでも楽しいのだが、映画館を出たとたんに、どんな内容だったか忘れてしまう。
映画なんてそんなものだといえばそれだけだろう。
ジョルジュ・メリエスの夫人、「ママ・ジャンヌ」をやっているヘレン・マックロリーは、どこかで見たおぼえがあった。アア、そうか。サイレントから「戦後」まで、ワキで出ていたメァリ・ボーランドに似たタイプ。どうも、どこかで見たおぼえがあるような気がした。
しばらくして、「インタヴュー・ウイズ・バンパイア」でヘレン・マックロリーを見たことを思い出した。そして「ハリー・ポッター」に出ていたことも。
すると今度は、メァリ・ボーランドは、何を見たっけ? という疑問が頭をかすめた。ヒャー、サイレント映画の「高慢と偏見」だったっけ。
私の思考がタイム・スリップして、あらぬことを考えているうちに、映画はどんどん先に進んで行った。
「ヒューゴ」だってタイム・スリップものの変種といえるかもしれない。
私は、マーティン・スコセッシの作品では、「エルヴィス・オン・ツアー」ヤ、「タクシー、ドライヴァー」などでこの映画監督に敬意をもってきた。とくに「レイジング・ブル」や「ミーン・ストリート」は、ほんとうに驚嘆したものだった。
この「ヒューゴ」はアカデミー賞の5部門で受賞した。
撮影賞、美術賞、視覚効果賞、録音賞、音楽編集賞。
新聞の批評も――「映画愛にみちた冒険」(読売/3.2・夕刊)、「映画草創期の心踊る興奮」(日経)、「人生讃歌と映画愛」(毎日)、「あふれる映画への愛」(朝日/3.9・夕刊)と、手ばなしの称賛である。
私もマーティン・スコセッシの映画にたいする愛情はじゅうぶんに認めるけれど、スコセッシの作品としては、できのいい作品ではないと思う。
スコセッシ自身のフィルモグラフィーから見ても、やっと合格点といった程度の作品だろう。
映画評を書くわけではないので、勝手な感想をならべるだけだが、けっこう楽しかった。これに味をしめて、もう誰もおぼえていない映画についての感想を書きとめておこうか。映画を見ているあいだこそ心踊る興奮があっても、その評価が長く続くひとはむずかしい。長くつづいても、せいぜい半年ぐらいのものだ。
だから、個々の映画について、ときどき自分の心を揺すぶってみることが必要になる。