松窓 美佐雄のような俳人の仕事に関心をもつのは――ほとんど無名の人でありながら、貧しい農民層の心情を読んでいると思えるからである。
この人の出自は――貧しい山村の別当の子として生まれている。父は、わずかな田畑を耕し、蚕を育て、万徳院という寺の住職だったという。
松窓の句は、かならずしもすぐれたものばかりではない。
しのぶ夜や 人麿さまも 垣の元(もと)
この句は万葉の大歌人、柿本 人麿を詠んだわけではない。夜更け、垣根の下あたりに、誰かがひそかに身をひそめている。「しのぶ」は、身に忍という字。これは「偲ぶ」に通じるので、ひそかに女に思いを寄せている男が、目的の家に「しのび込む」ために、じっと身をひそめている。つまり、夜這いのありさま。
それを柿本 人麿にひっかけたもの。
鹿 通ふほど 明けて 結う 簀垣かな
この垣根は、雪垣のひとつだが、家の外側にめぐらす簀垣(すがき)という。簀垣(すがき)は、カヤを編んだスダレ。だから、防雪用ではなく、防風の垣根。秋田では、きびしい冬に、食べるものがなくなったシカが、人里にやってくる。そこで、シカがやって来るのを見越して、簀垣(すがき)を通れるように少しだけ開けておく。
お坊さんの心やさしい配慮が感じられるけれど、リズムがよくない。ただし、よく見れば別のことがうかんでくる。
寺の垣 内の相手は いぶかしや
もともとお寺は、葷酒山門に入るを許さず、というのが建前。ところが、ふつうなら山門からの出入りがはばかられる商人(あきんど)が入っている。
柿崎 隆興は、案外色気のない事柄で、頬被りした魚売りが、寺に立ち寄ったものという。
さて、どうだろうか。むろん、柿崎先生はトボけていると思うのだが。
垣越しに するのは 旨い噺かな
柿崎先生は――「家人の耳目をはばかってする「旨い噺」は「よからぬ話」に通じるのではないか。密かに、端米を持ち出して、町の<姉こ屋>に行こうといった筋の。」
という。
たぶん、そんなことだろうが、「旨い噺」は、色事だけに限らない。
幕末の、絶対的、相対的な窮乏や、そこから生じる潜在的な不安、もしくはフラストレーションの慢性化といったものが見えてこないだろうか。
(つづく)