私のブログ、わずかな期間、インターミッションがあった。
ある日、「コージートーク」を書こうとして、マシンを起動させようとした。いつもは素直に応じてくれるのに動かない。フリーズしている。
おやおや、きみは、すこしご機嫌がよくないらしいね。
動かない。
おい、どうしたんだい? 不安になった。どうしても動かない。
ヘッ、てめえも、とうとうヘバっちまったか。
しばらく、ガタガタやっているうちに、ワォ、やっこさん、息を吹き返した。やれ、うれしや。
ついさっきまで書いていた文章のつづきを出した。と、私は驚愕した。
何もない!
私は、太陽系から離れて、ただ暗くひろがる無限の空間のなかに放り出された「ボイジャー」のように、立ちつくしていた。
この二日、ぶっつづけに書いていた文章が、全部、消えていた!
ウソだろ? こんなことがあっていいのか! ショックだなあ!
もともと機械オンチである。アナログ人間。いや、それどころか、江戸でいえば、鈴木 春信から英泉あたりに生きているアナクロ人間といっていい。
<iPhone>の新型機種の発売に、三日前から並んで、一刻も早く手に入れようとするような情熱が皆無。だが、アナクロ人間に特徴的なショック反応と見るのは、正確ではない。
私のショックは、ノン・デジタル人間の、本能的、かつ、伝統的な状況がつくり出す感情的な距離なのだ。
逆にいえば――デジタル人間のみなさんは、私の立場に身を置くことはもとより、私の身に起きていることを想像することさえできない。
消えたのは、原稿用紙で、40枚程度。ま、この程度で済んだのは、不幸中の幸いというべきだろう。ずっと昔、まだワープロなるマシンが世の中に存在していた頃、私は、あるテーマで、長い原稿をワープロで書きはじめた。十二章ぐらいまで書き進めていたとき、誤操作で、7章を消してしまったことがある。
このときほど、おのれの愚かさを呪い、おのれの運命のつたなさを嘆いたことはない。
私はこの打撃から回復できず、その本を書くのをあきらめた。
今回、消えたのは、原稿用紙で40枚程度だったから、書いた内容は大まかに頭に残っている。すぐに書き直そうと思ったが――やーめた。(笑)
そりゃまたなぜに。
たとえ、ブログが止んだとて、
堪忍、信濃の善光寺。
牛のよだれの山門に
ウソを築地のご門跡(もんぜき)。
なんと、このシャレ、古いこと。
その上、wit もないとあれば、こりゃどうしたらよかろうぞいな。
聞けば聞くほど、みっともねえ。ブログを書いては、後日の難儀。
はてさて、何も気づかいなこたあねえ。
ト、思い入れ、
まず今日(こんにち)はこれぎり。(笑)