1604

最後に、「SMASH」に関係のないことを書いておく。

今年(2014年)のエミ-賞にノミネ-トされた作品は、質のいい作品がそろっているという。
ただし、あい変わらず、刑事ものでは「トルー・デテクティヴ」、犯罪ものでは「ブレイキング・バッド」といった作品が有力視されている。
「トルー・デテクティヴ」は、マシュー・マコノヒ-、ウデイ・ハレルソン。
「ブレイキング・バッド」は、ケヴィン・スペイシ-。
いずれも主演男優賞の候補という。

ただし、ミステリー部門で、「SHERLOCK シャーロック」が、TVムーヴィーの作品賞にノミネートされている。翻訳家の岸本 佐知子が、「SHERLOCK シャーロック」のおもしろさを教えてくれたので、私もこの作品に関心をもっている。

授賞式に、イギリスの俳優、ベネディクト・カンバ-バッチも出席するとか。

こういう事件が表面にあらわれることは少ないが――「SMASH 2」のプロデューサーたちは、あい変わらず人気が低迷しているため、このセクハラ事件をとり入れたらしい。

もう一つ、「SMASH」に関係のないことを書いておく。

これは、2013年1月、ロシアで起きた「ボリショイ・バレエ」の芸術監督、セルゲイ・フィーリンが、ダンサーの、ドミトリチェンコに襲われて、硫酸を顔にかけられた事件を思わせる。これは、アメリカでもヨーロッパでも大きく報道されて、一般人の耳目を聳動させた事件だった。
「ボリショイ・バレエ団」のプリマだったアンジェリーナ・ボロンソワが、芸術監督にうとまれ、「白鳥の湖」の主役から下ろされ、それ以後、全てのレパートリーからはずされるという、ひどい冷遇を受けた。捜査関係者たちは、アンジェリーナが、ドミトリチェンコに芸術監督、セルゲイへの復讐を依頼したのではないかと疑った。

この事件の背景に――
「ボリショイ・バレエ」の芸術監督、セルゲイ・フィーリン自身も、一流のバレー・ダンサーだったが、数年前に、まだ「バレエ学校」で修行中の若いアンジェリーナ・ボロンソワに目をつけた。自分の「バレエ団」に入団させるという口実で、肉体関係を要求したが、アンジェリーナは拒否した。やがて、アンジェリーナは、「ボリショイ・バレエ」で、頭角をあらわす。

一方、セルゲイ・フィーリンも、バレーの現場から引退したが、「ボリショイ・バレエ」の芸術監督に就任した。彼は、「ボリショイ・バレエ」の改革をめざして、アンジェリーナの役をつぎつぎにアンジェリーナの同僚バレリーナ、オルガ・スミルノワに移した。

それまでアンジェリーナの「持ち役」だった「白鳥の湖」も、オルガに奪われた。

この事件の審理がつづけられるなかで、オルガはセルゲイと肉体関係をもっていたことが明るみに出る。そればかりか、ほかのプリマたち、タチアーナ・ボロチコワ、ナターリア・マリニア、マリーア・ヴィノグラードワたちが、いずれもセルゲイ・フィーリンに肉体関係を強要されたり、実際にセックスしたことが明るみに出た。

「SMASH 2」のドラマターグ(プロット構成者)は、現実に進行しつつあるこの「ボリショイ・バレエ」事件を、さっそく利用したのかも知れない。(「ボリショイ・バレエ」事件は、13年12月結審。ドミトリチェンコは、傷害で禁固六年。犯行をそそのかしたのは、意外にも、オルガ・スミルノワと判明した。)

いつか、「SMASH」について思い出すことがあるかも知れない。

終わりよければすべてよし。
(2014年8月 記す)

 

 

 

 

1602

 「SMASH 1」「2」をあわせて、私の好きなシーンをあげておこう。

 ブロードウェイで、長年、下積みのコーラスガールをやっている「アイヴィー」(メーガン・ヒルティー)は、「シューバート劇場」でアンサンブルのひとり。舞台に出る前にクスリを飲んでハイになる。
 そのため、舞台でころんで、その場でクビになる。
 劇場を飛び出した「アイヴィー」を、「カレン」(キャサリン・マクフィー)が追う。

 ブロードウェイの雑踏のなかで、日頃はライバルで仲のわるい二人が、歩きながら酒を飲む。すっかりほろ酔い気分の「カレン」は町角でキーボードを弾いている大道芸人に寄って行って、その曲を歌う。途中で「アイヴィー」に歌わせる。ふたりは「最悪の週末に乾杯 お酒で祝おう」と歌う。二人の歌にあわせて踊りだす通行人たちもいる。
 これが私の好きなシーン。「SMASH 1」「第9話」。

 「SMASH 2」は、クリスチャン・ボールの比重がましている。「1」でも、ボストンのトライ・アウトの朝、あたらしいショーをむかえる歓喜を歌う。これはすばらしい。「2」では、ハリウッド・スター、「マリリン」を空港でむかえる各国のジャーナリスト全員をクリスチャン・ボールが独演する。たいへんな才能だと思う。

 教会で「サム」(レズリー・オドム・ジュニア)が聖歌を歌って、途中から「カレン」(キャサリン・マクフィー)が交代するシーン。
 この、キャサリンの聖歌もすばらしい。

 「SMASH 2」は、このドラマらしい最終回をむかえる。
 華やかな授賞の式次第がつづく。
 クリスタ・ロドリゲス、キャサリン・マクフィー、ジェレミー・ジョーダン、レズリー・オドム・ジュニアが、「ヒット・リスト」のテーマを歌う。
 ブロードウェイ讃歌。

 そして、最後に、キャサリン・マクフィー、メーガン・ヒルティーのデュエット。
 終わりよければすべてよし。

 ジョシュア・サフラン自身が「最終話」の脚本を担当していることも、マイクル・モリスの演出だったこともおもしろい。

1603

「SMASH 1」の「第14話」。「ボムシォル」ボストン公演の前夜、アンジェリカ・ヒューストンが、ホテルのラウンジで「セプテンバー・ソング」を歌う。けっしてうまい歌ではないが、それでも大女優の風格といったものを感じさせた。
「SMASH 2」でカットされたシーンの一つに、アンジェリカ・ヒューストンがシャンソンを歌う。フランス語だが、これがいい。

「SMASH 2」で、いちばん失望したのは――ライザ・ミネリ。

「キャバレー」(ボブ・フォッシー監督/72年)のライザをおぼえている人は、「SMASH 2」のライザに何を感じたろうか。

「ボムシェル」の演出が、「デレク」がおりて「トム」(クリスチャン・ボール)に交代する。上演する劇場も「ヴェラスコ劇場」にきまって、「トム」の演出が、なんとか恰好がついてくる。
ところが、主演女優、「アイヴィー」の誕生日を忘れる。「トム」はあわてて、誕生日のビッグ・サープライズ、「アイヴィー」が尊敬する歌姫、ライザ・ミネリの歌をプレゼントする計画を考える。
(これは「1」の「第13話」――主演女優「レベッカ」(ユマ・サーマン)が、演出家「デレク」の誕生日に「マリリン」の歌、「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー」を歌うシーンとコントラストになる……はずだったが。)
「アイヴィー」は、その晩、親しい仲間とパーテイーをする予定で、「トム」をオミットしている。

「トム」と「アイヴィー」が食事しているレストランに、ライザ・ミネリが姿をあらわす。驚いた。ライザ・ミネリは、整形手術のせいで表情が死んでいるばかりか、声に問題があった。

「SMASH I」のゲスト・スター、まだ未成年のニック・ジョナスが、ドラマにうまくからんでいたのに、「2」では、「ヴェロニカ」(ジェニファー・ハドソン)もドラマの途中で消えてしまうし、ライザ・ミネリはお義理で出てきたようなものだった。

私は、ライザにあわれを催した。整形手術による表情、雰囲気の違いを考えても、年齢を重ねてきた女優の内面の美しさなど、どこにもなかった。
もともと、「アイヴィー」にささげる歌、「ラヴレター・フロム・タイムズ」の内容が空虚なものだったので、その空虚にライザ・ミネリの衰えが重なっている。

「SMASH 1」が、「カレン」のサクセス・ストーリーだったとすれば、「SMASH 2」は、「アイヴィー」のサクセス・ストーリー。ただし、「トニー賞」の発表といっても、まるっきり緊張もないし、サスペンスもない。それに、ブロードウェイの演劇人が集まる豪華な雰囲気もない。
最後に、「カレン」と「アイヴィー」のデュエットを含むダンス・シーンで、おしまい。世はすべてこともなし。めでたしめでたし。あきれた。

1601

夜が明けようとしている。

前日、「カレン」ときっぱり別れたはずの「ジミー」が、前非を悔いて「カレン」の部屋にいそぐ。謝罪しようとして、「カレン」の部屋から「デレク」が出てくるのに気がつく。「ジミー」はそのまま失踪する。じつは、この時点で、「ジミー」の親友、「ヒット・リスト」の原作者「カイル」は事故死している。
ブロードウェイの、「ボムシェル」公演は成功するが、作詞/作曲の「トム」/「ジュリア」は、新作「華麗なるギャツビー」ミュージカル化をめぐってついにチーム解消に追い込まれる。
演出家の「デレク」は「カイル」の死で全員が士気喪失したため、「ヒット・リスト」の公演中止を考える。しかし、劇場の外では観客が列を作っている。いそいでコンサート形式で上演しようとするところに、主演の「ジミー」が戻ってくる。そこで、急遽、舞台は初日を迎える。

「SMASH 2」の後半は、ドラマターグの「ピ-タ-・ギルマン」を「消したり」、「デレク」のセクシュアル・ハラスメントや、「ジュリア」が15年も昔の相手、「スコット」のために、ドラマターグをつとめる。「ジミー」の失踪。「カイル」の事故死。
こうなると、それぞれの回のシナリオが、話の「つじつま」(coerenza)あわせに狂奔しているといっていい。

悲劇的なシーンの感動をつよめるためにユーモラスなシーンを並べるのは、コントラストをつよめるためだが、「SMASH 2」は、映画スター、「テリ-・フォールズ」を軽薄に描くことで、いかにもブロードウェイのハリウッド風刺や、最後の「トム」の、「トニー賞」審査員相手のワインさわぎ。愚劣なファルス。
「ボムシェル」公演が成功し、「ヒット・リスト」とならんで「トニー賞」にノミネートされる。このとき、作曲=演出家の「トム」は、審査員のひとり「パトリック・ディロン」にワインを贈る。これが選考に手心をくわえさせる行為と見なされれば、「ボムシェル」は選考から外される。
そこで、「トム」は、あわてて、ワインをとり戻そうとする。
「第15話」に、こういう笑えない笑劇(ファルス)が出てくる。

ストーリーの「組み立て」も粗雑になって、メイン・キャラクターが雪崩をうってエンディングめざして走っているようだ。

演出家の「デレク」は、「ヒット・リスト」であたらしい女優、「デイジー・パーカー」(マラ・ダヴィ)を起用するが、彼女は「デレク」をセクハラで窮地に追い込んだひとり。不審に思った「カレン」の追求で、「デレク」は脅迫されていると白状する。
一方、「ボムシェル」で成功した「アイヴィー」は、スターの仲間入りを果たすが、ストリッパーの役で。彼女は抵抗するが、けっきょく歌うことになる。スターになった「アイヴィー」は「カレン」と仲直りするが、すぐにまた対立する。しかも、「ボムシェル」が成功したばかりなのに、妊娠していることを知らされる。
「SMASH 2」も、ただひたすらエンディングに向かっている。残すところ、あと2回。どうして、こんなにつまらないドラマになってしまったのか。今回は、キャサリン・マクフィーがいい歌を歌っているのでなんとか見られる。
ジョシュア・サフラン自身が「第14話」の脚本を担当している。演出が、マイケル・モリスだったことも記憶しておこう。理由は――ここではふれない。

プロデューサー、ジョシュア・サフランは、「カイル」追悼でこのドラマの最後の収束をはかった。「カイル」追悼が、そのまま「SMASH 2」へのトリュービュートであるかのように。

夜が明けようとしている。
深夜にソチ・オリンピックの開会式を見たうえ、「SMASH 2」を見たため、4時過ぎにもう一度、ベッドにもぐり込んだっけ。

 

 

1600

演出家の「デレク」が、意見の対立から「ボムシェル」の演出を降りたため、「カレン」も「ボムシェル」出演を断念する。そして、まるっきり無名の作詞家・作曲家による「ヒット・リスト」の上演に協力することになる。
やがて、「デレク」は「ヒット・リスト」を「フリンジ演劇祭」で上演する決心をする。

「ヒット・リスト」が、尖鋭(エッジー)なミュージカルなのに対して、フランスの古典、「危険な関係」を出してきた。「SMASH 2」の、ブロ-ドウェイ風刺が鮮明にあらわれる。
「危険な関係」の「セシール」は「ヴァルモン」によって妊娠する。その「セシール」を演じる「アイヴィー」の「運命」にかかわる伏線だが、このなかで、ミーガン・ヒルティーのオペレッタふうの歌がすばらしい。
この女優さんは、「SMASH 2」で、それまでの唱法よりも、もっと変幻自在な、いわば「オペラ・ブッファ」まで歌いきってしまう。これなら、「セシール」で、「トニー賞をもらってもいい。(むろん、このドラマでの話だが。)

ただし、「危険な関係」がフロップするのは当然で、ドラマの重心が、大きな変化を起こす。「アイリーン」と、「ニューヨーク・タイムズ」の記者のロマンシングや、巡業から「ボムシェル」に復帰しようとする「サム」(レズリー・オドム・ジュニア)と「トム」の破綻、「ヒット・リスト」の「カレン」と「ジミー」、「デレク」の三角関係などがからむ。そして、「ヒット・リスト」の原作者「カイル」の事故死。

それぞれが、落ちつかない展開で、「SMASH 2」全体の緊張は低く、盛り上がりを見せないまま、ラスト・スパートにむかって行く。

 

 

1599

 「ジュリア」の脚本(ボストン公演)の弱点をカヴァ-するために「ピ-タ-・ギルマン」(ダニエル・サンジャタ)というドラマタ-グが登場する。ドラマタ-グというのは、他人の脚本に手を入れたり、弱い部分をカットしたり、必要とあれば自分が書き直す。上演の場合、ドラマタ-グの名が出ることはない。いわば、影武者のような存在。
「ピ-タ-・ギルマン」自身が書いた戯曲は1編だけ。「自分には、いい脚本を書く才能はない。しかし、人に教える才能はある」という。ニュ-ヨ-ク大の演劇科で講義しながら、ブロ-ドウェイの有名作品の多くのドラマタ-グをつとめた人物。ダニエルという俳優はなかなか魅力があって、「イヤ-ゴ-」をやったらぴったりという役者。ウディ・アレンの映画にも出ていた。
ただし、この「ピ-タ-」は、「イヤ-ゴ-」ではなく、ブロードウェイの脚本家も、お互いに足をひっぱるのではなく、協力すべきだという理想的なキャラクターに「変身」する。

このドラマタ-グの起用にも、おそらくもう一つ別の理由がある。

「SMASH 2」のショー・ランナー、ジョシュア・サフランは、「1」の「マリリン」像を徹底的に否定する。「ピ-タ-・ギルマン」の「ジュリア」脚本の改訂の目的は――テレサ・リューベックの「SMASH 1」の全否定という、すさまじい結果になった。

「ピ-タ-・ギルマン」の行動はジョシュア・サフランのテレサ・リューベック批判のあらわれと見える。

「SMASH 2」の、大きな特徴は、「2」のプロデーサーズが「1」のプロデューサーズより圧倒的にふえていること。つまり、あたらしいプロデーサーズを多数起用することでもとのプロデューサーズ、ジム・コーリーズ、マーク・シャイマン、スコット・ウィットマン、ノレイグ・ゼダン、ニール・メロン、ダリル・フランク、ダスティン・ファルヴェイなどの位置を相対的に低くする。しかも、それぞれのストーリーに別々に多数の女性脚本家を起用していること。

「2」全17話の脚本家は、男性が(ショーランナーの)ジョシュア・サフランをふくめて4名。
これに対して、女性の脚本家は、共作をふくめて8名。
単純にいって、1:2の比率で女性のほうが多い。

ジュリア・ブラウネルが、3回(第6話/第11話/第15話)
イライザ・ズリッキイが、2回(第2話/第10話)
ジュリア・ロッテンバーグが、2回(第2話/第10話)
ベッキイ・モードが、2回(第7話/第13話)
バテシバ・ドーランと、ノエル・ヴァルディヴィアが、それぞれ1回づつ。

おそらく――「第5話」あたりで、視聴率が低いまま低迷している「SMASH 2」のブラッシュアップを考えはじめたのではないかと思われる。
その結果、「ピ-タ-・ギルマン」の登場は、「ボムシェル」脚本の改訂で、「最高の傑作」までたどりつく。その結果、「ピ-タ-・ギルマン」は、「シルヴィア」の急場を救う「ブロテュース」(「ヴェローナの2紳士)よろしく、まったくの善意の人に変身してdrama から消えてしまう。「ヴェロニカ」(ジェニファー・ハドソン)が消えてしまうのとおなじように。
「SMASH 2」の低迷で――「ピ-タ-・ギルマン」の「ジュリア」脚本の改訂の「ライン」(方向性)を再考しはじめて、「ピ-タ-・ギルマン」は「イヤーゴー」ではなく、「ボムシェル」の原作を「最高の傑作」に仕立て上げる「善意の人」に変化させる。一方でフランス文学の古典、「危険な関係」のミュージカル化に、映画スター、「テリ-・フォールズ」を登場させ、その俗物ぶりを嘲笑することで、「アイヴィー」の「苦難」と「光栄」を対比する。
この「第5話」~「第9話」あたり、「SMASH 2」の混乱と、作戦の建て直しに右往左往している「SMASH 2」のプロデューサーズの姿が見えるような気がする。

このあとから、各話のストーリーが、まるで断片をつなぎあわせるようなものになってくる。それぞれのシークェンスが、長編におけるキャラクターの「変化」ではなく、場あたり的な人物の「出し入れ」がめだつ。

 

 

1665

【7】

 

ガルボと並んで、ハリウッド黄金期のスターだったマルレーネ・ディートリヒは、「自伝」のなかで、ガルボに言及している。
フランスの映画スター、ジャン・ギャバンは、1939年、ナチス・ドイツの侵攻でパリが陥落すると、すぐにアメリカに亡命した。アメリカに渡ったギャバンを助けたのは、マルレーネ・ディートリヒだった。ディートリヒはたちまちギャバンに恋をした。
同棲したブレントウッドの邸宅の隣りに、あくまで偶然だが、ガルボが隠棲していた。ガルボはそれぞれ国籍も違うふたりの大スターが同棲していると知って、好奇心にかられたらしく、ふたりの動静をさぐった。ふたりの夜の生活ものぞきにきた、という。

マルレーネ・ディートリヒらしい皮肉がこめられている。同時に、悪意も。
ディートリヒは、ガルボが結婚せずに、スピンスター(オールド・ミス)として生きたことを嘲笑して、無名時代の彼女が、監督(スティルレル)に犯されて、悪疾をうつされたためと書いている。

ガルボは引退後も、依然としてエニグマでありつづけた。

「グランド・ホテル」(1932年)に、ガルボらしいセリフがある。

 

あたし、人生がこわいんです……
あたしは誰も愛していないの。

私は、スクリーンで私のすべてをさらけ出しています……それなのに、どうしてみんなは私のプライヴァシイを侵害したがるのかしら。

ほんとうのところ、私自身を表現できるのは、「役」を通してであって、ことばではいいあらわせないのです。だから、どうしてもインタヴューを避けてしまうのよ。

 

ガルボには、宿命観があるのか、運命論者めいた口のききかたをする。

私は、自分がしあわせ過ぎると思っています。

べつに理由もないのに、幸福でいられるなんて、なんてすばらしいことか。

映画のなかで一度も笑ったことがなかったが、「ニノチカ」(1939年)で、はじめて笑ったので、世界的な評判になった。

 

 

1598

「SMASH 2」のあたらしい展開のために、あたらしいキャラクター、「ヴェロニカ」(ジェニファー・ハドソン)が登場する。ジェニファーは、エミー賞を2度受けた黒人女優である。

だが、「SMASH 2」の「ヴェロニカ」の登場には必然性がなく、当然ながら「カレン」や「アイヴィー」のドラマ、性格上の発展、変化とは関係がない。

なぜ、ジェニファー・ハドソンが起用されたか。もとより忖度のかぎりではないが、「2」のジョシュア・サフランは――「SMASH 2」が「カレン」と「アイヴィー」ふたりの確執、嫉妬、羨望、ドラマの中でのふたりの成功と挫折だけでは成功しないと判断したはずである。

アーティストとしてのジェニファー・ハドソンは、たいへん魅力的なミュージカル女優で、自分のナンバーを圧倒的な迫力で歌う。
それも当然で、ジェニファーは「1」の出発とほぼ同時期に、新作「アイ・リメンバー・ミー」が大ヒットしていた。「ビルボード」で、発売1週間で16万5000枚。この年だけで、50万枚。圧倒的な数字である。デビュー・アルバムが80万だったから、たいへんな実力派といえるだろう。(映画でも、アカデミー賞の助演女優賞をとっているし、ゴールデン・グローヴ賞もさらっている。)「SMASH 2」のプロデューサーの目に、強力なリリーフと見えたに違いない。
だが、「SMASH 2」はジェニファー・ハドソンを起用する必然性がなかったと私は考える。
ジェニファー・ハドソンの役、「ヴェロニカ」は、年齢的にもキャリアーとしてももはやブロードウェイという枠におさまりきれない女優なのに、いつもステージ・ママにつきまとわれて、清純な「娘役」を演じているという設定。

「SMASH 2」の「第1話」で、「ヴェロニカ」は演出家、「デレク」に、あたらしいショーの演出を依頼する。芸術家としての自分のあたらしい面を切り開くために。
ところが、この「ワン・ナイト・ショー」の演出にも、「ヴェロニカ」の母親がいちいち干渉してくる。
「SMASH 2」の視聴者は――この母娘の「関係」から、「1」の「アイヴィー」と母親の「リー・コンロイ」の対立を連想するだろう。いまさら、おなじテーマを「ヴェロニカ」と母親の対立で見せられるのかとげんなりしたファンも多かったのではないだろうか。

たしかに、ジェニファーの歌唱力はすばらしい。とくに、最初の二人の合唱――第一話「オン・ブロ-ドウェイ」のジェニファー・ハドソンの歌に、キャサリンがスキャットでフォロ-するシ-ン――では、キャサリンの歌唱力が劣っているように見える。
ジェニファーがすばらしいだけに、観客は、当然、今後の展開にジェニファーが大きな役割を果たすものと思う。ところが、ジェニファーは、この「ワン・ナイト・ショー」の公演だけで、あとは、まったく姿を消す。「SMASH 2」の失速は、こうしたジェニファーの「設定」に大きな原因がある。

おそらく、もっと別の理由もあったに違いない。
ジェニファーは、数年前に個人的に大きな悲劇の渦中にあって、いたましい、陰惨な事件を経験している。このスキャンダルから脱出してブロ-ドウェイに復帰していただけに、アメリカの視聴者は――「SMASH 2」のジェニファー・ハドソンの登場に、何を見たのか。

 

 

1597

ところが、「SMASH 2」では、「ボムシェル」がブロードウェイ公演にむかって順調に出発するのではなく、公演のためマフィアに資金を仰いだという密告があって、国税庁の調査が入る。このため、「ボムシェル」のブロードウェイ公演は挫折する。
そればかりでなく、「SMASH 2」は、スキャンダルまみれになってしまう。

「SMASH 2」では、脚本家「ジュリア」(デブラ・メッシング)は離婚する。「ボムシェル」のつぎの仕事をめぐって「トム・レヴィット」(クリスチャン・ボール)と対立する。「アイリーン」は夫の「ジェリー」の妨害で、公演の資金集めに苦労する。

演出家の「デレク」(ジャック・ダヴェンポート)は、トニ-賞女優の「ヴェロニカ」(ジェニフアー・ハドソン)の、一夜限りの公演の演出を引き受けるが、突然、女優5人にセクシュアル・ハラスメントで告訴されたり、つぎつぎに不運に見舞われる。

「ボムシェル」から離れた「カレン」は、自分が見つけた若い作曲家「ジミー」(ジェレミー・ジョーダン)、作詞家「カイル」(アンデイ・ミータス)のチームの新作ミュージカル、「ヒット・リスト」の上演を応援する。このミュージカルの演出を「デレク」がひきうけたことから、「ヒット・リスト」はオフ・ブロードウェイで上演されることになる。

たいていの場合、ドラマは、ショー・ランナー(全体のストーリーの流れ、登場人物の「設定」をきめる)を中心にして、それぞれのパートを脚本家(オペラのリブレティシスタ、ミュージカルの作詞家)に分担させて、脚本を仕上げて行く。その場合、それぞれの演劇観、ドラマトゥルギーの違いから、脚本家に書き直しをさせることはめずらしくない。
「SMASH 2」の、大きな特徴は、「2」のプロデューサーズが「1」より、圧倒的にふえていること。つまり、あたらしいプロデューサーズを多数起用していること。
むろん、ドラマのあたらしい「展開」のために必要な措置だったかも知れない。
だが、「2」のプロデーサーズがふえたことは――もとのプロデューサーズ、ジム・コ
ーリーズ、マーク・シャイマン、スコット・ウィットマン、クレイグ・ゼダン、ニール・メロン、ダリル・フランク、ダスティン・ファルヴェイなどの位置を相対的に低くすることにあったと見ていい。

「SMASH 2」の、もうひとつの大きな特徴は、それぞれのストーリーに別々に多数の女性脚本家を起用していること。
この結果、「SMASH 2」は、「1」の、あのいきいきとしたドラマとしての緊張を失ったと私は見ている。

「1」が、はじめから好調なすべり出しで、視聴率が非常によかったために、NBCははやばやとシリーズ化を考えた。
ほんらいなら、そのまま、テレサ・リューベックが、ひきつづいてストーリーを考えるべきところを、視聴率を維持しよう(または、もっと高めようというもくろみから)、NBCは「SMASH 2」をジョシュア・サフランに委任したと見ていい。

「SMASH 2」失敗の責任は、「1」の制作者、テレサ・リ-ベックを降板させ、ジョシュア・サフランに交代させたNBCの幹部にある。

 

 

1596

「SMASH 1」の成功は、なんといっても、登場人物の魅力の大きさによる。小説でも、芝居でも、すぐれた作品の魅力は、まず例外なく登場人物の魅力に収斂している。 ひどく単純化していえば――「SMASH 1」は、清純派の「カレン」と肉体派の「アイヴィー」のコントラストに収斂していた。
それが、「マリリン・モンロー」の二重性に重なっていたと見ていい。

「アイオワ」出身の「娘役」(インジェニュ-)の「カレン」に対して、「アイヴィー」は有名女優の娘ながら、長年、下積みのコ-ラスガールをやっている、いささかビッチィーな女優。ごくわかりやすいコントラストで――このふたりのライヴァル関係、ひいては価値観の対立は、「女」として、「女優」として「役」(生きかた)のなかで解決しなければならない、それぞれの愛情のありかた、豊かさ、そうした演技がどこまで出せるか、という問題にうまく重なってくる。
単純なだけに、説得力もある設定だった。(これは、原作のガースン・ケニンの「マリリン・モンロー」がそうだし、「SMASH 1」の、ストーリー・ランナー(原案作成)のテレサ・リーベックの基本的な設定だったと見ていい。)

「カレン」と「アイヴィー」。ふたりは何から何まで対照的で、「カレン」の無邪気さ、純粋さ。「アイヴィー」は野心的で、現実の「マリリン」が「比類ない彼女」Uncomparable She としてのエロスを併せ持っている。
「1」(第1話)――最初のオーディションに合格した夜、「カレン」は、演出家「デレク」(ジャック・ダヴェンポ-ト)に呼び出される。「デレク」は演出だけでなくコレオグラファー(振り付け)で、「カレン」を誘惑しようとする。「カレン」は「デレク」から逃げるが、「アイヴィー」は、サシで稽古をつけようとする「デレク」と寝てしまう。

どんな役でももらえるだけでいい。でも、「アンサンブル」という呼びかたは恰好がいいけれど、実際にはコーラス・ガールじゃないの。(「カレン」のアルバイト先の同僚(日系の女優、ジェニファー・イケダ)がいう。コーラス・ガールの世界はきびしい。 オーディションでプロデューサー、演出家の眼にとまって採用されなければ、舞台に立てない。観客の眼にとまらないほんの端役でも、全力をつくして舞台をつとめる。
いつかスターになることを夢見て、ブロードウェイで次の舞台に期待をかける。だが、そんな奇蹟はほとんど起きない。

日本だって、下積みの役者たちの生活は似たりよったり。私は、「SMASH」を見ながら、自分の知っている無名の役者たちの姿を思いうかべた。
「SMASH」に関心をもったのは――ブロードウェイの下積みの役者たちの生きかたが、少しでも見えるからだった。(「SMASH」の先行作品として「フェイム」、「コーラスライン」を思い出す。「ミュージカル」を描いたミュージカルの先例として、「ア・クラス・アクト」をあげても、それほど見当違いではないだろうと思う。)

「カレン」と「アイヴィー」は、「ボムシェル」の「アンサンブル」として、きびしい稽古に明け暮れる。
このドラマ「1」で、カレン」と「アイヴィー」ふたりの、孤独感、嫉妬、羨望、ドラマの進行につれて募ってゆく憎しみ。それは感情の領域から――「女」としてのステータス獲得という目的にかかわってくる。

 

 

1595

「SMASH」は、スティーヴン・スピルバーグ制作・総指揮のTVドラマ。2012年、NBCが放送した。日本でも少し遅れて放送され、シリ-ズ1部、2部がDVD化されている。
ある時期まで私はマリリン・モンローにつよい関心をもっていたので、このTVドラマを見た。ハリウッド女優、「マリリン・モンロー」の人生をミュージカル化した、TVドラマと知ったから。

私は「SMASH」のファンになった。

ハリウッド女優、「マリリン・モンロー」をミュージカル化するというアイディアからドラマは始まる。脚本家の「ジュリア」(デブラ・メッシング)と、作曲家、「トム」(クリスチャン・ボール)「トム・レヴィット」のチームの共同作業で、この企画は「ボムシェル」というミュージカルになってゆく。

芝居でもミュージカルでも、舞台では何が起きるかわからない。ミュージカルの舞台化について何も知らない私たちは、「SMASH」を見て、はじめて一つの作品がブロードウェイに姿をあらわすまでのさまざまな困難や、行き違いを知ることになる。
したがって、 このドラマは、ブロードウェイのショー・ビジネスのインサイド・ストーリー、あるいはバックステージ・ドラマと見ていい。

プロデューサーは「アイリーン・ランド」(アンジェリカ・ヒューストン)。夫はブロードウェイの大プロデューサーだが、かつてのジーグフリードさながら、若い女優に手をつけては、舞台に立たせてやる趣味がある。「アイリーン」は夫に愛想がつきて離婚して独立するために、「ボムシェル」のプロデューサーになる。

ミュージカルなのだから、主役をきめなければならない。その主役が「マリリン・モンロー」ともなれば、一生に一度というビッグ・チャンスになる。
新人の「カレン・カートライト」(キャサリン・マクフィー)と、長年ブロードウェイで下積みのコ-ラスをやっている女優、「アイヴィー」(ミーガン・ヒルティ)がオーディションを受ける。
このふたりの競争が、そのままドラマの葛藤(コンフリクト)になっている。

だが、大きな資本が投下されなければ、ミュージカルは成功しない。そのため、スター・システムが、音楽の女神の領域にも必要になる。ハリウッド女優が起用されることになって、「カレン」も「アイヴィー」も、「ボムシェル」の「アンサンブル」(コーラス・ガール)になってしまう。

ミュージカル「ボムシェル」は、ブロードウェイで上演される前の、ボストンでの試演(トライ・アウト)にまでこぎつける。だが、主役の「マリリン」をめぐって最後の最後までもつれ、ボストン公演では、ぎりぎりになって「カレン」が抜擢される。これが「SMASH 1」のスト-リ-。全15話。

放送開始から驚異的な視聴率で、「SMASH」は、すぐに続編の制作が決定したという。

「SMASH 1」のラスト、ボストン公演にみなぎっていた、ミュージカル上演までの緊張感、いきいきとしたドラマとしての緊張は――「SMASH 2」では、最初から消えていた。なぜなのか。

 

 

1594

「人生相談」。

50代働く女性。夫も子どももいます。60代男性との交際に悩んでいます。
その男性とは、20代で知り合って、今までは5人程度で食事をする「グループ交際」でした。4か月ほど前に「2人だけでのみに行こう」と誘われ、深い仲になってしまいました。
彼にも妻子がいます。夫とはセックスレスで、この7年間一度もしていません。彼とキスしたいのが正直な気持ちです。「夫にばれたらどうしよう」というスリリングな関係でドキドキです。
彼のことも夫のことも好きです。彼と別れたくない一方で、自分の夫と家庭も大切にしたい。彼にも家庭を大切にしてほしいです。
2人でお茶までは許されますか。彼と話し合って、「肉体関係はやめましょう」「キスまではOKです」と、お付き合いの内容を相談した方が良いでしょうか。気持ちが揺れていて不安定です。行き場のない恋心で自分はどうしたらいいのでしょう。 (U子)

以下は、ある精神科医の「回答」。

「彼も夫も好きです」「家庭は壊したくない」「彼とは別れたくない」とめんめん
とつづられています。二つの愛の間で揺れ動くという図式なんですけど、非常に単
純化して言えば、「バレないように浮気を続けるにはどうしたら良いですか?」と
いう問いかけですよね、これは。
「結局あなたは自分に都合の良いようにしか考えていない」と言う声も聞こえて来
そうですが、この背景に夫のセックスレス等の事情がありそうだし、倫理的にどう
こう、と言う話にもっていく気はありません。
「このままだと危ないことになる」というリスク論の見地から考えるべきです。
ここであなたは「条件付き交際なら許されるのか?」という提案もされていますが、
そもそも2人で会うこと自体すでに浮気だし、「これなら許容範囲」という勝手
な思い込みで気が緩んで、かえって発覚の危険が高まりかねない。
それでも彼と会い続けたいと言うなら、バレた時にどうするつもりか、そこまでち
ゃんと考えておかねばなりますまい。あなたにその時の覚悟がないようなら、ここ
では大やけどの前に引くのが大人の判断かと。

 

以下は、私の考え。

「このままだと危ないことになる」ということは、きみも予感している。バレた時にどうするつもりか、そこまでちゃんと考えて、不倫に走るほど、きみは功利的、かつ理性的な女性ではない。はじめからそんなことまで考えて誰が不倫な恋をするものか。

ごく普通の主婦として生きてきた女性が、思いがけない恋にうろたえながら、どこかで「夫にばれたらどうしよう、というスリル」に陶酔していることに気がつく。この悩みを他人に相談していることにもその喜びはあらわれている。

私は、この女性に二つのことを助言する。

一つ。この「恋」は誰にも知られてはならない。

夫とは7年もセックスレスという。理由はわからないが、夫がすでにきみを性的な対象として見ていないことはたしかだろう。それを、きみは屈辱とは考えなかった。だが、女としての痛みはあったはずである。その痛みがセックスという磁場で癒されるとすれば、この「恋」があまやかに思われるのは当然だろう。

この「恋」は、誰にも知られてはならない。相手には、そのことをはっきりつたえておくこと。「彼と別れたくない一方で、自分の夫と家庭も大切にしたい。彼にも家庭を大切にしてほしい」。そのことはぜったいにつたえておくこと。

ただし、私は危惧している。――この「恋」はいずれバレるだろうと思う。きみの文章を読むと、ごく平凡な主婦の「よろめき」としか見えない。これでは、バレても当然だろう。
バレた場合、徹底的にシラをきること。自分が不倫に走ったなど考える必要はない。しおらしく、おのれの前非を悔いて涙をながしたり、うろたえて、家族の非難を浴びたり、相手の家族まで巻き込むようなまねはするな。
私の考えが世間の常識にそぐわないことは重々承知している。だが、私は、「あなたは自分に都合の良いようにしか考えていない」女性だからこそ、あくまでシラをきるように忠告する。きみ一人が不幸になるのはいい。だが、きみ以外の人を傷つけてはならない。

 

 

1593

滝沢馬琴の硯塚、筆塚も行って見た。青雲寺。かつては花見寺とも呼ばれた名刹(めいさつ)。広重や、「江戸名所図絵」にも描かれた“花”の名所という。むろん、そんなおもかげもない。

境内には馬琴の碑ばかりではなく、船繋ぎの松の碑、狂歌の安井甘露庵の碑などもある。
甘露庵はへたな狂歌だが、それでも江戸の風景が眼に浮かぶ。

「雲と雪と五分五分に見える山桜もう一寸も目をはなされじ」

ついでに、作家の山東京伝の墓。墓は両国の回向院。弟の京山が建てたもの。京山も作家。
山東京伝、本名、岩瀬醒(さむる)。名前がいい。醒めているのだから。江戸城、紅葉山の東に住んでいて「山東」、京橋南伝馬町に住んでいたから「京伝」。
京山、名は岩瀬百樹(ももき)、あざなは鉄梅。執筆堂として知られている。安政五年、当時のおそろしい流行病、コロリ(コレラ)にかかって亡くなった。
境内には、大相撲ゆかりの力塚の碑や大火の石塔、安政の大地震の碑がある。もっとも、ネズミ小僧次郎吉の墓のほうがよく知られている。また、寛政五年に建てられた水子塚がある。

西日暮里、養福寺、真言宗・豊山派。山崎 北華の墓がある。号は、不量軒、無思庵、捨楽斎、確蓮坊、世に隠れて自堕落先生と称した。その碑銘にいわく、
「若年ニシテ諸芸学トイエドモ不極心ニ欲ルホド於テ足リヌトシテ書ヲ読メドモ解スル事ヲセズ是故ニ無学ニシテ無能ナリ」と。
境内に、西鶴の百回忌にちなんだ梅翁花樽の碑。発起人、谷素外。左右に雪と月の碑。

浅草聖堂と称する誠向山正法寺。「都内で初めての近代的な屋内型墓所の聖堂」という愚劣寺。蔦屋十三郎の墓。石川雅望、太田南畝の達意の名文章。

橋場には平賀源内の墓。
晩年の句に源内の自嘲がひびいている。

功ならず名ばかり遂げて年暮れぬ

私は、いつも若い友人のようすをうかがって彼の体調を気にしていた。彼が、ときどきからだの痛みに顔をしかめるようになって、散歩どころではなくなったのはしばらくあとのことだった。

 

 

1592

ずいぶん前に書いたのだが、ある時期,江戸文人のお墓まいりをしたことがある。
掃苔の趣味がないので、私のお墓まいりにはさしたる理由もない。

いつもいっしょに登山をしていた若い友人が、不治の病にかかって、登山どころではなくなった。夫人の希望で、その病気のことは最後まで本人には伏せたので、私としては残された時間をできるだけ友人たちといっしょにすごしてほしい、と思った。友人に、あまり負担をかけないでできること。私の考えたのは「江戸の文学散歩」という名目だった。

私の周囲にいた女性たちにも声をかけた。むろん、彼女たちにも彼の病気のことは伏せたのだが。

若い友人は山の手生まれ。優秀な人物だったが、下町のことは何も知らなかった。彼の登山スタイルも、はじめは北アルプスだけが目標といったタイプだったが、私といっしょに、地図にル一トも出ていないような無名の山に登るようになった。
最後には、わざわざ誰も登らない滝を「発見」して、むずかしいル-トに何度も挑戦するようになった。

私が「江戸の文学散歩」で選んだのは、まず、葛飾北斎の墓だった。台東区西浅草4・6・9 浄土宗・誓教寺にある。
北斎、姓は中島。名は時太郎、のちに鉄蔵という。号は春朗、宗理、可侯、画狂人、卍翁など、じつに三十あまりもあるという。
つぎに浅草六丁目、遍照院。北斎、終焉の地であった。

 

1591

もう,誰の記憶にも残っていないだろうからここに書いておく。

日本のどこかに玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の墓がある。
いうまでもなく、「西遊記」の三蔵法師。三蔵法師なら,誰でも知っているだろう。そんなえらいお坊さんのお墓にいつか詣でてみたいと念願してきた。
しかし、その願いはついに果たせなかった。

玄奘三蔵は、長安に葬られたが、のちに宋の時代、南京に移されたという。
日中戦争の際に偶然、発掘され、当時,日本に協力した汪兆銘が改葬した。
このとき、遺骨の一部が日本に贈られた。日本側は上野の寛永寺で霊骨恭迎法要
をいとなんだのち、長安の大慈恩寺にちなんで、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安し
た。ときに、一九四四年(昭和十九年)十二月二十三日。

埼玉県岩槻市なら,少し足を伸ばせば行けない距離ではない。いつでも行ける。いつか行って見よう。そう思いながら、いつしか忘れてしまった。
残念ながら、今の私には岩槻に行く気力、体力がない。

埼玉県在住のどなたか、いつか三蔵法師のお墓まいりをして頂けないだろうか。

 

 

1590

閑院宮 載仁の記事から、まるっきり別のことを思い出した。

小学校4年だったろうか。ある日、全校生徒が学校の外に整列させられた。皇族のお一人が軍の閲兵に参加するので謹んで送迎せよ、という達示があったらしい。この皇族が、元帥、閑院宮 載仁だった。
小学生たちは,受け持ちの先生に引率されて、ゾロゾロ校外に出て、ご一行さまが通過する沿道に並んだ。

お召しの乗用車が通過するときは、号令で、ふかぶかと頭をさげなければならない。その際、けっして眼をあげて、お顔を見てはいけないという。

小学生たちにとっては、退屈な行事だった。路上に並ばされたのも退屈だったし、その間、私語も禁止されていたから。みんなモジモジしながら、並んでいた。

なかなか閑院宮ご一行さまの車はこなかった。1時間以上も日ざかりの沿道に整列したまま、お互いに口もきかずに、見ず知らずの皇族のお一人のお通りを待つのは、小学生には苦痛だった。列のあちこちで、低い話声が起きたり、女の子からオシッコに行きたいという声があがりはじめた。担任の先生があわてふためいて、その女の子を抱くようにしてどこかにつれていったりした。

しばらくして、遠方に動きが起きはじめた。明らかに緊張がひろがっている。遠くから,つぎつぎに号令の声が伝えられて、その列の人々が頭を下げるのだった。
まるで何かの波動が伝わるように、私たち小学生たちにも、緊張した空気が走って、
「敬礼!」
という号令が聞こえた。

私たちは深く頭をたれた。

私たちから、15メ-トルばかりの距離を先導の車が通過してゆく。頭を下げているので何も見えない。しかし、車が通過していることはわかった。
しばらくして、私は少し頭をあげた。
私の前を車が通過してゆく。その車に、軍服を着た白髯の老人が端座していた。

フ-ン、あのヒゲジイサンが閑院宮殿下なのか。小学生は思った。
車はそのままのスピ-ドで粛々と走り去った。
それだけのことである。

閑院宮 載仁の日記の記事から、少年の見たオジイサンの風貌を思い出した。
戦前の天皇制国家の軍国主義のささやかなエピソ-ド。

1589

閑院宮 載仁(かんいんのみや ことひと)親王という皇族がいた。
陸軍元帥(げんすい)だった皇族。軍人として最高位にあった。
日清・日露の戦争に従軍。1931~40年には、参謀総長をつとめた。

1921年3~9月、当時、皇太子がヨ-ロッパ諸国を歴訪したとき、その補佐をつとめた。この皇太子がのちの昭和天皇である。

第一次大戦が終ったばかりで、戦争の記憶もなまなましく残っていた時期である。
載仁(ことひと)親王は、激戦地、ヴェルダン、ソンムの戦跡を視察した。親王を案内したのは、フランス軍の最高指令官、ペタン元帥だったという。
閑院宮はその印象を日記に書いた。(14.6.4.「読売」)

糧食、水等つきて小便までも呑んで抵抗せしも、ついに力尽きて降参せしと云ふ。村落の如きも全部なき所あり。実に悲惨なる実況なり。

私はこの「日記」をぜひ拝見したいと思う。
若き日の閑院宮 載仁は、フランスのサンシ-ル陸軍士官学校で学んだはずである。
日本の若い皇太子を案内したペタン元帥と閑院宮は何を語りあったのか。あるいはヴェ
ルダン、ソンムの戦跡を見て閑院宮は何を学んだのか。

はるか後年、4半世紀後に、ペタン元帥は、フランスの国民裁判にかけられた。
そして、1945年8月15日、すなわち日本敗戦の日、ペタンは死刑を宣告された。だが、かつて直属の部下だったシャルル・ドゴ-ルによって死一等を減ぜられ、終身刑に変更された。
その日、敗戦の直後、連合軍の指令で、閑院宮 載仁も、A級戦犯として訴追されたはずだが、本人をはじめ日本人は、閑院宮がA級戦犯として訴追されるとは誰ひとり予想もしなかったはずである。

日本の近代史を見ていると、閑院宮 載仁や、外国での見聞に不足のなかったはずの海軍元帥、伏見宮 博恭(ふしみのみや ひろやす)などが、なぜもっと別な形で昭和天皇を補佐できなかったのか、私は今でも疑問に思っている。

1588

マリア・マクサコワ。
マリインスキー劇場のソリストという。これだけでも実力は想像できるのだが、ファッション・モデル、TVの司会者、国会議員という。昔のソ連なら、さしづめ「人民芸術家」というところだろう。

スラヴ的な美貌。亜麻色の髪、眼に独特の魅力がある。真紅のドレス。金のアクセサリ-、手首の金環が、エグソテイックな雰囲気をかもし出す。

マリア・マクサコワは、前日(6月3日)、東京の「芸術劇場」が、トゥアーの初日だった。マリインスキー劇場のソリストが、はじめての東京で何を感じたのか。むろん、憶測のかぎりではない。千葉の公演は翌日だった。
たいていの芝居の公演でも、初日の舞台と二日目では、二日目になるとどうしてもトーンダウンする。私は、マクサコワの初日を見たわけではない。マクサコワ初日の規模の大きな「芸術劇場」と、千葉の小さなホールでは、キャパシティー、照明、音の効果、すべてが違っている。
マリインスキー劇場のソリストなら、異国の劇場で失敗するはずもない。しかし、旅の疲労もあるだろうし、初日の緊張はあったかも知れない。
しかし、東京の初日が成功したこともあって、翌日の千葉の公演では、マリア自身がリラックスしてこのトゥアーを楽しんでいるのではないか、と想像した。

マリア・マクサコワのレパートリー。
第一部では、「ラ・フヴォリータ」の「レオノーラ」のアリア。ビゼーの「カルメン」から「ハバネラ」。チャイコフスキーのオペラ、「オルレアンの少女」から、ジャンヌのアリア。マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」から「サントゥッツァ」のアリア。
マリア・マクサコワに、私は感動した。圧倒的にすばらしい。

私たちの知っている曲ばかり。
日本人におもねりすぎることのない、ごくまっとうな選曲で、バランスがいい。客席の反応もよかった。

私は「ハバネラ」を聞いて、マリア・ユーイングを思い浮かべ、「サントゥッツァ」から、シャーリー・ヴァッシーを思い出した。
率直な印象だが、「ハバネラ」はごく普通のでき。だが、「サントゥッツァ」は素晴らしい。

残念ながら、私は、ロシアのオペラについてはほとんど知らない。私が聞いたのは、せいぜいヴィシネフスカヤ、ピサレンコ、リューバ・カザルノフスカヤ、マリア・グレギナ。あとはユリア・サモイロヴァ程度。
ほんとうに残念ながら、日本でロシアのオペラを聞く機会はほとんどない。

ロシアに行ったとき、芝居とバレエは見たのだが、オペラを見る機会はなかった。

私のご贔屓はリューバ・カザルノフスカヤだった。
彼女は、旧ソヴィエトの末期に登場したディーヴァで、私は彼女の仕事をずっと追いかけてきた。旧ソヴィエトが崩壊したあと、東京で「サロメ」をコンサート形式でやったとき、オペラ好きの教え子たちを誘って聞きにいった。このコンサートは今も忘れられない。
リューバはその日,東京について,すぐにコンサート会場に向かったため、疲れきっていたのかもしれない。
しかし、彼女はまったく混乱したり、自信をうしなったり、いらだたしい気分を見せなかった。困難な時代に喘いでいるロシアのために歌っている誇りを見せていた。

マリア・グレギナの東京公演も見に行ったが、これはゼフィレッリの「演出」に関心があったためで、グレギナについてはただ感心しただけ。
ようするに私はロシアのオペラについて語る資格がない。

だが、マリア・マクサコワの歌とマラジョージヌイ室内オーケストラの演奏を心から楽しんだのだった。

1587

この夏、来日したロシアのオペラ・シンガーのコンサート。

6月3日、「東京芸術劇場」で初日。翌日、千葉、「文化プラザ」のコンサート。
ロシアのマリア・マクサコワ。

演奏は、ヴァレリー・ヴォロナの指揮するモスクワの「モスクヴィスキー・マラジョージヌイ室内オーケストラ」。
ヴァレリー・ヴォロナはもともとヴァイオリニストで、この室内オーケストラの、芸術監督、首席指揮者という。メンバーは若い人ばかりだった。

唐突でヤボな話だが――人並みに、旧ソヴィエトの芸術家に関心を持ってきた私は、この「室内オーケストラ」の演奏を聞いて、スターリンの独裁や、愚劣な社会主義リアリズムの理論や、NKVD(秘密警察)のきびしい監視を知らない芸術家が育っていることを実感した。
特にシロフォンの演奏をした若者の、それこそアクロバテイックな技巧に驚嘆した。残念なことに名前がわからなかった。)

つい20年前までなら――この「室内オーケストラ」の演奏に対して、たちまち、「はたしてソヴィエト芸術とソヴィエト大衆にこのような「室内オーケストラ」が必要だろうか。」などという愚劣な批判が浴びせられたに違いない。
私の世代は、多少なりともソヴィエト式芸術論の高飛車で、紋切り型の口調を知っているだけに、音楽、絵画、演劇、バレエなどの新しい創造にたいして、いつもおなじ口調で、はげしい非難を浴びせたバカどものことを思い出す。

私は、「マラジョージヌイ」の若い人たちの演奏に、いきいきとしたロシアの「現在」を見届けたような気がした。
こういい直そうか。マラジョージヌイ室内オーケストラの演奏にこそ、あたらしいロシアの「声」が響いている、と。

おなじ意味で、マリア・マクサコワの歌に心から感動した。
旧ソヴィエト時代の芸術には見られない、のびやかな表現がマリア・マクサコワの歌にみなぎっていたからである。

 

1586

こんな事件があった。

2013年1月、ロシア。
「ボリショイ・バレエ」の芸術監督、セルゲイ・フィーリンが、ダンサーの、ドミトリチェンコに襲われて、硫酸を顔にかけられた。この事件は、アメリカでもヨーロッパでも大きく報道されて、一般人の耳目を聳動させた事件だった。

事件の背景に何があったのか。
「ボリショイ・バレエ団」のプリマだったアンジェリーナ・ボロンソワが、芸術監督にうとまれ、「白鳥の湖」の主役から下ろされ、それ以後、すべてのレパートリーからはずされたという。事実とすれば、パワ-・ハラスメントだろう。

捜査関係者たちは、アンジェリーナが、ダンサーのドミトリチェンコに、芸術監督、セルゲイへの復讐を依頼したのではないかと疑ったらしい。

この事件を小説化するとして――

芸術監督、セルゲイ・フィーリン自身が、かつては一流のバレー・ダンサーで、数年前、当時はまだ「バレエ学校」で修行中の若いアンジェリーナ・ボロンソワに目をつけた。
セルゲイは、自分の「バレエ団」に入団させるという口実で、肉体関係を要求したが、アンジェリーナは拒否した。
やがて、アンジェリーナは、「ボリショイ・バレエ」で、頭角をあらわす。

一方、バレエの現場から引退したセルゲイ・フィーリンは、当然のように、「ボリショイ・バレエ」の芸術監督に就任した。
セルゲイは、「ボリショイ・バレエ」の改革をめざして、アンジェリーナの役をつぎつぎにアンジェリーナの同僚バレリーナ、オルガ・スミルノワに移した。
それまでアンジェリーナの「持ち役」だった「白鳥の湖」も、オルガに奪われた。

この事件の審理がつづけられるなかで、オルガがセルゲイと肉体関係をもっていたことが明るみに出る。そればかりか、ほかのプリマたち、タチアーナ・ボロチコワ、ナターリア・マリニア、マリーア・ヴィノグラードワたちが、いずれもセルゲイ・フィーリンに肉体関係を強要されたり、実際にセックスしたことが明るみに出た。

この事件を知ったとき、私はアメリカのTVドラマ、「SMASH」を見ていた。

「SMASH 2」のドラマターグ(プロット構成者)は、現実に進行しつつあるこの「ボリショイ・バレエ」事件を、さっそく利用したのかも知れない。(「ボリショイ・バレエ」事件は、13年12月結審。ドミトリチェンコは、傷害で禁固六年。犯行をそそのかしたのは、意外にも、オルガ・スミルノワと判明した。)