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桑野 道子は松竹の女性映画をささえたスタ-のひとり。田中 絹代、高杉 早苗、高峰 三枝子が大スタ-だったので、そのあとにつづく水戸 光子、木暮 実千代たちのスタ-と並んでいたような気がする。
芝の洋食屋の娘で、美少女だった。「森永」のキャンペ-ンで、スウィ-ト・ガ-ルに起用されたあと、ダンスホ-ル「フロリダ」のダンサ-になった。ここでスカウトされた。都会的な若い娘を演じたとき、桑野 道子は新鮮な魅力を見せた。明るい微笑を口もとにたたえながら、銀座あたりを闊歩していた「新しい女性」だった。

小学校から親友がいた。桑野 道子がダンサ-になってからも、この友人がかげでいろいろつくしたという。スタ-になってから、桑野 道子は芸能界の不安定な生活を考えて、お汁粉屋を出した。そのため、かげでいろいろ悪口をきかれた。
この親友が病気になった。身寄りもなく、独身のアパ-ト暮らしで、病気になったため、桑野 道子が毎日、大船撮影所から通って看病した。
しかし、病状はよくならず、寝たきりの生活をしなければならなくなった。
桑野 道子は、この親友が生活できるように、美容院を経営するようになった。そのため、桑野 道子は、映画女優にあるまじきマンモニストのように見られた。
戦争がきびしくなって、映画製作が惨憺たる状況になって、スクリ-ンで桑野 道子の姿を見ることがなくなった。
戦後すぐに、桑野 道子は映画に復帰したが、彼女自身が病に倒れて急死した。

その後、遺児の桑野 みゆきが青春スタ-として登場した。恵まれた環境に育ったお嬢さんだけに、将来を期待されたが、桑野 みゆきも早世している。

さまざまな芸術家の姿を見てきた。私は『ルイ・ジュヴェ』のなかで書いた。

今では誰も思い出すことのない俳優、女優たちにふれるのは、それぞれの時代の俳優たち、女優たちの姿やおもざしをなつかしむためではない。それぞれが、時代を生きて、いずれも「時分の花」としてときめいていた事実を忘れないためである。
(『ルイ・ジュヴェ』第四部第二章)
このとき私の内部に桑野 道子の姿がなかったか。