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夏休みも終わって、私の「文学講座」も再開したが、明治の文学を終えて、ようやく大正の文学に入った。最初にとりあげたのは『こころ』だったが、あらためて漱石さんに敬意をおぼえた。そこで、しばらく漱石を読み返した。

彼は斯う云つて、依然として其女の美しい大きな眸を眼の前に描くやうに見えた。もし其女が今でも生きて居たら何んな困難を冒しても、愚劣な親達の手から、若しくは軽薄な夫の手から、永久に彼女を奪ひ取って、己れの懐で暖めて見せるといふ強い決心が、同時に彼の固く結んだ口の辺に現れた。

この一節を読んだとき、私はつよく心を動かされた。
明治の作家は恋愛を描いても、これほどはげしい情熱を見せたことはないような気がする。意志的で、理知的な漱石の内面には、なにかおそろしく緊張したものがあったのではないか。
ただし、「其女が今でも生きて居たら」という仮定が語られている。もはや、とり返しのつかない悔恨、そして人生の不条理に、漱石のテ-マを見てもいいような気がする。