横浜から、桜木町に出た。クィーンズの動く歩道。横浜美術館に行く。「ヴェナンツォ・クロチェッテイ展」。これは、ぜひ見たいものの一つだった。
クロチェッテイは、マンズー、マリーニなどとともにイタリア現代彫刻の代表的作家として知っていた。一九三八年、ヴェネツィア・ビエンナーレで、彫刻大賞を得たが、二十三歳。つまり、戦前、すでに芸術家としてその存在が認められていたわけである。
だが、実質的には戦後からその活動が知られるようになる。
私たちには、マンズー、マリーニなどのほうがよく知られていたのも当然だったろう。実際に見た印象としては、千葉でマイヨールを見たときほどつよいものではなかった。しかし、女性のヌード、セミ・ヌードは魅力がある。
彫刻のなかでも、いのちの啓示が輝いている女のヌ-ドほど美しいものがあるだろうか。生身の女のヌ-ドも美しいけれど、彫刻のヌ-ドは女が女であることを越えて、何か違った精神性をもったものとしてあらわれる。絵のなかのヌ-ドにはないものだと思う。
私が気に入ったのは、「岸辺で会釈する女」(69年)、「脱衣のモデル」(76年)、大理石の「帽子をかぶった少女」(60年)の三点。
驚いたのは、裸の上半身を前に折って両手で顔を蔽っている「マグダラのマリア」(80~81年)だった。それまで、入浴したあとからだや髪を拭くヌードをいくつも制作しているので、そのシリーズの一つとしか見えないが、このマグダラのマリアが、はっきり妊娠していることがわかる。クロチェッテイが隠したものが見えるようだった。
見てよかったと思う。そのほかデッサンに興味があった。じつにのびやかですばらしい。外に出たときは、もう夕方になっていた。