今年の夏は暑かった。夏が好きな私でさえ、何もしないでゴロゴロしていた。
めでたきも女は髪の暑さかな 太 祗
Althou ’tis beautiful,
How hot is woman’s hair!
いい訳だとは思うけれど、私がこの句を読んで思い描く「おんな」と夏の暑さと、欧米の俳句作者の想像するシーンとは、ずいぶん違うだろう。「めでたさ」に、愛らしい、賞すべき、うるわしい、美しい、祝うべき、慶(よろこ)ばしい、などの意味があって、なお“beautiful”としなければならなかった訳者の苦心を思うと、私はいまさらながら、翻訳による伝達のむずかしさをかんがえる。
夕涼み よくぞ男に生まれける 其 角
I am enjoying th’ even’ng cool,
How lucky I was born a man!
このcoolは、涼しいという形容詞ではなく、cool airという意味の名詞。ただし、夕涼み、納涼といった生活習慣がないはずだから、この句のおもしろさを出すのはむずかしい。宮森 麻太郎先生は「この句を外国人に示すには、女は夏でも着物をつつましやかに着なければならないが、男は自由であるということを説明する注解が必要である」といわれた。
今年の夏、男どもはクールビズとかでいくらかラフな服装になったが、若い女性たちは夏になって着物をつつましやかに着るどころか、思いきり肌を露出して、「よくぞ女に生まれける」とばかりに人生をエンジョイしていた。
私が夏の季節が好きな理由は、このあたりにあるのだが。
Taking the cool at eve, I do
Rejoice that I was born a man.
これは、ベイジル・H・チェンバレンの訳。
「よくぞ男に生まれける」にぴったりこない、というが、私にはこの訳のほうがずっといい。