老作家になって、偶然、自分の若かりし頃の声を聞く。こういう経験をした人は、あまり多くないだろう。
テレビ、ラジオで、自分の出た番組を見る人はめずらしくない。何年か後に、ビデオやPCで見直すことだって、それほどめずらしくはないはずである。
映画化された自作を見て、懐旧の思いにふける作家がいても不思議ではない。
しかし、40年も前の自分の「声」を聞く。当の本人にすれば想像もつかない経験だろう。これが映画俳優か何かなら、若き日の自分の姿にうっとりしても不思議ではない。
私が聞いたのは、かつて「私」だった男の声だった。むろん「亡霊」ではない。
私が、NHK・FMで、イギリスBBCのミステリ-“The Same River Twice”の解説をしたとき、それをテ-プにとっていた人がいる。この話を聞いて田栗 美奈子は、
「先生はほんとうにいろいろな仕事をなさったんですねえ」
といった。
「旧悪露顕だなあ」
美奈子は笑った。私も笑った。
たしかにいろいろな仕事をしてきた。しかし、この「中田 耕治」はまだ自分が何であるかを知らなかったし、自分が何であるかを知ることもできなかった。
もともと文壇に通用するような仕事をする気がなかった。だから、外国のドラマの解説でも何でも気がるに引きうけていたはずである。どんな仕事でも、わるびれずにやってきた。そうしなければ食えなかったのだから。
いろいろな仕事をつづけていた「中田 耕治」は、やがて小説を書きはじめるだろう。「レオナルド・ダヴィンチ論」めいたものを書いて、ルネサンスにのめり込み、手はじめにボルジア家の歴史にとり組むことになる。
ある日、ヴェトナムに行く。やがてロ-マ、フィレンツェ、パリに行くだろう。
やがて、少数ながら、ほんとうに信頼できる友人たち、「恋人たち」にめぐりあうことになる。
“The Same River Twice”・・
久保 隆雄さんのメ-ルには、
「あの中田先生のテ-プは当時何回も聴いて、英語以外にもサスペンスドラマの組み立てなどいろいろ勉強になり、私の青春時代の一コマが詰まっている感さえしています。」 とあった。
私にとっても「青春時代の一コマが詰まっている」のだが、このドラマは、いまや、老年の私にとっては「Same River Twice」にほかならない。
久保 隆雄さん。
あなたにはどんなに感謝しても足りない。ほんとうにありがとう。
あなたが送ってくれた「声」は、かつての私の青春の声だった。しかし、現在の私にとって、もはや返らぬ夢ではなく、未決定の未来に向けて歩こうとしていた見知らぬ若者の「声」だった。
やがて、私はさまざまな挫折と打撃のなかで、そのつど、なんとか歩みつづけることになる。この「中田耕治ドットコム」もまた、私の血と汗と涙、そして笑いなのだが、もし、誰かの「青春時代の一コマ」であり得たら。
それこそが私の願いなのだ。
――(「未知の読者へ」No.8)