346

長いものは読みたくない。短いものを選ぶことにした。翻訳もの。近くの古本屋にころがっていた。
うるわしく晴れた日の午後、若いトルコ人が宝石商の店先に立つ。この若者は数日前にバグダッドに着いたばかりで、「今や愈々募る驚きを以てその市の凡ての驚く可きものの間をさまよった」という。
この書き出しから、私はいまやいよいよ募る驚きをもって、この翻訳のすべての驚くべきフレ-ズのあいだをさまようことになった。汗がふき出してきた。
この若者は宝石を見て感嘆する。そして、「おお宝石」と彼は有頂天になって叫ぶ。

「御前が王様達の冠を飾る為に選ばれたのも誠に尤なことだ、何故かと言って凡ての壮麗なものが一緒に御前の中に圧縮されそして浄化されて居るのだもの、則果敢ない日光は囚へられてお前の神秘な中枢に確りし閉じ籠められ褪せ易い五彩の色も御前の中に目出度浄化され不滅の生命を得、曇りない天の元素の風や火や水も御前の中に契りを結んで居る!」

この冒頭から、仰天した。これは凄い!
大正十四年のドイツ文学の翻訳で、昭和十年に再版されている。この訳者のものは、戦争中に読んだおぼえがあるのだが、少しもおもしろくないので放り出した。
私があまりドイツ文学を読まなかったのも、最初にこんな翻訳にぶつかったせいかも知れない。