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月に一度、「文学講座」をつづけているのだが、幹事の田栗 美奈子がウ-ロン茶を用意してくれる。これも幹事の浜田 伊佐子がロンドンで買ってきたプラスティックのカップを用意してくれる。このウ-ロン茶がおいしい。
そのことからの連想だが・・・
TVコマ-シャルのなかでは、サントリ-のウ-ロン茶のコマ-シャルが好きである。 サントリ-のウ-ロン茶のコマ-シャルだけをあつめたCDをもっている。これがとてもいい。
初期のコマ-シャルは、中国の少女がキャンディ-ズの「春一番」、「暑中お見舞い申しあげます」、「微笑み返し」(94年)といった曲を歌っていた。とっくに流行らなくなっている曲が、中国の可憐な少女の声でまったく別のト-ンを帯びていた。
「遙かなる武夷山」(90年)だけは30年代の上海の歌星、白光やチョウ・シェンといった歌手の曲を使ったらしいが、こうしたリ-ニュ(ライン)はアミンを起用した「大きな河と小さな恋」(03年)につづいている。
一方、中国少女の歌は、シュ-べルトの「鱒」(96年)や、「蘇州夜曲」(99年)、さらにマドンナの「ライク・ア・ヴァ-ジン」(01年)や、笠置 シズ子をカバ-した「上海ブギウギ」(02年)とつづく。
中国少女が中国語で歌うのだから、それまで私たちがもっていた曲とはまったく別のものになる。ふつうの少女の歌だからうまいとはいえない。しかし、原曲にはないイノセントなものが私の心に響いてくる。アマチュアリッシュといっても、カラオケで歌われる歌とは違って、もっと澄みきった子どもっぽさ、純真さがあらわれる。こうした無邪気さが、ウ-ロン茶のおいしさに重なってくる。プロデュ-サ-、ディレクタ-のねらいはそのあたりにあったはずで、サントリ-のウ-ロン茶のコマ-シャルがいつも成功してきたのだろう。
プロデュ-サ-、ディレクタ-がどういう人なのか知らない。しかし、このコマ-シャルだけで会社の品位の高さが感じられる。そういうコマ-シャルはすくない。
私はこのCDを作った人にひそかに敬意をもっている。たいへんに教養のある、しかもアジアの音楽をほんとうに愛している人に違いない。
ひところのアジア・ポップスの流行はもはや雲散霧消したが、そんな現象とは無関係に、このCDは、アジア・ポップスとして、私の心を深くとらえつづけている。

http://www.toshiba-emi.co.jp/st/special/chai/chai/index_j.htm