今日は何曜日だっけ。
新聞でたしかめる。
月曜日なら、ああ、つき曜日か、と思う。火曜日は、ひ曜日。水曜日はみず曜日。ぼく曜日、こん曜日、つち曜日。日曜日だけはサン曜日。
小学生のやりそうないたずら、とわかっている。なぜ、こんなたあいもないいい変えをするのか。
小学生のときからのくせ。月曜日になると、これから一週間、何か楽しいことがあるといいと考えた。そこでツキがありますように、という意味で、つき曜日ということにした。火曜日は、母親にお小遣いをせびる。たいてい1銭、運がよければ5銭もらえた。子どもの口にいっぱいのアメダマが5厘だった。その費用のひ。
水曜日には友だちのところに遊びに行く。その母親が活動写真の小屋をまかされていた。友だちとしばらく遊ぶと、あとは客席にもぐり込む。「児雷也」や「関の弥太っぺ」、ときには「月よりの使者」といったメロドラマを夢中になって見ていた。
木曜日は、ぼく(私)の日だった。学校から帰るとランドセルを放り出して遊びに行く。妹といっしょに遊んでやったり、まだ幼い弟の面倒をみたり。ひとりのときは、近くの丘や、川の砂州がぼくの王国だった。
金曜日になると、買ってきた少年雑誌を読んだり、友だちに借りた本やマンガを読み返す。なにしろ、毎月一冊しか買ってもらえないので、少年雑誌は隅から隅まで読むことになった。読むところがなくなると、懸賞にあたった全国の当選者の名前まで丹念に読む。 昭和12年。やがて戦争がはじまったが、まるっきり勉強はしなかったし、何も考えない少年時代だった。
翌年、弟の達也が亡くなったときから私は変わった。