萩原 朔太郎の短編『猫町』は、昭和前期に書かれた文学作品のなかで、もっともすぐれたもの。春山 行夫が編集していた「セルパン」に発表された。
旅への誘いが、次第に私の空想(ロマン)から消えて行った。昔はただそれの表象、汽車や、汽船や、見知らぬ他国の町々やを、イメ-ジするだけでも心が躍った。しかるに過去の経験は、旅が単なる「同一空間に於ける同一事物の移動」にすぎないことを教えてくれた。どこへ行ってみても、同じような人間ばかり住んでおり、同じような村や町やで、同じような単調な生活を繰り返している。
この書き出しの、旅が単なる「同一空間に於ける同一事物の移動」という部分に注目しよう。こうした感慨は私たちにしても無縁のものではない。ただし、おそらく平凡な感想としか見えないのだが。
詩人の人生のある時期に、自分でもどうしようもない倦怠がまとわりついていたと想像してもよい。
私が感嘆するのは、さりげなく書かれたこの部分が、この作品のみごとなライト・モ-ティヴであり、伏線として効果をもっていることなのだ。
この書き出しのみごとさは川端 康成の『雪国』にも劣らない。