小説離れ。小説が読まれなくなっている。
いろいろな理由があるだろう。
戦後の教育のいちじるしい劣化がこうした作用的結果をもたらしたと見ていい。教えられたことをノ-トする、あとは暗記するだけ。試験だけ受かればおしまい。この傾斜は、今後も進むと思われるから、小説の読者層が失われてゆくことは必至と見ていい。そのかわり、小説に比較して映画、テレビ、ゲ-ム、コミックのほうがおもしろい。さらには、安手なノン・フィクションのほうが読者の心をとらえているから。
では、「小説の時代」は終わったのか。
ハチャメチャないいかたになるが・・・明治になって、江戸の稗史小説の流れは硯友社までで壊滅した。むろん、その流れは遠く浪六あたりまでつづくけれど。自然主義、反自然主義の流れは、一方で大衆小説のうねりに巻き込まれて昭和前期までつづく。これは戦争によって断ち切られる。戦後の文学の流れは20世紀とともに終わった。巨視的に見れば、現在は新しい表現がようやく生まれようとしている予兆の時代と見ていい。
はっきりしているのは・・・私が深い敬意をもって見てきた「文学」、私の内部にいつもつよい影響をあたえてきたすべてが断罪されようとしている。残念だが。
悲しむにはあたらない。いつの時代もそういうふうにして交代してゆくのだから。