戦後すぐの神保町に「ランボオ」という喫茶店があった。「近代文学」の人たちをはじめ、いろいろな作家、評論家、芸術家たちが集まっていた。
この店にときどきやってくる人物がいた。アメリカの喜劇チ-ム、ロ-レル/ハ-ディ-の、小柄で痩せっぽちのオリヴァ-・ハ-ディ-によく似ていた。「戦後」すぐで、かなり色の薄れた青いオ-バ-を着ていたが、その丈がやたらに長く、裾の先から素足、すり切れたゲタという恰好だった。「近代文学」の人々の旧知の人らしかった。
いつも隅っこのテ-ブルにつくと、コ-ヒ-を注文して、あたりを気にせず、分厚いフランス語の原書を読みふけっている。
まだ外国語の勉強など考えもしなかった私は、辞書ももたずにフランス語の原書をすらすら読みこなす人がいることに驚いた。
たまたま私たちの話題が江戸の文芸におよんだ。すると、少し離れたテ-ブルで、フランス語を読んでいた人が、それは・・・の何ぺ-ジに出ていますよ。書いたのは・・・で、版元は・・・で、というふうに説明した。知識をひけらかすような衒いもない、自然ないいかただった。このときもショックをうけた。その人の博識に度肝を抜かれた。
あまり衝撃が大きかったので、何が話題になっていたのかおぼえていない。それから、佐々木 基一、荒 正人たちの質問が集中した。彼は、フランス語を読むのをやめて、丁寧に答えた。おぼろげながら柳 里恭か服部 南郭の名が出たような気がする。
やがて、彼はコ-ヒ-代を置いて、みんなにかるく頭をさげると、青いオ-ヴァ-の胸もとにフランス語の原書をねじ込んで出て行った。
このとき彼が読んでいたのはアナト-ル・フランスの『ペンギンの島』だった。これは間違いない。私は実際にその本の背表紙を見届けたのだから。
石川 淳だった。戦後の「焼跡のイエス」が発表される直前のこと。