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私は漢字(旧漢字・正字)をほぼ間違いなく書くことができて、漢文体や成語がだいたいわかる最後の世代だろう。

「小生近来深く悟る所あり、近く小笠原島に赴き、以て所志を成さんとす。思ふに茫々たる太平洋の浩燿嚇灼(こうようかくやく)たる、以て小生の初期を成さしむるに足る可きものあり」。

おそらく、今の人達には、こういう古色蒼然たる文章に心をうごかされないだろう。私は、こんな空疎な文章にも、その背後に秘められている感情や、時代をうごかしていた思想をほぼあやまたず想像することはできる。
押川 春浪の文章。「武侠世界」に出たもの。
旧漢字が読めたり書けたところで、今では何の役にもたたないが、それでも昔の中国の才子佳人小説から武侠小説を読んで楽しむぐらいのことはできる。
小学三年生の頃、父といっしょに夕涼みがてら縁日の露店を見て歩いた。古本を並べている夜店で、父にねだって一冊の漢和辞典を買ってもらった。
後藤 朝太郎が小学生むきに編纂した、紙質のわるい漢和辞典だった。
この辞典を毎日読みふけった。やさしい漢字ばかりだったが、どんなに役に立ったことか。
その後、私が中国に関心をもつことになったのは、この碩学が小学生むきに編纂したやさしい漢和辞典にふれたからだった。