学校から帰ると、母の宇免(うめ)は、手拭いを姐さんかぶりで、庭の樹に張り板を立てかけて、お張りものにいそがしい。
湯気のたちのぼる張り板をさっと掌で撫でつける。洗濯したばかりの布を押し当て、張り板に張ってゆく。妹が遊びに行って誰もいない午後、宇免の午後はいそがしかった。
私は庭に面した廊下で腹這になって、届いてきたばかりの「少年倶楽部」を読みふけっていた。
雑誌に倦きると、愛犬の「トム」を相手に庭を駆けまわる。小柄なテリアで、私によくなついていた。
「宿題はしたのかい」
宇免が声をかけてきた。私は聞いていない。
「なんか、ないの?」
おやつは、せいぜい羊羹のひと切れか、ビスケットの二、三枚。何もないときは、ムギコガシ。大麦を煎って粉にしたものに、ほんの少しお砂糖をまぜる。茶飲み茶碗に半分ほど。お匙ですくつて食べるのだが、粉なので、うっかり咽喉にくっつくと、むせ込んだりする。
おやつを食べたら、あとは一目散。愛宕橋をわたって、岡の上の愛宕神社の境内まで走ったり、その裏山の藪に踏み込んだり。ときには、愛宕橋の私の家のすぐ下の崖から、広瀬川のへりをたどって、小さな砂州に飛び移ったり。誰ひとりいない島を探検しているような気になるのだった。
広瀬川のへりが少年の王国だった。