外国語の研修について調べているうちに、明治44年、東京外語のドイツ語学科の修学旅行が、清国、膠州湾、青島(チンタオ)だったことを知った。この年、7月29日、横浜出帆、8月3日、青島(チンタオ)着。滞在期間は4週間。
「ドイツ語の実地練習、地理および開化史的知識の増進、ことに大洋航海、植民地におけるドイツ人の生活観察」が目的という。
旅費は、船賃が往復で33円。青島(チンタオ)滞在費、21円。計、60円。
こまかい規定がある。旅装は・・・制服制帽、シャツ、スボン下、着替え。鉛筆、万年筆、小刀、筆記帳。洗面用具、うがい用具。毛布、袷(あわせ)帯、清心丹など。洋傘、望遠鏡、地図。
いまの小学生の林間学校なみだね。
おもしろいのは、団長の許可なくして、料理店、旅館、私宅、海水浴などに「立ち入るべからず」。武器の携帯禁止。禁制の場所にて写真撮影すべからず。
最後に「清国学生と政治上の談話をなすことを禁ず」とあった。