2021年3月24日(水)、午後、見なれない大型の郵便物が届いた。「日本著作権教育研究会」から。「入学試験における著作物使用のご報告」。
今年の千葉大の入試(国語)に、星 新一のショートショート、「語らい」全文と、奥野 健男の解説(「気まぐれ指数」)、私の解説(「おのぞみの結末」)が出題されている。漢字熟語が5問、それぞれの内容に関する筆答が5問。
たとえば、私の文章から――「追随」という熟語の意味。
奥野 健男と私のエッセイの文章の読後感――「いずれも星 新一の短編集の解説であるが、奥野 健男と中田 耕治とでは解説の仕方や着眼点が違っている。それぞれどのような特色があるのか説明しなさい」いった出題がある。
私が、星 新一の作品に対して、「秩序」と「混沌」のイメージがせめぎあうことがあると指摘したが、その一節に傍線がつけられている。
秩序のイメージを扱うとき、星 新一の世界は、ほのぼのとしたユーモアのある
喜劇になるようです。混沌のイメージのときは逆に、ペシミスティックな寓話に
なるようです。
と書いた。入試問題では――「傍線部Cの指摘をふまえ、この短編(「語らい」)を喜劇として読むとどのような作品としてとらえることができるか。また「ペシミスティックな寓話」として読むとどのような作品としてとらえることができるか。それぞれ短編の内容に言及しながらまとめなさい。
この「問題」を読んだとき、私は少し驚いた。今年度の受験生たちに同情したといってよい。漢字熟語の出題程度なら、受験生たちもだいたい間違いなく答えられるだろう。
しかし、「語らい」を読んで、この作品を――ほのぼのとしたユーモアのある世界と受けとるか、それとも「ペシミスティックな寓話」として読むのか、という「問題」は、おそらく受験生たちを困惑させたに違いない。
私には、むろん私なりの解答がある。しかし、それは、入試の出題で、あわただしく書かれるような簡単なものではない。
私は、こんなことに自分の書いた「解説」が使われるとは思ってもみなかった。受験生たちは、どこかで中田 耕治という名前を見つけたら、おそらく、考えたこともない難題をつきつけてきた不埒な「解説者」として思い出すにちがいない。