私はなぜ詩を訳さなかったのか。答えは簡単なものだ。
私には語学的に詩を訳す能力がなかった。そもそも詩魂がなかった。
それでも、詩を読まなかったわけではない。当然、好きな詩人はいたが、翻訳しようなどと思ったことはない。好きな詩人といえば、イエーツ、ディッキンソン、シルヴィア・プラス。ただし、たまに手にとってふと口にのせてみる程度。
イエーツの戯曲も好きだが、たとえば、松村 みね子訳を読んでしまうと、イエーツを訳そうなどという不遜な気は起きなかった。また、訳しても出せるはずがなかった。何しろ貧乏だったから、ミステリーの翻訳をつづけるのにせいいっぱいで、詩を翻訳する余裕もなかった。
詩の訳は戯曲の訳よりもむずかしい。これが、私の信念になった。