1855

コロナ・ウイルスの日々。無聊にすごした。野木 京子が送ってくれた詩、詩の雑誌で現代詩を読む。私のような<もの書き>には、めったにない経験で、現代詩を知らないだけに、けっこうおもしろかった。

そういえば、私は詩を訳したことがない。むろん詩を訳したいと思ったことはある。

若い頃、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズを訳した程度。ディラン・トマスを訳したいと思ったが、訳しかけて途中で放棄した。どこにも発表する機会がなかったから。
詩を訳したことがないにしても、詩人に対する敬意は忘れたことがない。もう時効だから、恥をしのんで告白するのだが、詩劇を書いてみたいという、大それたことを思い立って――ワーズワースの詩をもとにして、「ハイランドの乙女」という詩劇めいたものを放送(NHK)したことがある。けっこう本気だったらしく、アーチバルド・マクリーシュの詩劇の模倣を放送したこともある。誰が出演したのか忘れてしまったが、「文学座」の文野 智子や、「ぶどうの会」の若い役者たちが出たことはおぼえている。
まだ、テープの録音などできなかった時代で、エボナイトのディスクに音を刻み込む時代だった。これが、私が芝居にかかわるきっかけになった。

はるか後年、オスカー・ワイルドの詩劇、「パデュア大公妃」を訳したときは、はじめから散文の悲劇として訳した。あとは、拙著「ルイ・ジュヴェ」の中で、ジュヴェが朗読したA・ウィレットの詩ぐらい。
そういえば、マリリン・モンローの詩を訳して「ユリイカ」に発表したっけ。

自分でも気に入っているのは、断片ながら、アルフレッド・ベスターの「虎よ虎よ」の冒頭、ブレイクの詩の一節。
詩ではなく、ポップスの歌詞を訳したことはある。たとえば、ジャニス・ジョプリン。「コズミック・ブルース」。