1837(2020年4~5月の記録)

外出自粛。
読みたい本があるのだが、本屋も休業。新刊の本も買えない。仕方がないので、わずかな蔵書をかたっぱしから読み直す。なにしろ暇なので、新聞に載っている俳句、川柳をじっくり読む。

マンションのエレベーターに乗りたれば顔なき声なきマスクとマスク 瀬古沢和子

エスカレーター マスク外さず目で会釈    鎌田 武

挨拶は マスクのままで春彼岸        家泉 勝彦

コスモスの刺繍ほどこし花束のようなマスクを嫁から貰う  須山 佳代子

しかし、日本人が折りにふれて、俳句や短歌を詠むことのありがたさは、こうした俳句や短歌にも見られる。

新聞の俳句、川柳を読み終わって、古雑誌をさがした。

釋 迢空の短歌。(1940年)。

老いぬれば 心あわただしと言ふ語(こと)の
こころ深きに、我はなげきぬ

かくばかり さびしきことを思ひ居し
我の一世(ひとよ)は、過ぎ行かむとす

1940年作。やはり、釋 迢空はすごいなあ。

とりとめもないことを思い出した。
釋 迢空先生には、一度だけお目にかかったことがある。紹介してくれたのは、「三田文学」の小泉 譲だった。私は畏れ多くて何もしゃべれなかった。
1947年の冬だったと思う。他人にとっては、とるに足りない些細なことでも、本人にとっては忘れられない光景がある。