1832

宮さんのことを書きながら、私は戦前のフランス映画、「望郷」の「ペペ」と、パリジェンヌの「ギャビー」が、語りあうシーンを思い出した。
「ペペ」は、地下鉄、シャンゼリゼ、オペラ、北駅(ガール・デュ・ノール)。カプシーヌ、モンマルトル。ロシュアール・フォンテーヌ、ブランシュ広場とあげてゆく。
あのシーンのように、私たちは、いつも、パリの街の美しさ、パリの女の美しさを語りあった。

宮さんは、映画、「失われた地平線」を見たことを思い出して、「ぼくは、遙かなる昆崙山脈中のラマ教の寺院・シャングリラーに行きたい」と書く人でもあった。(「日記」第7巻)私は、そういう宮さんの無邪気なところが好きだった。

お互いにヘミングウェイや、パリのこと以外はほとんど話題にしなかったが、私を相手にした宮さんはシャンゼリゼの美しさ、トティ・ダルモンテ、マリアンヌ・フェイスフル、ハリウッド女優、ジュリア・ロバーツの美しさを語って倦むことがなかった。
宮さんの天衣無縫な話題と、心のやさしさを思い出す。

(再開 14)