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宮 林太郎さんの「日記」には、いろいろな知人たちのことが出てくる。
ある時期の私自身も、宮さんの「日記」に頻出する。他の人に迷惑がかかるといけないので、私(中田 耕治)にかかわりのある部分だけを引用する。

               1995年9月12日
「ジャン・コクトー展」見学の会は、すばらしい会になった。ぼくは嬉しい。中田さんが彼の恋人を十数人引き連れて出席していただいたのには、まったくもって参った。みんな美しい人たちばかり。それで会はもっと盛りあがった。ぼくは惨めなものになったらどうしようかと夜も眠れない始末。でも、まずよかった。
「全作家」の連中も熱心に会場を回っていた。ジャン・コクトーは、現代の我々にとっては失われてしまった時代のルネサンス運動ともいうべきものではないだろうか。モダニズムという考えは一九一〇年あたりからの現象であるが、現代の日本にはまだ均整がのさばっている。それはいろいろな作家たちの書いたものを読めばわかる。思考がまるで古いのだ。それに本物のモダニズムがどんなものかということもわかっていない。それは叡智とエスプリの問題なのだ。
だが、それにも関わらず、われわれはそのあと生ビールを飲んでみんなで楽しく心配していた会が良い午後になったのはぼくにとってはほんとうによかった。ぼくは隣のマルゼンの洋書店でブリジット・バルドーの本を一万円で買って帰った。輸入ものにしては値段が高い、がこれは素晴らしい。骸骨のような肉体美というと彼女に失礼だが、彼女の野性的な美しさに惹かれるわけだ。カメラで十枚ぐらい複写した。それをマリリン・モンロー一辺倒の中田さんに送ろうと思っている。バルドーの魅力はマリリンとはちがう。そこを中田さんに認めさせるためである。でも、だめかな? ……中田さんとも久しぶりで会えてよかつた。
それから会場で中田さんからトティ・ダル・モンテ(Toti dal Monte)のCD盤をいただいた。これは有難い贈物です。とたんに嬉しくなった。
まだ聴いていないが、落着いてから彼女の美声を聴くことにしよう。

 

その3日後(9月15日)の「日記」。

それにしても、「ジャン・コクトー展」へ中田さんが沢山のキレイナ女の方をお連れになってご出席いただいたことは、ぼくにとっては大変嬉しいことでした。
みなさん知的な目をしておりました。ぼくは知的な目をもった聡明な女が好きです。(後略)

この集まりに、私は「沢山のキレイナ女の方」、当時、「バベル」の生徒たちをつれて行った。宮さんは、驚いたにちがいない。
さらに、9月17日には、

中田さんから「コクトー展」で頂いた「トティ・ダル・モンテ」のCDを聴く。すばらしい声だ。1926―9年に録音されたものだが、なかなか録音状態がよくて、ダル・モンテの声が美しい。聴き惚れて、今、ぼやぁとしている。
こんなレコードをいただいて中田さんに感謝しております。

宮さんが外出もできないご高齢と知って、あまり社交的でない私は宮さんを訪問するようになった。私たちはヘミングウェイや、宮さんが愛していたパリのこと以外、ほとんど話題にしなかったが、私の訪問をいつもよろこんでくれたと思う。

(再開 11)