宮 林太郎さんのことを思い出す。
本名、四宮 学。1911年(明治44年)生まれ。本業は、医家で、一時は画廊も経営していた。同人雑誌作家の雄として知られていたが、作家としての仕事はほとんど知られていない。残念ながら作家として有名だったわけではない。
著作には「遙なるパリ」、「パリ詩集」、「タヒチ幻想曲」、「幽霊たちの晩餐会」など。
晩年は「無縫庵日記」という日記を書きつづけていた。
老年になってもはや創造力も枯渇した作家が、同時代のすぐれた作家たちの言葉をひたすら引用して、「日記」に書きとめておく。これも、それなりにわかる。現在の私は、宮さんとおなじ老齢に達しているのだが――今にしてようやくこの老作家の孤独な心情を理解できるような気がする。
自分の老醜ぶりをさらけ出しても、書きたいことは書いておく。作家の執念のようなものが宮さんの「日記」にみなぎっている。私は――やたらに引用ばかり多い「日記」を書きつづけた老作家をいささかも軽蔑しない。そんなことを考えるのは――不遜ではないか。
宮さんの「無縫庵日記」には、いちじるしい特徴がある。宮さんがこの「日記」を書きつづけていた時期、さまざまに重大な事件(例えば、阪神大震災、 オウムの地下鉄サリン事件)が起きていた。
宮さんは、そうした事件に対して忌憚なく感想を述べたり、そんな時期に読んださまざまな本の感想、とくに宮さんの敬愛するヘミングウェイをめぐって、いかにも宮さん流の感想、批評などを書きつづけていた。いちじるしい特徴としては、たくさんの同人雑誌作家仲間からの手紙が引用され、それぞれに対する宮さんの返事などが、それこそ天衣無縫に並べられている。
当然ながら、宮さんの「タンドル・コネッサンス」(やさしいお相手)の「回想」や、医師として観察した女性の性徴についての蘊蓄も語られている。ただし、つぎのようなアポロジイが添えられているけれど。
それにしても、「女に関するあからさまな真実を語るのは難しい。棺桶に片足を突っこんでからにしよう。それから、話してしまったら、大急ぎでもう一本の足も突っこんで、蓋をしてもらうつもりだ」と、ロシアの文豪トルストイが言っている。
とにかく、女について真実を書こうとすることは難しい。真理はいつも、(女ばかりではなく、男の欲情の側にもあるが、それを書こうとすることは)トルストイが言ったように、棺桶へ片足を突っこんだときにのみ書くべきであろう。あまり露骨に真実を書くと君は闇討ちに遭う危険がある。人間の世界では恐るべき無知な物語が山ほどある。人は本当のことを言うことを避けようとするし、「どうでもええや、おまへんか」と言う人間もいる。ぼくはいつでもそう思う。自分の考えを喋ってはならん。そう思いながら喋ってしまうのがぼくの癖であるが、紙とベンとワープロという悪魔がいるので仕方がない。宮さんはそのときその時に「考えたこと」を遠慮なく、楽しそうに「無縫庵日記」に書きとめている。
(再開・9)