1978年1月1日(日)
新年。
誰やらの 形に似たり 今朝の春 芭蕉
前夜、つまり大晦日、安東たちがきてくれた。「紅白歌合戦」を見たあと、みんなで今年はどこの山に行くか、勝手な計画を話しあった。
元日の電車は、終日、うごいている。できれば奥多摩に行く予定だったが、犬吠崎か九十九里の海岸で、初日の出を見てもいい。ところが、雨になったので、またしても予定を変更した。
映画、「八十日間世界一周」を見てしまった。
昨日のつづき。一日じゅう、みんなで遊ぶことにしよう。
夜明け。
寒いが、崇高なまでに輝いている大地や、屋根、庭木にみなぎる新年の朝(あした)。かすかに紅をさしたような御来光の美しさにみとれて、茫然と見つめていた。
応接間の机を動かして、フロアに炬燵を置いて、花札をやったり、ポ-カ-をやったり。短い時間のようだったし、長い時間のようでもあった。
みんなのなかで、元旦の時間がとまっているようでもあった。
百合子は迷惑がらずに、みんなをもてなした。といっても、屠蘇を祝って、正月料理をいただいた程度のおもてなしだが。しかし、ほとんどがこうした風習を知らないので、ものめずらしさもあって、神妙に年始の作法にしたがっている。
あとは、また無礼講。
安東たちが帰ったのは、夕方の6時。途中で、東松山の鷹野家が、年始にきたので、いっしょに千葉神社に参詣した。百合子は、そのまま通町に行く。例年、湯浅家は、年始の客が多いので、百合子が通町に手つだいに行くことになっている。
みんなで、ゲ-ムセンタ-で遊んだ。
鷹野一家を送ったあと、夜の9時過ぎ、通町、湯浅家に年始に行く。
二部屋、襖を外した大広間に、酒盃が山のように盃洗に重なっていた。さすがに、客が帰ったあとの寂しさが、ただよっている。
私は、義姉、小泉 賀江、百合子と雑談したが、そのあと、遠縁の池田 豊弥君と話が弾んだ。外語卒。中国語の達人。想像もつかない経歴の人で、その話も波瀾万丈だった。
豊弥君も、はじめて通町の年始にきて、客の帰った大広間にひとり残っていたので私が話相手になったので助かったらしい。