1793〈1977年日記 40〉

1977年10月1日(土)

石川 啄木の日記、「ロ-マ字日記」を読んだ。
最近の私は「日記」をつけているので、この日記を読んで考えるところがあった。
一人の若者が貧しさに苦しみ続けている。詩人として、ジャ-ナリズムの片隅に生きながら、自分の世界を築こうとしている。
詩人は娼婦との交渉を赤裸々につづっているのだが、こうした秘密をロ-マ字にしなければならなかった啄木に同情する。

やたらに忙しいので、日記を書くのをついついわすれてしまう。書きとめておきたいことどもは多いのだが、本も読まなければならない。最近は、英語よりも、イタリア語、フランス語の本を読むことが多くなった。

10年前も忙しかった。あい変わらず、多忙な日々がつづいている。

1967年を思いだしたが――週刊誌の連載は1本だけ。ほかに雑誌連載が2本、その間に、ジェ-ムズ・M・ケ-ンの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」と、A・E・ホッチナ-の「パパ・ヘミングウェイ」の翻訳をつづけていた。そのほかに、ラジオの台本を数本、別の週刊誌に読み切りを。
当時の私は、その程度の仕事をこなすだけでもたいへんだった。からだがいくつあっても足りない。

「闘牛」の演出。そのあと、レパ-トリ-がきまるまで、研究生を中心にサロ-ヤンの稽古をつづけていたっけ。
あとは、「文芸」に毎月、同人雑誌評を書き、さらには「新劇場」に戯曲を書く予定だった。その間に、K.M.とのflirtも。
けっこう、忙しかったなあ。

今は、あの頃に較べれば、映画を見ようとおもえばいくらでも見られるし、時間をやりくりして、芝居も見たり。コンサ-トに行く機会は少なくなったが、LPを聞くこともできる。

ときどき、思ったものだ。

このまま走りつづけて、オレはどこにたどり着くのだろうか、と。

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1977年10月2日(日)
アメリカの作家、リチャ-ド・バックのインタヴュ-。

10時、「パレス・ホテル」に行く。
「IDA」、井田 康雄君と、通訳の田草川 美紗子さんが待っていた。挨拶する。田草川さんは若い女性だが、通訳専門のベテラン。
私だけでも、インタヴュ-できるのだが、「かもめのジョナサン」の著者は、世界的な名声を得ている作家なので、通訳の専門家についていてもらったほうがいい。

リチャ-ド・バックの部屋に向かった。

「かもめのジョナサン」の著者は、アメリカ人らしく、気さくなタイプで、かなり長身。毛糸のプルオ-ヴァ-のセ-タ-、上にブル-のジャケット。眼が青く、鼻のわきに小さな豆粒のようなホクロ。口にひげ(ムスタッシュ)をたくわえている。

私はリチャ-ド・バックの処女作、「王様の空」の訳者としてインタヴュ-するだけだが、井田 康雄君がいろいろと私の経歴を説明すると、ほんらいの私とはかけ離れたイメ-ジの人物になったような気がする。
それはそうだろう。小説を書きとばし、批評家としても少しは知られている。しかも、ルネサンスを研究している。芝居の演出家だったこともある。マリリン・モンロ-について、モノグラフィーを書いている。こう説明されれば、誰だって、混乱した、バラバラなイメ-ジをもつだろう。
私は、笑いながら、
「ようするに、アジア的な混沌を体現しているだけです」
といった。
リチャ-ドは笑った。
これでお互いにうちとけたと思う。

インタヴュ-は、一問一答で私の質問にリチャ-ドが答える形式で進められた。したがって、対談というより、リチャ-ドの発言をひき出すかたちになった。このインタヴュ-は、「青春と読書」に発表される。だから、あくまでも若い読者のためのインタヴュ-でいいと判断したのだった。

ただ、原稿の締切りが明日の午前中なので、速記をおこした原稿が夜中に届いたら、私がすぐにインタヴュ-の記事にまとめる。つまり、徹夜の作業になるだろう。

最後に、リチャ-ドが「イリュ-ジョン」の日本版にサインしてくれて、ついでに絵を描いてくれた。

 

 

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1977年10月3日(月)
日本航空、ハイジャック事件。

「日本赤軍」がハイジャックした日航機は、3日午前0時13分(現地時間・2日午後9時13分)、バングラデシュ/ダッカ空港を離陸、クウェ-トに向かった。

3日午後11時20分(現地時間・2日午後4時20分)、アルジェリア/ダル・エル・ベイダ空港に着陸。現地の政府当局と、犯人側の交渉がはじまった。

4日午前1時、犯人5名、日本から釈放された犯人6名が投降。最後の人質、19名(日本人17名)は解放された。
先月28日、ボンベイ上空でハイジャックされた事件は、134時間ぶりにようやく終結した。

この事件は、テロ事件として歴史に残るだろう。

「日航」、ハイジャック事件ばかりだったので、誰の注意も惹かないニュ-スを書きとめておく。

ロ-トレアモンの写真が発見されたという。ジャック・ルフレ-ルという、まだ若い医学生。その写真は、ロ-トレアモンが1859~62年まで在籍したタルプ中学で同級生だったジョルジュ・ダセットのお嬢さんのアルバム。
このダセットは、ロ-トレアモン(イジド-ル・デュカス)の親友で、「マルドロ-ルの歌」の初版に出てくるという。その後の版では、ダセットの名がすべて消えて、タコやコウモリになっているそうな。

私は、ロ-トレアモンについては、ほとんど何も知らない。だから、写真の発見がロ-トレアモンの理解にどれほど役に立つか何も知らない。それでも、ロ-トレアモンの肖像なら、ぜひ拝顔の栄に浴したいと思う。