1789 〈1977年日記 36〉

1977年9月11日(日)

ロ-マ。
昨日、ロ-マのアメリカ-ナ・イタリア銀行の金庫室が破られ、保管されている金品ケ-ス200個が荒らされた。被害の総額は100万ドル(約2億7千万円)を越える模様。
怪盗は、この週末、銀行の隣りのラウンドリ-から侵入、鉄の扉をバ-ナ-で切断した。まるで、映画、「黄金の7人」だなあ。
今年になってイタリアでは、巨額な金庫破りが4件も起きている。ミラ-ノで550万ドル。アスティで、120万ドル。
先月には、シチ-リアで、銀行に侵入しようとしていた5人組が、あと一歩というところで、警察に逮捕された。
こうなると、さっそく喜劇仕立てのシノプシスを書いて、企画に提出してもおかしくないね。しかし、監督は? 田中 喜八? 冗談だろ。

 

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1977年9月12日(月)

人間の結婚制度は、一夫一婦を原則としてきたが、実際の性交は乱脈な野放し状態だった。それでも、過酷な生活環境によって、人間は生きるための戦いをさまたげない程度に、性欲もひかえめなものにした。
ただし、先史時代の部族社会でさえ、人口の急増にともなって、ある程度制限したうえで、性的な放埒を認めなければならなかった。
男のグル-プが女のグル-プ全員の支配権をもつ「集団結婚」の名残りは「初夜権」として、最近まで存在していた。

カトリック、サクラメントとしての結婚は、キリスト紀元、13世紀まではまだ万全のものではなかった。(ルネサンスのプラトニズム、ピエトロ・ベンボ、カスティリョ-ネを読むこと。)理論的には、不義密通を賛美することもできた。
ロココの時代になって――セックスを自由に謳歌したが、これは、貴族社会が、原始社会の乱交(オ-ジ-)に逆戻りした、と見ていい。

一夫一婦婚のかたちは、女性の権利を否定するロ-マ法と、売買によって結婚を成立させるチュ-トン族の実利主義とが奇妙に調和しあって、さまざまな人種間で、ごくかぎられた期間にめざましい発展をとげた。チュ-トン系は、強力なエネルギ-で、自分たちの法律を実行して行く。

マドンナとしての女性、巫女、あるいは母としての「女」は、無教養な集団という汚名を着せられて、その地位はひたすら貶められた。
結婚は、性欲の処理、出産によって子孫繁栄をはかるという二つの「契約」だったが、長い歳月のあいだに、こうした観念も変化しはじめた。

ロココの時代には、夫の身分によって経済的な安定が得られる妻を、夫の継承者とするといった、国家の先導によって、結婚の形態に歪みが生じた。
そして、ほとんど病的なまでに貧困をおそれるあまり、しみったれた倹約がひろがった。その結果、国民の力が萎えた。この時代、家族の資産を分割させまいとして、子どもの相続を故意に制限することもめずらしくなかった。

一夫一婦婚の基盤が崩れはじめた一方、新時代に向けて、まったく新しい、究極の主張があらわれる。かんたんにいえば、男は威風堂々たるパシャになるのか、それとも、女房の尻に敷かれるあわれな亭主になり果てるのか。

官能的な快楽追求の時代は幕を閉じる。

それに代わる形態が、二つの特質を見せて、次の世代で実行されてゆく。

若者の性欲は、友情ある結婚で浄化される。
夫婦はつねにお互いの人格を尊重しあう一身同体、一旦緩急にあたっては、力をあわせて立ち向かう。
あのエピクロス的なモンテ-ニュが、夫婦の理想的な相(すがた)としてすでに思い描いていた。

フランス・ロココの結婚の歴史は、フランス史のなかでも、もっとも天真爛漫な姦通の歴史だった。