1785 〈1977年日記 32〉

 

1977年8月24日(日)

つぎからつぎに原稿督促の電話ばかり。
原稿を書かなければいけないとわかっているのだが、かえって本を読みたくなる。
たとえば、「アンジェラ・ボルジア」。岩波文庫。1949年に出ている。「アンジェラ」は「ルクレツィア・ボルジア」の従妹。スト-リ-は、「ルクレツィア」と「アルフォンソ・デステ」の結婚からはじまり、「ドン・ジュ-リオ」、「イッポリ-ト」など、エステ家の兄弟、「エルコ-レ・ストロッツイ」、「ピエトロ・ベンボ」などがつぎつぎに登場してくる。まるで、歴史もののテレビ・ドラマでも見ているようなおもしろいものだった。

 

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1977年8月28日(木)

暑い。

原稿をいくつも書いた。27日、「サンケイ」は1本しか書けなかった。
こういうときは、気分転換に山を歩くことにしよう。
12時半、新宿駅2番線。松本行き、「急行アルプス」。
吉沢君、「三笠書房」の三谷君、「二見書房」の長谷川君、石井、菅沼 珠代、鈴木 和子。安東君は、八王子から乗った。

韮崎に着いたのは、4時近く。タクシ-を利用することにして、「白鳳荘」に。
着いたとたんに、雨が降ってきた。おやおや、また雨か。

4時、起床。4時半に歩き出した。まだ暗い。
私は腰を傷めているので、歩きはじめはつらかったが、じきに痛みは消えた。

快調とはいえ、甘利から大西峰に出るあたりがきつい。
御所山。前に、Y.K.と二人で登ったときは、ル-トが見つからなくて苦労した。今回は、新しい標識がついていたので、青木鉱泉に出るのもずっと楽になっていた。

このコ-スはもとのままで、手入れもされていない。青木鉱泉のすぐ手前で、沢を渡ったが、鈴木君が足をすべらせて、あやうく川に落ちそうになった。みんなが笑った。
今回は参加していないが、工藤さんなら川に落ちていたはずだ、と冗談をいう。
彼女は、水難の達人で、ふつうの登山者なら絶対に落ちないようなみずたまりでも、かならず足をとられる。幅がせいぜい数十センチの溝でも、かならずすべったり、ころんだり。
私の冗談に、みんなが笑いだした。

青木鉱泉。みんなで、のんびり湯につかり、ビ-ル。
今回も楽しい登山になった。マイクロバスで、韮崎に送ってもらう。

5時20分の臨時急行に乗るか。36分の鈍行に乗るか。
結局、甲府で、そばを食べようということになった。急行で、甲府に行く。
私たちの判断では――甲府始発の鈍行に乗ることになる。
急行の入線で、みんながそれっとばかりに乗り込んだが、もうれつに混んでいた。やっと車内に入ったが、立錐の余地もない。

あとで知ったのだが、大槻で脱線事故があって、中央線のダイヤが混乱していた。
甲府の一つ手前の竜王で、この列車も立ち往生。先行の列車が甲府で停止しているため、この列車は、竜王で停車したらしい。長い時間、待たされて、しかも車内はむし暑かった。
この間に、隣りの車両に乗った安東君が、プラットフォ-ムを走ってきた。私は非常用のコックを使ってドアを開けた。あんまり長い時間待たされたので、乗客のなかには、私たちのようにプラットフォ-ムに出るものもいた。
私は停まっている列車を点検して、みんながおなじ車両に乗れるようにした。こういうことになると、日頃、列車の乗り降りになれているわがパ-ティの行動ははやい。

やっと、甲府に着いた。これからまた何時間かかるのかわからないので、駅のキオスクに乗客たちが押しかけた。駅弁や、食品を買いあさっている。まるでパニック状態だった。ここでも、安東は有能だった。すぐに、駅そばに走って、そばを8個、買ってきた。
これで、駅そばは売り切れ。
安東につづいて、三谷君、長谷川君、石井たちが、ビ-ル、ジュ-ス、おつまみなどを仕入れてきた。みんなが、山でビバ-クするようなうれしそうな顔をしていた。

いろいろな登山をしたが、今回のような意外なピクニックはめずらしい。

新宿に着いたのは11時過ぎ。
帰宅したのは、1時過ぎ。