1977年6月28日(火)
ネコのチャップが死んだ。
まだ小学生だったエリカが、下校の途中で道ばたにいたコネコをひろった。やせこけて体力が衰えて、声も出せなくなっていた。エリカはコネコを抱いて帰って、私と百合子に、コネコを飼いたいといった。それまで、わが家ではイヌを飼ったことはあったが、ネコを飼ったことはなかった。
こうして、このノラネコは家族の一員になった。チャップという名前がついた。
チャップは三毛猫で、性質はおだやかだった。
その後のわが家には、多くのコネコたちが、くびすを接してつぎからつぎに重なりあうようにして登場する。
チャップはコネコをたくさん生みつづけた。
そのネコたちのうち一匹として、由緒ある血統や、上流階級の飼いネコのこれ見よがしのぜいたくとは無縁だったが、そのすべてが、わが家の社会的、経済的な条件にしたがったという点で共通していた。
具体的には、ゴハンツブにカツブシをまぶしただけの食事から、サバの水煮、サケのカンヅメ、やがてキャットフ-ドというお手軽な食料にありつくことになった。
チャップはコネコをつぎつぎに生んだ。
ミケネコがミケネコを生むとはかぎらない。サバネコに近い模様や、キジネコ、灰色、ときにはクロネコといった、さまざまなスタイルを身につけて生まれてきた。これは冗談だが、まずネオ・クラシック、ロマン主義、リアリズム、インプレッショナリズム、ポスト・インプレッショナリズムといった流派(エコ-ル)を、からだにまとったコネコたちが生まれてくる。むろん、こうした分類はまったく不正確なもので、それぞれのコネコにあてはめても、しばらくすれば、どれがどれやらわからなくなる。
一度、オスのミケネコが生まれたことがある。
このコネコはウワサになったらしく、ある日、私のところに、銚子の漁師が訪ねてきて、ミケのコネコをゆずっていただけないか、といった。
私はコネコが生まれると、友人の誰かれに押しつけていた。はじめのうちは、みんながよろこんでもらってくれたが、チャップの生産能力に需要が追いつかなくなってきたので、この漁師のオジサンにオスのミケネコをくれてやった。
チャップは13年を生きた。
病気になったのは、今年になってからで、百合子がアメリカに行く前だった。
ある日、チャップを抱いてやった。胸もとに小さなシコリがある。私はまったく気にしなかった。そのシコリができてから、チャップの毛並みの、色つやがわるくなってきた。
毎日、机にむかって原稿を書いていると、私の膝を越えてからだをまるくする。
チャップの胸を破ったのは、悪性の腫瘍だったらしい。
そして今朝、チャップはセメントの三和土に倒れてこときれていた。
ペットの死はいくたびも見てきた。5月にはコネコをしなせてしまった。名前もつけてやらなかった。チャップの死だけが悲しかったわけではない。しかし、もの書きとして、あたらしい生活の設計にあたっていた私のそばに、チャップがいつもついていてくれた。私がイヌ派ではなく、ネコ派になったことも、チャップの存在が大きかったような気がする。
今はただチャップの冥福を祈ることにしよう。
