1763 〈1977年日記 10〉

1977年5月16日

鳳蝶の戯れ。巫山の夢。

昨日、庄司 肇さんに訊かれた。

「そういう山登りをして、翌日、疲れがでませんか」

「一晩寝れば、疲れはとれます」

「やっぱりお若いんですねえ」

庄司 肇さんは感心したようにいった。

 

 

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1977年5月17日

午後2時半。
新橋の「ア-ト・コ-ヒ-」に行く途中で、下沢 ひろみと会った。偶然会ったわけではない。私が呼びつけたのだった。ひろみは「コロンビア」に行く途中だったから、途中で私と会っても不思議ではない。

試写は、「白い家の少女」(ニコラス・ジェスネル監督)。
ニュ-・イングランドの丘のうえの一軒家にリン(ジョデイ・フォスタ-)という少女が住んでいる。この家の地下室に、母親の死体がある。じつは、家主も殺されている。家主の息子(マ-ティン・シ-ン)が訪れる。
フランス映画に近いサスペンスものだが、ジョデイ・フォスタ-という少女スタ-の魅力が印象に残った。私の好きなアレクシス・スミスが出ているのだが、この少女の前ではまるで生彩がない。

5時過ぎ、「山ノ上」で、「南窓社」の岸村さんに会う。350枚の評論集はとても出せないという。私はキャリア-だけは長いけれど、どうも評論家としての知名度は低い。けっきょく、かなり大幅に削らなければならなくなった。

講義。後半は、ヘミングウェイのパリ時代について。
自分のパリ暮らしの経験も話した。ヘミングウェイの住んでいた界隈。新婚のヘミングウェイたちは、近くのカフェの日替わり定食か、せいぜいテイクアウトのスシッソン・オ・ジャンボンぐらいですませていたにちがいない。なにしろ、肉も食べられないときは、公園のハトをつかまえて、首をひねって持ち帰るような貧乏暮らしだったのだから。

講義のあと、安東 つとむ、由利子夫妻、中村 継男、工藤 淳子たちといっしょに「嵯峨野」に行く。
坂をのぼりきると、この界隈はいろとりどりのネオンの灯色がゆらぎ、いっそう美しく、なぜか哀愁が街ぜんたいにただよっているように見える。

 

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