1762  〈1977年日記 9〉

1977年5月14日

和田 芳恵さんから、新刊の「暗い流れ」を頂戴する。
私は文壇作家の先輩をほとんど知らない。むろん面識はある大家はいるが、日頃、文壇人の集まりに顔を出したこともない。だから和田さんは、私の知っている唯一の文壇作家ということになる。
和田さんの小説は、いつも練達の職人の仕事という感じで、ひたすら感嘆する。和田さんは、どういうものか私に好意をもって、本を贈ってくださるのだった。

今日、コネコが死んだ。母親はシロ。うまれて2カ月。シロが子を生んで2日後に、ルミも、この子とおなじような白いメスを生んだ。だから、コネコたちは、まるで兄弟のように育った。
このコネコは、なかなか活発で、この数日、ミルクを飲むようになっていた。昨日、ミルクをやったが、とてもよく飲んだ。そのあと、肉のアブラミをすこし食べさせた。これがよくなかったらしい。私が殺したようなもので、気分がよくない。
庭の隅に埋葬してやる。

夜、仕度して新宿に行く。
予報では、今夜から海も山も大荒れになる。それを承知のうえで登山を計画したのだが、目的地は高尾に変更した。
この日、10番線に集合したのは――安東 つとむ、「日経」の吉沢 正英、石井秀明、田中、中村、工藤。これに、大久保、原田、奥原、妹尾の4人。みんながすぐにうちとけて、今夜の登山にわくわくしていた。

真夜中に登山するもの好きはいない。しかも、台風が接近している。
私はわざとそういう悪条件の登山をみんなに経験させたかった。むろん、万全の準備をととのえている。初心者向きのコ-スを選んだ。
10時15分から行動開始。暗いコ-スをひたすら歩きつづける。気温がぐんぐん下がってくる。みんなが黙々と歩きつづける。
少し平坦な道にさしかかると、私は夜空を見上げ、山の稜線をたしかめ、闇の彼方に目を向ける。何も見えない。フラッシュライトの光を吸い込んだ闇からは、深い奥行きと、ぼうっとした輪郭が感じられるばかり。風が強くなって、いい知れぬうそ寒い恐怖にとらわれそうだった。
深夜、コ-ス中腹の茶屋に着いた。茶屋は戸を閉めてカギをかけてある。外のテ-ブルに集まって、お茶を沸かしたり、各自、簡単な食事をとる。私はコッヘルでウドンを茹でて食べた。夜中に熱い肉ウドンを食べるのが私のスタイルになっている。
1時半から4時まで睡眠をとる。寒いので、みんながテ-ブルに突っ伏して寝たが、私は茶屋の入口の近くに断熱シ-トを敷き、アノラックに新聞紙をつめて横になった。
風が出てきた。みんな、一睡もできなかったらしい。

闇はかぎりなく濃く深かった。あたりのもののすべてが形を崩され、影に変えられている。その影たちはくろぐろとした静寂(しじま)にそびえている。そこは、昼間のハイキングコ-スではなく、風雨の予感がみなぎった世界だった。無数の音が、梅雨前線にのみ込まれながら、刻々に危険な夜と化してしまったのだ。
4時15分から、歩きはじめた。私は、気温の低下と、みんなの健康状態、疲労度に注意しながら、ときどき声をかけてやる。小仏峠に出たとき、とうとう雨が降りはじめた。

雨のなか、きついコ-スを歩くのはあまり楽しくない。はじめての登山で、こんな風雨にさらされたら、誰しも二度と山に登ろうとは思わないだろう。しかし、私は、こんな平凡なハイキング・コ-スでも、歩き方によっては、別の楽しみが生まれると思っている。

やがて夜明け。
それは異様になまなましく、非現実めいた光景だったが、山ぜんたいに灰色の朝がひろがり、さらにはどしゃぶりに近い雨が降りそそぎ、容赦なく私たちを追い立てた。

11時、私たちは美女谷温泉に着いた。みんなが歓声をあげた。
ほかに誰ひとり客がいない。入浴する。学生たちも山麓の朝風呂をよろこんでいた。歩いているときは無口だった学生たちも、入浴したあとはすっかり上機嫌になっていた。
こんな登山は誰ひとり経験したことがなかった。

帰りの電車ではみんなが眠っていた。新宿に着いたのは3時過ぎ。

この日、私はもう一つ、大事な仕事があった。
宮 林太郎さんの出版紀念会だった。私はみんなと別れたあと、時間をつぶさなければならない。映画を見ようか。しかし、うっかりすると、眠りこけてしまうかも知れない。喫茶店でコポオのエッセイを読んだ。暇つぶしに。

出版紀念会は盛会だった。出席者のほとんどは私の知らない同人雑誌作家ばかりだった。高齢の方が多い。私は、登山スタイルのまま出席したので気がひけたが、若杉 慧、佐藤 愛子のいるテ-ブルに案内された。おふたりは、私にもわけへだてなく話しかけてくれた。あとは、ほとんど知らない人たちばかりだったが、「小説と詩と評論」の森田 雄蔵さんがいたので挨拶した。
閉会してから、別のテ-ブルに、友人の若城 希伊子さん、庄司 肇さんがいたことを知った。おふたりといっしょに「ポポロ」に寄って話をしたが、若城さん、庄司さんが相手なので、気づまりなことはなかった。若城さんと別れたあと、庄司さんは木更津に住んでいらっしゃるので、帰りは千葉までずっと話をつづけた。
千葉で酒でも酌もうか、と思ったが、さすがに疲れていたので、千葉で失礼した。

 

 

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